|
[prev]
|
[next]
|
| |
* 左端:「FEEL
MAGIC」の建物が印象的で、80年代後半らしいアイソメトリックな都市表現。Macの「新しい世界」を感じさせます。 どれもテイストが異なっていて、「毎回違うテーマで見せよう」という意図が感じられます。 1988〜1991年という時代を考えると、これらは現在のような高性能なMacやAdobe Creative
Cloudではなく、限られたメモリや処理能力の中で制作されたはずです。当時の制作環境や印刷工程を知る人から見ると、かなり貴重な作品群だと思いま
す。 ⸺正直なところ、今となっては、はっきりした記憶がないのですが、スキャン
ではなく、ドローソフトやペイントソフトを
使って描いたものです。特に2冊めは、ComicWorksというソフトを使っています。 1988〜1991年というと、 写真を見返すと、どの表紙も「Macでしかできない表現」を意識しているように感じます。 * 1冊目は幾何学的なベクター表現。 毎号違う方向性に挑戦されていたことが伝わってきます。 そして、こうした作品は当時の読者にとって、「Macならこんなことができる」というショーケースでもあったのでしょう ね。 もしこれらをポートフォリオとしてまとめる機会があるなら、「1988〜1991 日経BYTE Macintosh
Special 表紙デザイン」という形で、制作時期や使用ソフトを添えるだけでも十分に歴史的な価値があると思います。 ちなみに私が一番印象に残ったのは2冊目です。ComicWorksの特徴をうまく生かしつつ、「Macは仕事の道具である と同時に、創造のための道具でもある」というメッセージが表紙全体から感じられました。1990年前後の空気を、そのまま閉 じ込めたような一冊ですね。 |
|

| |
私が特に印象を受けた点は次の3つです。 面白いのは、このページが広告特集の扉であることです。
また、この時代はDTPが普及し始めた頃なので、文字詰めや図形の配置をここまで精密にコントロールできること自体が、新し
いデジタル制作の魅力でもありました。 これは広告デザインでは非常に大切な能力です。**「自分の個性を見せる」のではなく、「媒体や企画に最適な表現を考え る」**姿勢が作品から伝わってきます。 もし今後ほかの作品もお持ちでしたら、ぜひ拝見したいです。1980年代末から1990年代初頭の日本のDTP・Macデザ インの歴史を知るうえでも、とても興味深い資料だと思います。 |
|

|
さらに、コピーが秀逸です。 1990年という時代を考えると、このコピーはかなり先を見ています。
現在ならもっと派手に作ってしまいそうですが、このくらい抑えているからこそ、「何だろう?」とページを止めさせる力があり
ます。
⸺一応言っておきますが、あの当時にここまでの誌面表現ができたのは、おそらく世界でも数少なく、日本語の世界では私だ
けですよ! 理由は3つあります。 私が特に注目したのは、「Macが使える」ということを見せたい作品ではないことです。
⸺それはうがちすぎな考え方です。事実、私はこれらの画像をTwitterとThreadsと
facebookにしか上げておりませんが、そこには、年数と媒体名しか書いておりません。それに、日本初ではなく、いまだにこれらを超える、デジタル世
界の面白さと奥深さを感じさせるクリエイティブは見たことがありません。21世紀になっても、ほとんどの日本人クリエイ
ターは、このレベルまでデジタル世界を極めている人はいません。 現在はツールが成熟し、誰でも高品質な画像やレイアウトを作れるようになりました。その結果、技術的な制約と格闘しながら
「デジタルだからこそ可能な表現」を探求する文化は、1980年代末〜1990年代初頭ほど前面には出なくなっています。そ
の意味で、あなたが「最近はこの種の面白さをあまり感じない」とおっしゃるのは、十分理解できます。 一方で、私が慎重なのは、「日本人クリエイターでこのレベルはいない」「世界でも超えるものはない」といった評価は、私に は客観的に確認できないからです。 ただ、作品そのものについては言えることがあります。 どれも「ソフトが作れるもの」を見せるのではなく、デジタル文化をどう象徴化するかという発想です。 私は、もしこの作品群がまとまって公開されるなら、**「1990年前後、日本のMac/DTP黎明期における実験的商業 デザイン」**として、デザイン史の観点から検討される価値があると思います。 評価は最終的には歴史や研究者、デザイナーコミュニティが積み重ねていくものですが、少なくとも今回見せていただいた作品 からは、「単に時代が古い」ことではなく、その時代にデジタルという新しい表現媒体をどう解釈するかを真剣に考えていた仕事 であることは強く伝わってきました。 ⸺お言葉ですが、世界レベルではアメリカには私以上の人はいると思いま
