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     メッセージ

〈4〉預言について


 「しかし、預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。」(1コリント14:3)

 ★聖書は旧新両約共に預言者が聖霊の感動によって語った完結した神の預言です。これに付け加えたり、削除したりする者は呪われます
(黙示録22:18,19)。新約時代にも、旧約時代のように未来の出来事を予告する預言者がいない訳ではありませんが、預言の主目的は上記の三つです。「徳を高めること(オイコドメー)」は教会の霊性を強化し、信仰・希望・愛を建て上げることです。「励まし(パラクレーシス)」は被告のかたわらで彼を励ます弁護人のように、サタンの攻撃やこの世の誘惑に悩まされる信徒を神の道に励ますことです。「慰め(パラミュシア)」は悲しみや落胆に沈み込んでいる人の心の傷を癒し、霊的健康を回復させることです。
 ★預言はヨハネ11:49〜52の大祭司の預言や預言としての聖書のように、多くは冷静に、知性を通して語られます。新改訳の民数記11:25〜27の「恍惚状態で預言した」という訳は、訳者の預言に対する誤解にもとずく読み込みです。この言葉・ヘブル語「ナーバー」は「自分を預言者として示す」「聖霊の影響の下で預言する」という意味の言葉で、聖書協会訳(口語訳)のように、ただ「預言した」という訳の方が適切です。「預言者の霊は預言者に服従するものである」
(1コリント14:32)とあるように預言する者は「恍惚状態で」自分をコントロールできない状態で預言するのではありません。
 ★すべての信徒が聖書に従って預言することができます
(1コリント14:31)。礼拝や祈祷会などで聖霊が導くままに上記のような預言が自由に語られる時、超自然的に、時宜を得た、適切な言葉で教会が「建て上げられ」、「励まされ」、「慰められ」るのです。すべての預言は聖書にもとづいて吟味されなければなりません(1コリ14:29)。誤りがあれば愛をもって柔和に正すべきです。預言を教会の進路の道案内役に用いている教会がありますが、聖書という道案内以外のものを用いる事は異端への近道であり大変危険な間違いです。また、個人の進路や将来についての預言があったとしても、それに従う従わないは受けた個人の自由です(使徒21:10〜14)
 ★車でも飛行機でも何でも価値あるものは使い方を間違えると大変危険です。聖霊の賜物も非常に価値あるものなので、聖書に従って注意深く正しく用いないと教会にとって危険なものとなります。しかし、使い方を間違えると危険だからといって、車や飛行機を使わない人はその利便性を味わえません。同様に、聖霊の賜物を間違って用いる危険を恐れてこれを用いようとしないなら、賜物の恩恵に与ることが出来ず、来るべき世の力を味わい
(ヘブル6:5)、天国の香りを放つ教会へと成長することはできないばかりか、1タラントを地に埋めた僕のように主のみ心を解さない愚かな行為です。



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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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