●福福物語 実験室vol.4

Cornelius Cardewの「Schooltime Special」を中心に

出演=荒井真一、鈴木健雄、三枝由起夫、谷川まり(以上福福物語)+参加者
時=1997年8月31日(Sun) PM2:00〜
所=武蔵野市民会館地下集会室(JR中央線武蔵境駅下車、北口徒歩5分)
0422-51-9144
参加費=無料

今回も福福のメンバーそれぞれが時間を持ち、その間は彼/彼女のインストラクションにしたがって他のメンバーや参加者がPerformします。
ただ、今回は荒井と鈴木がコーネリアス・カーデュー(1936-81)の作品「Schooltime Special」を参加者とともに演奏するプランをたてています。この作品はインストラクションの集まりで、イエス、ノーに答えることで演奏者が行動を決定していく仕組みになっています。前半はその楽譜について参加者とそれをどう受けとめていくかを話し合い、後半で実際に演奏してみることにします。
谷川、三枝の両氏の時間は現在のところ未定です。
今回の「Schooltime 」といい、前々回の三枝の「鬼は外」とか「生首」といい神戸の事件と図らずもシンクロしてしまったような気がします。私自身はあの事件について何も語りたくない。語ることでマスコミの思うつぼにはなりたくないと思います。私の生活はマスコミに随分浸食されています。私にとってプロ野球も、テレビドラマも、芸能界のスキャンダルも本当はそんなに大した問題じゃないのに、気持ちとしてはいつの間にか自分の生活の一部の話題(会社とかで)となっているような気がします。こういうことを少し声高にいうこと自体、もうおかしい。
自分の大したことのない生活とテレビで毎日取り上げられる華麗な?世界とのギャップを、人々はそれと擬似的に同化することで、まるで身内の話題のように扱うことで、忘れているんだと思います。しかしそのギャップにあまりに意識的になると、私のようにマスコミは愚民化を進める資本の手段だとか、切れた言い方になったり、他の人はその主人公になろうと一番最短な道を探し始めるのではないでしょうか? 例えば芸能人ではなくて、有名人になりたいという言い方は定着してきているでしょう。
今回の事件でも、犯罪というのは一番努力しないで人から注目される方法だ、そしてこれほど人をワクワクさせるドラマはないと(小さい頃、私も台風とかが起こり非日常的になるのが好きだった)、以前よりも多くの人が思っているとすれば、それはマスコミを通じてであり、マスコミによって増幅されているのだと思います。だから、それはマスコミが自作自演で作り上げた、彼らの土俵に乗っていることでしかないでしょう。
私はパフォーマンスが最近面白くないのは、マスコミ的なリアリティ(あるいはそれにも劣る私的なリアリティ)しか追究できなくなっているからだと思っています。見に来ている人も、マスコミ的なリアリティの枠組みからパフォーマンスによって拉致されないし、その枠組の中で評価を下すことができて当たり前と思っているように見えます(マスコミで評論家といわれる人たちの文章がそうです)。これは音楽、美術、映画等の芸術がマスコミと同じ土俵で商売していかないといけない状況になったからだと思います。
多くの人から注目されたり、多くの人に認められたりしたものだけに(芸術的)価値があるとしたら、あまりにもつまらない。一応私は今まで自分が芸術ですごいと思った経験はそういうことではなく、その感激を表現することすら相当頑張らないと他人には伝わらなかった、と声高に言いたい。
カーデューがいつも考えていたことは、芸術が個人的にひとに作用する現場を抽出して、それを多くの人々と共有しようとしたプロジェクトだったのではないかと思います(それは、決して今はやりのインタラクティブというものではない)。そこで今回彼の作品を取り上げることにしました。
(荒井真一arai@ppp.kabinet.or.jp

Cornelius Cardew「Schooltime Special(1968)」(荒井真一訳)

