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     メッセージ

〈37〉主イエスがベタニヤで高価な香油を注がれた出来事から学ぶ

聖書
 
6「さて、イエスがベタニヤでらい病人シモンの家におられた時、7ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、イエスに近寄り、食事の席に着いておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。
 8すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、『何のためにこんな無駄使いをするのか。9それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに』。10イエスはそれを聞いて彼らに言われた、『なぜ、女を困らせるのか。私によい事をしてくれたのだ。11貧しい人たちはいつもあなた方と一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。12この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬りの用意をするためである。13よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう』。」 マタイ26章6〜13



はじめに

 ★先日、デボーションの中で上記の聖句を読んでいる時に13節のみことばによってこのベタニヤでの出来事を当ホームページで取り上げなければならないことを示され、このメッセージを加えることにしました。

T マルコ、ヨハネ福音書との比較
 ★ヨハネ12:2からこの女性はマルタの妹マリヤであり、主イエスによって墓からよみがえらされたラザロは彼女の兄弟であることが分かります。
 ★またこの時マリヤが主イエスに注いだ香油は、マルコ14:3、ヨハネ12:3からナルドの香油だったことを知ることができます。このナルドの香油はインドやネパールで採れる植物、カンショウコウ(甘松香)の根から精製される香料で、医療的効果もある貴重な香料です。
 ★マリヤが主イエスに注いだこのナルドの香油はヨハネ12:4やマルコ14:5から当時のお金で300デナリ、現在の金額に直すと300万円相当の高価なものでした。


Uこの出来事に対する弟子たちの反応

 ★このマリヤの行為に対する弟子たちの反応は上記4節の、
 
何のためにこんな無駄使いをするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」
 という言葉に言い表されています。

 ★この言葉はイスカリオテのユダが発した言葉でありましたが
(ヨハネ12:4)、上記8節がこの言葉を弟子たちの言葉としているところから、このユダの意見は他の大多数の弟子たちの心の中の思いを代弁するものであったと断言出来ます。
 ★ユダが代弁するこの時点での弟子たちの考えを言いかえるなら、「キリストのためにお金を使うのは無駄使いであり、慈善運動や福祉活動などの人への奉仕のために金を使う方がはるかに善いことだ」、ということになります。
 ★この時点での弟子たちのキリスト信仰のレベルはこの程度のきわめて幼稚な、世俗的なものでした。
 ★この意見を代弁したユダ自身は貧しい人々への思いやりなど微塵も持ち合わせておらず、会計係の立場を悪用して教会の金を盗んでいた事実を隠すための隠ぺい工作として口走ったに過ぎませんでした
(ヨハネ12:6)
 ★人類の救い主として十字架にかけられようとしておられた主イエスに注がれた300デナリの香油を無駄遣いと決め付けたユダは、この後、銀30枚(現在の円に換算して数千円から一万円程度)で主イエスを敵の手に売り渡し
(マタイ26:15)、最終的に自殺という方法で自分の貴重な命を無駄遣いしてしまいました。実際、マタイ7:13の滅びに至る門のその「滅び」というギリシャ語はユダが言った「無駄」のそれと同じ「アポーレイア」という語が使われています。唯一の救い主イエス・キリストを拒否して滅びるということは、ユダと同様人生を無駄遣いするに等しいのです。

Vこの女性のしたこととそれに対する主イエスの評価
 ★マリヤがこの時高価な香油を主イエスの御からだに注いだのは、聖霊に感動してした事であって、マリヤ本人はそのことの意味を理解していなかったとジョン・カルビンはヨハネ12:7の注解の中で語っています。筆者も最近までそのように理解していましたが、上記12節やマルコ14:8が「マリヤはキリストの葬りの用意(新改訳「埋葬の用意」)のために注いだ」と語られており、その行為が彼女の記念となるべき行為であるなら、意味も分からずに、衝動的にやらされた、あるいはやった行為であったとは理解しがたいことです。
 ★行動型の姉マルタと違って妹マリヤは主イエスの御前に座って、その話にじっと聞き入る人でした。御言葉に熱心に耳を傾けていた人だったからこそ、主が再三再四語られた十字架の死を男の弟子たちより先に理解し、用意しておいた貴重な香油をタイミング良く注いだのでした。
 ★このマリヤのように、また使徒行伝に出て来るベレヤの教会の人たちのように絶えず御ことばに耳を傾け、みことばによって事を確かめ、真理を追究して行くなら
(使徒行伝17:10,11)、日々信仰のめぐみに成長できるでしょう。マリヤと同じ御言葉を聞いていた男の弟子たちがまだ達していなかった信仰の高根にマリヤが一足先に到達していたことから、聖書の熱心で謙虚な学びが如何に豊かに報いられるかを悟らされます。
 ★それにしても、幾万幾億の人々を地獄の滅びから永遠のいのちに救う主イエスの十字架と復活を理解せず、ナルドの香油で主イエスを賛美し、ほめたたえ、埋葬の用意をしたマリヤの偉業を無駄な行為とさげすむとは、この時の弟子たちは何とレベルの低い幼稚で世俗的なクリスチャンであったことか。
 ★ナルドの香油の一件は、一概にクリスチャンと言われる人々にもその人の達している霊的レベルには天地の差があることを物語っています。マリヤのように主イエスを喜ばせる信仰とその証としての行いのレベルに到達し、更に上を目指して成長する者となるためには、何よりもまず、マリヤのように主のみことばを熱心に学ぶことから始めなければなりません。

 ★主イエスが、10、13節で

私によい事をしてくれたのだ。・・・・・よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」

 と言われた御言葉について考えてみましょう。

(A)よい事
 ★「よい」という新約聖書のことばギリシャ語にはここで使われている「カロス」という語のほかに「アガソス」という語もあります。アガソスの方が実際的、道徳的によいものを指すのに対して、カロスは実際的、道徳的によいばかりでなくその上に審美的にもよい、目に美しく、喜ばしいものを言うとギリシャ語学者のW.バークレーが書いています。
 ★この女性は聖書的に道義的によいことをしただけでなく、キリストにとってもかぐわしく喜ばしい素晴らしい善行をしたと主イエスは高く評価しておられるのです。

(B)記念として語られる

 ★聖餐式の時に、主イエスの十字架と復活を思い起こすべきであるように、キリストの福音が語られる所では、この女のしたことも
語られなければならない。と主が言われたと理解していいでしょう。
 ★人類の罪の贖いのために十字架の上で流された御子イエスの血潮の絶大な価値をこの女のように悟り、自分のなし得る最大限の感謝と賛美と犠牲を捧げて、キリストの血潮を受け入れてほしいと、主は願いこの女のしたことが福音宣教と共に信徒の手本として語られることを期待しておられるのです。

結び
 ★短い、つかの間の人生において、私たちキリスト者は何よりも先ず、このマリヤのように主のみことばに耳を傾け
(ルカ10:39)、全身全霊を傾注して神のみ言葉聖書の学びに励み、日々の生活の中でみことばを実践して行きたいものです。



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キリスト紀元2009年 6月 24日公開


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