第3号(12カ月目)隊員報告書

1994年7月8日提出
荒井真一
タンザニア国派遣・H4年2次隊
職種・美術(93年6月/12月分)
配属先・住所 Nyumba ya Sanaa Zanzibar(Art Institute of Zanzibar)
c/o Wizara ya H.U.U.V.
P.O.Box456,Zanzibar,Tanzania

業務内容


A.中間報告
a.業務進捗状況
実際に業務を開始して5カ月が過ぎ、版画・美術部門のスタッフの力量も技術もだいたい分かってきた。又、局における「ザンジバル芸術の家(Nyumba ya Sanaa)」に対する態度も少しずつ分かってきた。そして業務で使用するスワヒリ語も少しずつではあるが赴任直後よりは上達し、焦らずに仕事を出来るようになってきた。
スタッフの3人(版画・美術部門)は前任者の教育の結果、木版画の技術、基本的な描写能力は獲得しているように思われた。しかし絵を描くということが何を意味しているかをあまり理解していないようで、ザンジバルの風景(ダウ船、海浜、オールドタウン等)や人々の生活(田舎の家の周り、市場等)を漫然と何の脈略もなく描き殴っているような印象を受けた。こういう絵は、はっきり言って魂の抜けた、投げやりな印象を人に与える。つまり何の感動も人に与えないものなのだ。絵には無意識のうちにしろ見る人に「作者はこれを描きたくて、どうしようもなくなって、これを描いたのだ」という気持ちを与えなければ、絵とはいえないものだ。しかし彼らの絵からはそういう気持ちを受けることができなかった。このことの原因の1つはいろいろのテーマを描きなぐっていることと、そのことによって起こる集中力の低下が上げられる。つまり本当に描きたい1つのテーマに集中して取り組む経験の欠如といったことだ。そこで6-8月にかけて、40x60cm程度の紙にインクとペンで絵を描くことにした。1つには局の方からお金が出ず版木を買えず、木版画ができなかったこともあるが、インク(黒)とペンによるドゥローイングというシンプルな描法で自分のテーマに対面してほしかったということと、木版画ではできなかった比較的大きい絵を描けるということに意義があった。また週に3点提出することにし、毎週金曜日(後には水曜日にも)、他のジャンルのスタッフも交えて作品について討論した。この過程でムチ氏は「民衆の祭りや生活」アサー氏は「ザンジバルのTaarab(大衆歌謡)と言い伝え」を装飾的に表現する、ハシム氏は「シェタニ伝説(民間宗教の主人公の悪魔)」という風にテーマをそれぞれ固定していった。これにより3人のそれぞれの個性が画面に表れ、集中力もまし、3カ月後にそれぞれの全ての作品を並べて討論した際の達成感は指導している自分にとってもとてもうれしかった。8月以降は自分のポケットマネーで(局がどうしても買えないので)版木を買い、木版画を再開した。この間の局の対応は理解できないものが、多々あった。
例えば、文化・情報省では昨年(1991年)「ザンジバルの文化と歴史」という大々的な国際会議を開き、その中のセクションに「シェタニ伝説」が設けられていたにもかかわらず、局長からハシム氏の絵は「シェタニ(悪魔)」を描いておりイスラム教を中心とするザンジバル文化に抵触するから、描くことを禁止すると再三に亙って警告された。
また自分のポケットマネーで買った大量の版木に対してプライベートで仕事は禁止されているとして撤去を勧告された。前者については省の書記官との三者会談で事なきを得、後者については版木がなければ仕事ができないこと、スタッフが勝手に買ったのではなく、荒井個人による寄付という形で理解してもらうことで了解しあった。しかし日本人には理解しがたい事態であり、ここに書く数行では表せない痛手をスタッフも私も負った。

支援体制

A.支援経費
a.当面支出を必要としているもの
制作にかかわる一切のものが必要である。局の方ではNyumba ya Sanaa建設のために予算は遣い尽くしたと言っており、紙にしろ、インクにしろ、版木にしろ全く買うことができないと言っている。前任者の段階とは異なり、版木は現地のドリアンの木、インクは謄写版インクという具合に全てを現地あるいはダル・エス・サラームで購入できるので、日本から取り寄せる必要はない。

b.プロジェクトとして取り組む必要のある業務の有無及び内容について
問題は局のNyumba ya Sanaaに対する無関心と、業務に対する無理解な突然の妨害である。例えばNyumba ya Sanaaに在中する専属のダイレクターが居ないので、局の人間はたんなる伝聞でしか、この現場を把握していないのが現状である。そして公務員であるスタッフは現場のことを一番知っているにもかかわらず、発言権を与えられていない。逆に、局の方に改善を提案すること 自体に恐れを抱いている有り様である(上意下達絶対主義=弱いスターリニズム=官僚主義)。私たちは局側と彼らの橋渡しの役をする必要がある。