Aの質問を読んで、ハイと思えるところところまで進んで下さい。
ハイと思えるものがなかった場合は、静かにしていてください。
もしハイと思えるものが見つかったら、Bの質問へ移り、中から適当な質問を選び、それに答えてください。
ある程度の時間をAとBに費やしたら、CとDにとりかかってください。
Cの質問を順番に(Aの時のように)読んでいってください。この時Bの動作を続けていても構いません。ハイと思ったところで止まってください。もし最後までハイがなければ、静かにしていてください。
Cでハイと思ったら、Dに移り、Dの質問を適当に選んでそれに答えてください。
考える時間が必要に思ったときは休んでいただいて構いません。
静かにしている人は、いつでもAまたはCの質問に初めから戻って構いません。

Aの質問

音を歌いたいですか?
ハイ  それを歌ってください。

雑音をがなりたいですか?
ハイ  それをがなってください。

音を演奏したいですか?
ハイ  それを演奏してください。

雑音を出してみたいですか?
ハイ  雑音を出してください。

音を作りたいですか?
ハイ  音を作ってください。

雑音を作りたいですか?
ハイ  雑音を作ってください。

音を聞きたいですか?
ハイ  音を聞きなさい。

雑音を聞きたいですか?
ハイ  雑音を聞きなさい。

この部屋から退出したいですか?
ハイ  どうぞ退出ください。
いいえ ここに留まって静かにしていてください。

Bの質問

その音または雑音は(以下それはと言います)音程を高くしていけますか?
ハイ それの音程を高くしてください。
いいえ そのままの状態を続けてください。

それは大きな音にしていけますか?
ハイ 大きくしてください。
いいえ 音を出すのを止めてください。

それを震わせることができますか?
ハイ 震わせてください。
いいえ それを(小刻みに)繰り返してください。

それは長く伸ばすことはできますか?
ハイ 伸ばしてみてください。
いいえ できるだけ長く伸ばしてみてください。

それの色を変えることはできますか?
ハイ 色を変えてみてください。
いいえ それの範囲の中でできる限り色を変えようとしてみてください。

Cの質問

今行われている音楽(以下それと言います)はあなたに何らかの感情を引き起こしましたか?
ハイ 動き回って(踊って)ください。

それはあなたの耳を傷つけ(不快に思い)ましたか?
ハイ あなたが親近感の持てる音を選び、それを複製してください。

それはあなたにとってとりとめのないものに思えますか?
ハイ 実際にでも想像でもいいから、ある音を一生懸命繰り返してください。

それはあなたの心臓の動きを速まらせたか? もしくはゆったりとさせたか?
ハイ その心臓の動きを聞こえるようにたどってみてください。

それはあなたの神経にまとわりついてきますか?
ハイ 旋回しながら、泣き叫んでください。

それはあなたにとって馬鹿馬鹿しいものですか?
ハイ 笑ってください。そしてAの2の質問に戻ってください。

それはあなたに何かを思い出させましたか?
ハイ それが何かはっきりさせて、その記憶を表現してみてください。

それは何らかの印象(絵)を感じさせますか?
ハイ その絵にあなたも何かをつけ加えてください。

それは何か茫洋とした形であなたに影響を及ぼしていますか?
ハイ それを言葉で説明して、その感情を増幅してください。
いいえ 静かにしていてください。

Dの質問

この演奏(音楽、以下それと言います)がずっと続けばいいと思いますか?
ハイ 聞いていてください。
いいえ あなたの影響力を最大限に行使しなさい。

誰かからこうしたらいいよとアドバイスされたいですか?
ハイ 近くの人にあなたが何かアドバイスしてみてください。
いいえ 今の場所を離れて、別の場所に移動してください。

それを今すぐ止めさせたいですか?
ハイ 耳をふさいでください。
いいえ それが成長するように、今の演奏に息を吹き込みなさい。

全体の音の連なりの中に、特徴的な断絶をつけ加えたいと思いますか?
ハイ それを少しずつ注入していってください。
いいえ それを試してみてください。

もっと質問してほしいですか?
ハイ 自分で質問を作ってください。
いいえ 目をつむり、あなたがやりたい方向に進んでください。


●福福物語 実験室vol.3報告

****無題****
時=1997年6月1日(Sun)

三枝由起夫の時間

第一回で使用したサイン波発生器の進化型(発振音が2音に増加、増幅器内蔵・拡声器付属)4台による合奏。演奏者は四方に分かれ、麻雀卓を囲むように音を出す。機器が4台しかないので交替により演奏。