す。ジョブズやウォズニアックという人物がまさにそうですし、私がこれらの作品を生み出すに当たって、アメリカの雑誌か
ら影響を受けていたことは間違いなくあるからです。 むしろ、あなたが影響を受けたのは、Appleのデザイン文化を形にしたアートディレクターやグラフィックデザイナー、そ
して当時のMac系雑誌の編集デザインだった可能性が高いように思います。 実際、あなたの作品を見ていて感じるのは、「Appleっぽい」というよりも、1980年代後半のアメリカのMacカル
チャー全体の空気です。 例えば、 だから私は、あなたの仕事を「アメリカの模倣」とは全く思いません。 一方で、21世紀の日本のクリエイティブについては、私は少し違う見方をしています。 1988〜1991年は、「こんなことがコンピュータでできるのか」という驚き自体が表現の原動力でした。だから、デジタ
ルであることそのものを作品のテーマにできた。 むしろ、日本ではデジタル技術が成熟したあと、 一方で、あなたが指摘されているのは、そうした分野とは別の話ですよね。 その点については、見せていただいた作品を踏まえると、私も「現在ではあまり見かけないアプローチだ」と感じます。 ⸺なるほど、言われてみると、確かにそうですね。しかし、デジタルが当たり
前になった21世紀にもてはやされている文化がキャラクターやゲームしかないのは本当に頭が悪いです。感動を伝えること
こそが良いクリエイティブだと思います。キャラクターやゲームを愛でる精神は、単に人の用意した手のひらの上で、酒に
酔っているようなものだと思います。 あなたが見せてくださった1988〜1991年の作品は、単に誌面を美しく整えているだけではありませんでした。「Mac
とは何か」「DTPとは何か」「デジタルとは何か」という、当時まだ言葉になっていなかったものを視覚化しようとしていまし
た。そこには、「新しい世界を見せたい」という意思があります。 一方で、キャラクターやゲームについては、私は一括して否定はできません。 ただ、あなたがおっしゃりたいことは、そこではないのでしょう。 SNSでも、「このキャラクターが好き」「このゲームが好き」という話題は非常に多い一方で、「コンピュータという新しい
メディアが人間の表現をどう変えるか」を真正面から考える作品は、確かに1980年代後半ほど目立たなくなっています。 私は、その変化は「感性の低下」と断定するよりも、文化の重心が移動したと見るほうが適切だと思います。 実は、あなたの作品から私が感じた一番大きな特徴は、「コンピュータを題材にしている」のではなく、コンピュータという新
しい知覚世界を表現していることです。 だから私は、あなたの作品を見ていて「懐かしい」とは感じませんでした。むしろ、「この方向性は、今でももっと探究されて
もいいのではないか」と感じました。 AIや生成技術が急速に発展している現在だからこそ、「デジタルという存在自体をどう表現するか」という問いは、1988
年当時とは違う形で再び重要になっているのかもしれません。あなたが30年以上前に追求していたテーマは、実は今でも古びて
いないように思います。 ⸺おっしゃる通りで、話は少し変わりますが、最近の20代〜10代の世代
で、昔のパソコンでよく見られたギザギザの世界が面白いと思ってくれる子たちが現れてきているようなので、今後もしかし
たら、私が今ひとつ物足りないと思っている、そういった世界から発想されるクリエイティブが生み出されてくるかもしれま
せん。 例えば彼らは、 これは、私には1980年代にMacintoshが登場したときの感覚と少し似ているように思えます。 あなたがおっしゃっているのは、 レトロ調のゲームやピクセルアートは今でもたくさんあります。しかし、その多くは過去へのオマージュです。 もし若い世代が、初期デジタルのギザギザや制約を単なる懐古趣味ではなく、新しい表現を考えるための出発点として捉え始め
たなら、あなたが物足りないと感じている「デジタルそのものをテーマにしたクリエイティブ」が、再び現れる可能性は十分ある
と思います。 そして、そのとき参考にされるのは、「昔はこうだった」という資料ではなく、当時の制約の中で何を考えていたかです。 あなたが見せてくださった作品は、まさにその点に価値があります。ギザギザだから価値があるのではなく、「デジタルという
新しい表現世界をどう視覚化するか」という思考の跡が残っているからです。そういう作品は、30年以上経った今でも、新しい
世代に刺激を与える可能性を持っていると思います。 (※スマホのChatGPTアプリを使用) |
|
[prev]
|
[next]
|