B.カウンターパート
a.カウンターパートの質的水準
上記のように局の方への発言権は今のところ全くない状態であり、そのことが問題である。しかし芸術家としてはこの1年で長足の進歩を遂げ、自信も持ってきている。発言権はないものの、Nyumba ya Sanaaの運営についていろいろのアイデアを持ち始めてきており、この現場を盛り上げていこうとする気概に満ちている。

b.人数
ムチ、アサー、ハシム氏の計3人。

c.カウンターパートの所属先での位置付け
正式なことは聞けないでいるが、非公式な場所や、しばしば公式的な会議ですら「彼ら子供は」という発言が飛び出す始末である。「芸術家」という風にも全く思っていないようだ。我々が「Nyumba ya Sanaaのの芸術家たちが困っている」と言っても、「その芸術家たちとは、あの子供たちのことか?」と聞かれてしまうわけである。

C.後任の問題
a.任期延長の有無と交代の必要性
任期延長は必要である。しかし版画・美術部門は染色部門と違って不必要で早めに消滅させたいと考えている節もあり、局の方では荒井の延長も交代も希望していない。しかしスタッフにとってNyumba ya Sanaaは必要であり、技術面ではモノクロームの仕事だけの現状から色を使った作品の指導、芸術家として自立していくための考え方と実際(展覧会を開くための実際的活動)の指導、そしてNyumba ya Sanaaの運営を自分たちで企画し局を説得し維持していくためのやり方(この点は現在まで隊員が当たってきた)の指導が必要だと思う。
特に運営面での彼らの発言権を局の方に認めてもらうことが隊員の役割になろう。

b.交替要員に希望すること
技術面では、試験をパスし訓練を経てやってくるわけだから、何の問題もないと思う。ただ一刻も早くNyumba ya Sanaaがザンジバル人たちの手で運営できるように現場のスタッフと局の人間との関係を改善していってほしい。当然私も残りの任期でそのことに全力を尽くしたい。

一般状況


A.余暇活動
a.余暇の過ごし方
日本から持ってきた100枚程度のCDを聞くこと、3カ月に1回船便で送ってもらっている岩波文庫の新刊を読むこと。また直接購読している美術雑誌「Flash Art(伊)」「October(米)」「High Performance(米)」及び「噂の真相(日)」を読むこと。またズマリと言う楽器を週3回習っている。この楽器はオーボエに似たリード楽器でポルトガルから入ってきたと言われており、ペンバやザンジバル島の「ゴマ(民俗舞踊)」にはかかせない楽器であり、かつこの地域でしか使われていない特殊な楽器です。先生のコンボ氏と田舎の「ゴマ」に演奏に行き、真夜中まで参加したりします。もちろん一般観光客はそこには行けません。普通の人はショウアップされた「ゴマ」を見ているわけです。また週2回はスワヒリ語、週1回はザンジバル史の個人授業を受けています。出張でダル・エス・サラームに出たときには、もちろんモダーンなダンスも好きなので、とてもタンザニアとは思えない「ビリカナース」という高級ディスコで踊りあかします。

b.任国の人との交際のあり方
大きく分けて、スタッフ、局の人間、各種の先生、近所の人、商店等のなじみということになります。局の人間とは間違ったことを言って「負け」たらおしまいという緊張感があり、できれば交際したくありませんが、あとの全てはときどき嫌なこともあるけど、楽しく付き合っています。嫌なことの筆頭は、ここの人たちは「ダメモト」精神でなんでも欲しいときは欲しいと言うので、突然「金を貸してくれ」と言われたりすると、やっぱ、「金」かという気持ちになるけど、「俺もないから無理」と言うと、「あっ、そう」という風になって、深く考えてしまう自分が馬鹿に思えてくることも多かった。こんな風な思い違いを少しずつ発見できるのも楽しい。

c.生活上の創意工夫について
創意工夫と言えるかどうか? 自分が高尿酸症(痛風持ち)ということで、食生活に注意しています。恥ずかしい話ですが日本的食事が一番ということなので3カ月に1度「米と味噌と岩波文庫の新刊」を中心に実家から船便で送ってもらっています。その上最近ザンジバルも野菜が比較的豊富でじゃがいも、タマネギ、人参は常時、キャベツ、ピーマン、トマト、ムチチャ(ほうれん草みたいな菜っぱ)もほぼ常時、葱、白菜、大根もときどき入っていきますから、油を使わない煮物を中心に食べています。当然島なので魚は豊富で、ときどき変な顔をした熱帯魚を煮付けたりするとイケたりしてびっくりします。刺身(伊勢エビ、マグロ、鯛、烏賊、蛸等)などもときどきしますが、自分のさばき方の下手さを除けば、素材は絶対ザンジバルの方が上だと思います。日本にいるときより料理の腕は確実に上達しました。

B.コミュニケーション
a.公私における外国語の習熟度について
日本にいるときから人としゃべる必要のない時はしゃべらないタイプだったので、ザンジバルでもそういう風で、その点で他の隊員よりも遅れていると思います。それをカバーするためにも週2回個人授業を受けています。現在のところ私のスワヒリ語はストレートすぎて、きつい印象を与えているようです。これは私が仕事上ブロークンでも意味を伝えようとするタイプなので、その中で激していくためだと思う。問題は相手の言っていることを聞く能力で、まだ相手に子供に話すように言ってもらわないと理解できない状態で向上させる必要がある。とりあえず仕事上でスタッフへのアドバイス等はきつい感じでも通じているし、局の方との交渉も英語を交ぜて何とかやっているという感じです。

Arai's Zanzibar Home page
隊員報告書indexへ戻る