谷川まりの時間
谷川まりのソロパフォーマンス。参加者は1分の間10秒をめどに行為を行うことを要請された。

鈴木健雄の時間
参加者を含ムックリなどの口琴による合奏。なかなか音がでない人もいて、講習会の様相も呈していた。

荒井真一の時間
以下のインストラクションを参加者に渡し、演奏した。

福福物語 実験室 vol.3 「無題」のために
ニーチェ「漂泊者と影 154」より

各演奏者は1-5までのパートに分かれる
1のパートは母音にa音が含まれる文字を
2のパートは母音にi音が含まれる文字を
3のパートは母音にu音が含まれる文字を
4のパートは母音にe音が含まれる文字を
5のパートは母音にo音が含まれる文字及び「ん」を
任意で1つ選び
声の続く限り(息継ぎは認めない)発音すること
一行毎に発音を続けるが、一番長く発音する人が終わった段階で
次の行に進む(終わったと思った人が次の行の発声を始める)

かいかつなおんがく
ながいあいだ
おんがくなしで
がまんしていると
そのあとで
おんがくは
おもいなんごくの
ぶどうしゅのように
あまり
はやく
ちにまわって
ますいに
かかった
なかば
(後略)

今回、メンバー以外の参加者は2名でした。
口琴の面白さに触れることができて楽しかった、谷川のパフォーマンスが面白かった、久しぶりに声を思い切って出せたという意見が寄せられました。


●福福物語 実験室vol.3「無題」

出演=荒井真一、鈴木健雄、三枝由起夫、谷川まり(以上福福物語)+参加者
時=1997年6月1日(Sun) PM6:30〜
所=武蔵野市民会館音楽室(JR中央線武蔵境駅下車、北口徒歩5分)
0422-51-9144
参加費=無料

今回も福福のメンバーそれぞれが時間を持ち、その間は彼/彼女のインストラクションにしたがって他のメンバーや参加者がPerformします。今回のコーディネーターは谷川まりです。

*[実験室について]
福福物語は1996年に結成されたパフォーマンスユニットです。
私たちはエンターテインメントとしての、芸術としての、消費としての、メッセージとして以外のパフォーマンスの可能性を探るために、この「実験室」を設けました。
日常生活自体が怪物のように非日常化している現代という状況の中で、その状況をどう反時代的に表現するのか、どう対処すれば(楽しく)生き続けられるのかを、この「実験室」を通して参加者とともに考えていきたいのです。
多くの人々が、ペルーもルワンダもボスニア・ヘルツェゴビナも日本と違いすぎるとは思えなくなっており、10年前よりも現在の方が辛いと思っているのに、芸術もマスメディアも学校も何もかもがそれを明らかに無視しています。福福物語は私たち自身が(楽しく)生き延びるために活動します。しかし、それを「実験室」として一般に公開したり、ライブを行うのは孤立していく自分たちと社会をどうにか結びつけていこうという意思からです。
ですから「実験室」に参加する方には、積極的に「実験」に参加(あるいは傍観)されることで、そこで生起する「現場の力」関係を体験し、話し合いにおいては多様な意見を述べられることを期待しています(荒井真一)。
arai@ppp.kabinet.or.jp



●福福物語 実験室vol.2報告

****居場所を失った人たち****
時=1997年4月27日(Sun)

谷川まりの時間
以下のテキストを参加者全員に手渡す。

居場所を失った人々というテーマについて考えたこと。谷川

居場所を失った状態とは

人が生きていくうちで会う居心地の悪い状況
ここは自分のいる場所ではないと感じる場所や時
自分はここではじゃま者なのだと感じること、
のけものにされていると感じること
ここでは本来の自分を表すことができない
人間らしく生きてゆけない。
いつも死や失うことへの不安や恐怖に
さらされながら生きていかなければならないこと、
などがあげられる。

