私が 今 取り組んでいる新別読み(≒新連想2ストローク)には いくつかの法則性がありますが、 この方式もそういったものの1つです。 具体的な例は、変則読み資料を参照していただくとして、 日本語には、標題のような読み方の変化をするものが 時々あり、 しかも、我々は日常的に 何気なく使っていたりします。 「パッチム」とは、ハングルの用語ですが、 日本語(漢語)でいうと、「入声音」といいます。 わたし的にいうと、“音尾”ということになります。 (言葉の用法としては 異なりますが、実体としては同じです) 具体的にいうと、旧読みの「〜ふ」が 「〜う」になってしまう(させられてしまった)ことです。 「立」が「りつ」とも「りゅう」とも読むのが、それに当たります。 これは、もともとは「りふ」なんですね。 (同じものとしては 他に「執」があります) 「ふ」は 決して「う」の 旧仮名遣いでは ありません。別ものです。 さらにいうと、「ふ」は「ぷ」と読むのが 正しいんですね。 このため 私はこれを、あえて音尾という概念から離れたものとして アプローチしたい時に、パッチムということにしています。 パッチムとは、正しくは 子音で終わる読みのことです。 日本語には 本来ないものですが、 現在では「ん」が 唯一、それであるといえます。 (これは もともとは「む(无)」からきているのですが) 日本語のパッチムには、大きく分けて5種類しかありませんが、 ハングルには、この他に「る」や「ぷ」などがあります。 (詳しいことは 知りません。勉強中です...^^;;;) これらの不思議/共通性を理解するには、 漢字のふるさと中国における、 古代の読み方をひもといていく必要がありますが、 私は 学者でもないので、詳しいことは わかりません。(^.^;;; ただし、現代中国語と比べてみても、 「二」や「耳」は「er(アル)」ですから、 パッチムと中国語の読みとは、 かなり密接な関連性があるものと推測されます。 さて、ここで 再び、 日本での具体例に即して 変則読みの説明をすると、 我々が日常的に「〜つ」だと思い込んでいるものの中にも、 たくさんの「パッチム変化型」といってよい、 先覚的(?)な読みがあります。 例えば、「雑」は、今のほとんどの人は「ざつ」だと思っています。 しかし、これは「ざふ(ざぷ)」と読むのが 正しいのです。 というか、そういう意識を持つ必要が あります。 そうでないと、なぜ「雑菌」が「ざっきん」なのに、 「雑巾」が「ぞうきん」なのか、説明がつきません。 これは、もともと大昔の日本語では、 「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音されていたので、 日本読みで「ざぷ」と発音していたものが 「ざふ」と表記されていたんですね。 これが、その後、ハ行とパ行が分かれた後に、表記だけが残って 「ざふ」が「ざう(→ ぞう)」と読まれるように なってしまったものなのです。 また、発音のほうが残ったものは、「ざぷ」が音便化し、 さらに直音化して「ざつ」として“定着”したわけです。 これと全く同じ例というのは「摂(攝)」しかありませんが、 その変遷の途中形態や、枝分かれしたものなどを含めれば、 たくさん似たような例があります。 よくあるのは、「〜ぷ」が音便して、そのままになっているものです。 例えば、「納豆」「納品」など、 我々が日常的に何気なく使っている、これら2通りの読みも、 もともとは「なふ/なぷ」から発しているとわかれば、 “納得”できるのではないでしょうか?(笑) このような例は、「変則読み資料3」の中にまとめてありますので、 興味のある方は 参照してみてください。 (※こういうのを専門用語(苦笑)では「フツ相通」というらしいのだが、 わかりにくい上に“現状”を正確に把握していない。) (※ちなみに、漢和辞典では「ぷ(p)」で終わる音を「っ」に置き換えて、 見出し語としていることがあります。) なお、この「パッチム変化型」は、「ふ」だけではなく、 数は少ないですが、「う」でも起こります。 さらには、また、すごいことに(笑)、 これらの変化が「っ/つ」ではなく、「く」や「ん」になったり、 その反対に、「く」が「う」になることも、時々あります。 例えば、「甲板」「比較」「祝儀」「格子」などです。 (ちなみに、「く」が「う」になる音便は、現代日本語でも、 形容詞のウ音便として、時々みられます。 例:「よろしく」→「よろしう」→「よろしゅう」) また、稀に、特殊な変化として、「三」のように、 「む」が「う」になるケースもあります。 (「さむ」→「さう」→「そう」,例:「鑑三」→「かんぞう」) これらに共通してみられることは、 かなり古くから使われてきた言葉であるほど、 読みの変化があるということです。 しかし、逆に、最近になって起こった変化というのもあります。 それが「現代仮名遣い」です。 これによって、「ふ/ぷ」は すべて「う」に 統合され、 また、「〜ゃう/やう」は「〜ょう/よう」に 統合されてしまいました。 (さらに「せう」などが「しょう」などに統合) もちろん、すでに当時の日常的な読み方がそうなっていたのですから、 あえて表記にこだわる必要性はないわけですが、 今となってみると、少々惜しいことをしたなと思うこともあります。 それが「同音異義語」の増加ということですが、 それに関しては、すでに他のページで言及しているので、 ここでは 繰り返さないことにしますが、 上に述べてきた通り、音の変化というものが、 これまで日常的に、かつ、 人為的にも行なわれてきたものであるならば、 もはや、現代表記にこだわる必然性・根拠は 全くないわけです。 まして、打ち言葉としては、どのように打ってもいいわけですから、 せっかくの文化遺産を活用しない手はないですし、 また、先人の知恵にならって、 “読み”という名のリソースを有効活用するという観点からも、 日本語のこのような性質を、うまく利用しない手はないと思うのです。 なお、誤解しないでいただきたいのは、 私が主張しているのは、決して、単に 旧仮名遣いを復活させよとかいうことではなく、 日本語の音の変遷にならって、先人の知恵を、今また、 文字入力の際に 応用できないものかという呼びかけであり、 試みであるということなのです。 (「雑菌」と「雑巾」を 使い分けられているように) また、その際には、言うまでもなく、 古代の読みやハングルの読みを参考にし、 できれば、現代中国語の読みのパターンをも、 反映したものにしたいと思っています。 |