和平の2対目の狛犬を見つけるには、3年以上かかった。
1999年12月に訪ねた古殿八幡神社の狛犬が忘れがたく、天才石工・小林和平の狛犬は他にないのだろうかと、古殿町周辺を探索する旅を計画した。
長いこと狛犬を見てきたが、あの狛犬を見てからは、大正から昭和初期にかけて、狛犬文化は技術的にも美術的にもピークを迎えたのではないかと思うようになったのだ。
もちろん、江戸期の逸品もそれなりに風格があり、味わい深い。しかし、技術や芸術性では、やはり明治以降、特に、狛犬のデザインが一時的に開放された大正から昭和初期にかけて、天才的な石工が何人か現れ、傑作を残している気がする。
西船橋の春日神社にいる「クッキーモンスター狛犬」などはその好例だろう。表情の豊かさは抜群で、まるで生きているようだ。
しかし、それと比べても、古殿八幡神社の狛犬は卓越している。
技術面もさることながら、ユニークな顔立ち、自由奔放な構図、大きさ、細部にまで手を抜かない彫りの細かさなど、他の石工の追随を許さない感がある。
時間が経つにつれ、小林和平という石工にますます興味がわいてきた。
地元の石工であることは台座の銘からはっきりしている。WEBで検索したが、小林和平の記録は見つからなかった。
そもそも、古殿町のある石川郡というのは、福島県の南端にある山間部で、交通の便は最悪。車で行くにしても、いわき側、白河側、どちらからも遠い!
地図で見ても、周りにそれほど多くの神社はないし、小林和平の狛犬が他にいるのかどうか、非常に心細くなる。
そこで、石川郡の神社をWEBで検索し、地図に漏れている神社もチェックしてみた。
すると、石川町の役場裏にある石都都古別(いわつつこわけ)神社というのが有名らしい。
石都々古和気神社とも書くようで、一の宮に数えているサイトもあった。
しかし、この神社を紹介している複数のサイトを見ても、狛犬の写真は見つからないし、狛犬のこの字も出てこない。和平の狛犬なら、見ている人の記憶に残るはずなので、あれば一言くらいは触れていてもよさそうなものだ。何も出てこないということは、おそらく狛犬のいない神社なのだろう。
巨岩がゴロゴロしている山にある神社で、興味は引かれたが、狛犬はいないものと思っていた。
しかし、他にもいくつか神社の目星をつけて、南福島を再訪することにした。
前回は棚倉側から入っていったので、今回は逆にいわき側から目指すことにする。
石川郡でろくな狛犬が見つからない可能性が高いため、いわき市内の神社もある程度見て回るという計画だ。(そのときの行程は
こちら)
狛犬はいないだろうと思って訪れた石都都古別神社参道入り口で、なんと、古殿八幡神社の2年前に建立された和平狛犬に出逢えた。
このときの感動も大変なものだった。「やっぱりいたのだ」という喜び。思わず「おおー!」と大声を上げてしまったほどだ。