しかし、居場所を失ったと感じていても
生きている間は人はそこにいるのであり、物理的には
この身体であり、その身体が今ある場所がある。
けれども居場所があろうとなかろうと、(と、感じている)
心理的には人は絶えず探しているのではないだろうか。
"ない"、と感じていれば、その不安感を忘れたり、
まぎらわす場所や行為を探し、本来の自分の居るべきだ
と思われる場所を探す。八方ふさがりなら、もがいたり、
あきらめたり、悲しんだり、否定したりするだろう。

かくれ場所をみつけるかもしれない。
ほんの小さなひと空間を自分の居場所と定義して
みるかもしれない。

食べることや飲むことも精神的な活力を
得られることがあり、その行為に居場所を見いだし
ているのではないだろうか。

その他の身体的な行為や行動、
感情表現を通して自分の居場所を
つくりだそうとするかもしれない。
服装や持ちものにこだわること
何かを手にし、自分流にあやつろうとすることもそうだろう。

だが本当の意味で「居場所を失った」とは、こうしたことも
すべてを否定した精神状態にあることではないだろうか。
本当の意味で居場所を失った人は、もはや、「居場所を
失った」とは、自分の口から言うことはなく、
そのように感じる心も、考える知性もないのではないか。
居場所を失うことは、それを強制とよべるなら、または
外からの力とよべるなら、死ということをもってでしか
もたらされないのではないか。

わたしには今回のテーマは本当のところ何をめざしているのか
理解できないのですが、あえて居場所を失ったことを
テーマにするなら、居場所を探しつづけることを
考えてみたいと思う。人はみつけてもそれにあきた
らず、また次の場所をいつも探しているものなのでは
ないだろうか。失ったと感じている方がむしろ探しやすい
状態なのではないだろうか……。

そのあとで、参加者それぞれに
1.居場所を失った状態とは? 
2.居場所を失ったときどうしますか?
というアンケートを実施する。そのアンケートを書いた本人以外がそれぞれ読み上げていく。
その後椅子取りゲームをし、椅子を取れなかった人は居場所を失ったことを身体で表現し続ける。椅子が一つになるまでゲームを続ける。

三枝由起夫の時間
耳の内部にマイクをつけた、生首のぬいぐるみを三枝由起夫が自作で用意する。 (このぬいぐるみに内蔵されたFMステレオ送信機と、 FMステレオ・ヘッドフォン・ラジオを装着することによって、 私たちは、生首のぬいぐるみが聴いている生々しい音の世界を体験することが出来る。) 参加者は、各々FMステレオ・ヘッドフォン・ラジオを装着し、 「オニはソト」と声を出しながら、この生首のぬいぐるみをキャッチボールする。

荒井真一の時間
以下のテキストを参加者全員に渡す。


ろうそくの炎は見つめるためにある。その揺らめきが、世界の揺らめきと同期するならば?
闇は行動のためにある。外界の刺激は振動で感じられる。しかし光は振動なのか?
ライターを受け取った人はろうそくの火を消す権利を有する。それを再びつける権利も有する。そして、しかる後ライターを別の人に渡す義務が発生する。

そのあと、室内を暗黒にし、ろうそくを1本灯した後、参加者の一人にライターを手渡す。
*テキストの意味がよく分からない、何を具体的にすればいいのか分からないとの意見がでる。荒井自身はろうそくが灯って居ない(闇の)間は全ての行為が許されるというコンセプトだったと語る。

鈴木健雄の時間
集団即興。鈴木健雄自作のノイズ発生器を参加者に開放する。又、参加者からの提案でろうそくを2本(1本はノイズ発生器操作用)だけ灯すことにする。

今回、メンバー以外の参加者は5名でした。

参加者と「白木屋」で話し合いを行いました。
参加者の一人から福福物語は「嫌らしい人たち」だという意見がでました。


●福福物語 実験室vol.1報告

****話せることは、まだある****
時=1997年3月16日(Sun)

三枝由起夫の作品
自作のサイン波発生器(単音、音の高低とon /offが可、音量の調節不可)4台による合奏。 特に指示はなし。参加者も適宜参加。
*回路自体の発振が悪く、勝手に音が出たり出なくなったりする事もあり、相当注意深く自分の出している音を聞いている必要があり(どの機械も大体同じピーという音でもあり)、後半合奏者は集中した状態が続いた(前半は鳴るの鳴らないのと作曲者へのクレームが多かった)。

谷川まりの作品
参加者それぞれが自分の願望を短冊に書き、それを用意した器具につるし、そのあとでそれぞれが全ての参加者の短冊を黙読するという行為。

鈴木健雄の作品
作曲者自身はホーミーを中心にした演奏を行う。また2台のテープレコーダーにエンドレステープ入れ、交互に録音再生を繰り返す。他の参加者は1分間に10秒をめどに音を出すことのみ許されている。黒板には一本の線が引かれ、それにしたがって線を引くことも指示された(この部分ラ・モンテ・ヤングの作品より)。
*作曲者の意図が分かりにくかったという意見と、テープレコーダーの再生音が悪かったという意見が出た。

荒井真一の作品
参加者全てにガムテープで目隠しをした(この際参加者から痛そう等の非難が出た)。室内の明かりも消し、ろうそくの光のみにし、集団即興演奏を行う(荒井a.sax+clr、鈴木自作ノイズ機+声、三枝打つ、谷川ピアノ+声)。参加者には特に演奏への参加を要請しなかった。
*参加者の一人はギターの演奏をする者だったが、次第に声を出し始めていった自分の経験を意外だったと語った。癒しという言葉が彼女から出たが作曲者はその意図を否定した。

各メンバーのインストラクションを作品、作曲、演奏等と表現しましたが、あくまで便宜上です。 今回、メンバー以外の参加者は2名でした。

参加者と「白木屋」で話し合いを行いました。
前回私、荒井真一の書いた呼びかけ文が堅苦しかったという批判が出ました。
しかし、内容は今報告したとおりで何となく、実験といっても理科室や地域の文化センターでの小学生の実験の様なものです。
大それた事が嫌いだということを、大それた書き方でしてしまったという事がいけなかったのだと思っています。
また参加者から、無料にすることや、参加者に参加を要請することで福福物語の責任(?)の様なものを軽減しようとしているのでは? との意見が出ましたが、我々は参加者が参加することでもっと大きな事、面白い事が出来るのではないかと考えてはいても、それに寄り掛かるつもりはありません。それが実験の実験たるゆえんです。ただ実験ですから、確定したものではなく、そこに甘さが出ることはしようがないと思っています。
次回のコーディネーターは荒井真一に代わって、三枝由起夫です。
また少し先の話になりますが、12月にはコーネリアス・カーデューを取り上げることを、今年の実験室の目標にすることが確認されました。


●福福物語 実験室vol.1

****話せることは、まだある****
出演=荒井真一、鈴木健雄、三枝由起夫、谷川まり(以上福福物語)+参加者
時=1997年3月16日(Sun) PM6:30〜
所=武蔵野市民会館音楽室(JR中央線武蔵境駅下車5分)
参加者=必ず前日までに予約下さい、参加費無料


福福物語は1996年に結成されたパフォーマンスユニットです。
私たちはエンターテインメントとしての、芸術としての、消費としての、メッセージとしてのパフォーマンスは目指していません。日常生活自体が怪物のように非日常化している現代という状況の中で、どう反時代的に表現できるのか、どう対処して生き続けるのか、それをパフォーマンスを通して考えていきたいだけです。多くの人々が、ペルーもルワンダもボスニア・ヘルツェゴビナも日本と違いすぎるとは思えなくなっており、10年前よりも現在の方が辛いと思っているのに、芸術もテレビも何もかもがそれを明らかに無視しています。福福物語は私たち自身が生き延びるために活動します。しかし、それを公開したり、ライブを行うのは孤立していく自分たちと社会をどうにか結びつけていこうという意思からです。
今回から1カ月毎の予定で行う実験室は参加者に何らかの形での参加を求めることになります。それは何かを表現してもらうことであったり、あるいは討論に参加してもらうことかもしれません。しかし、言葉にすると堅苦しくなるので、とにかく参加されることを提案します。


●行為+映像「ちがくるう(血が狂う)」


出演=乙部聖子(映像)、荒井真一(行為)、鈴木健雄(ホーミー)
三枝由起夫(音楽)、谷川まり(行為)
時=1996年8月18日(SUN) PM2:00〜 
所=中野テルプシコール  Tel03-3383-3719
料金=1800円(当日)、1500円(E-mail予約)

5.26神田神保町の美学校に、乙部聖子+室野井洋子+向井知恵のパフォーマンス「こどもたち」を見に行った。乙部さんは「自主映画の姉」といった人だけど、ときどきパフォーマンスもやる。今回は久しぶりだったので、わたしも期待して行った。わたしがアフリカ・タンザニアに行っていたこともあり、5年ぶりくらいかもしれなかった。パフォーマンスは室野井さんの舞踏の女性性が濃厚で、そのラインで他の2人のものも、見えてしまっていたので残念だった(どうして残念なのか? 例えば男3人のパフォーマンスで男性性が突出していたら、わたしは嫌だ)。しかし、向井さんの胡弓のドローンはその電気的ディレイの繊細さも手伝い、ラ・モンテ・ヤングのライブ演奏をもしのぐ圧倒的戦慄を引き起こしたし、乙部さんの映像(ビデオ)、そして行為は作為性を排除しつつ、生理的なまとわりつきを見るものに与え続け、目が離せなかった。後半の室野井さんの控えめな舞踏もあり全体的に久しぶりにこけおどしや、コンセプトに縛られない自由に動き回る精神性と遊戯性(つまり「こどもたち」?)に触れるいいパフォーマンスだった。こういうパフォーマンスは重要だけど、詰まるところ通好み、マイナー、やる方も立て続けにやるわけにいかないし、色々な意味で困ったものだと思う。なんか、自分だけの秘密の場所という感じがいいわけであって、雑誌で取り上げたり、業界で云々というのにもなじまないし。それが、結局いいアートなんだけどね。だって、いい作品は自分の手元に自分のものとして、置いておきたいじゃないですか。だから、作品は売れるわけだから。それが市場を形成するんだけど。
会が終わって、その場で飲んだり食ったりしていると乙部さんが、今日のために用意した人形があって、でもどうしても使えなかった、でもそれがどうしてもみんなに見せたかったらしくて(そういうところが、初々しいし、彼女の真摯さが感じられて、微笑ましい)、僕らのリクエストに応えて結局!は披露してくれた訳ですが、胎児から死に至る女の一生を人形が表していくわけで、この人の並々ならない力量に恐れ入ってしまった。で、三枝と鈴木君と僕で今回の企画を立ち上げたわけです。三枝は、谷川まりと前座をやりたいという、前座がいいというわけ、で僕と鈴木君が乙部聖子のバックにつくという感じでやることになった。それが、今回の企画の核心部分です。乙部さんにしても僕らにしても、少なくとも10何年はこういう仕事をやってきているんだけど、こういうことを言うと誰も来てくれなくなるかもしれないけど、自信がないです。本当に自分たちは社会の片隅にでも席が与えられているのだろうか? ただの穀潰しじゃあないかって(これは荒井だけの感じかもしれない)、でもどこかでこれでいいんだと思っていて、今回のようなことがあると俄然やる気になっているという状況です。どうか皆さん見に来て下さい。
荒井真一
予約は、下記にE-mailをお送り下さい。また、当日窓口で「CCMは革命党」と言っていただければ、予約扱いになります。

arai@ppp.kabinet.or.jp


Arai's Zanzibar Home pageに戻る