自らの問題として考えられる情報公開こそ必要
  “市役所地下食堂の弁当は400円なのに、学校給食は一食700円もする”といったたぐいの話が市当局から盛んに出されている。こうした喧伝を、市長は「戦略的情報公開」と呼んでいるそうだ。

 悪く言えば「情報公開」をリストラ推進の道具として活用しているよう思えるし、市民の関心を意図的に引いて、どういう反応が市民や職員の側から出てくるかを計っている風にも見える。リストラをやれという市民の声が出てもよし、市長流に言えば職員が汗をかく覚悟をしてくれれば、それでもよしなのかもしれない。

 ここでは「一食700円」の内容にはふれないが、こうした情報公開が市民をどういう存在としてとらえているのか、またそのもたらすものが何かは、気になるところだ。

 というのも、この「一食700円」という情報は、市民が学校給食を自らの問題と受け止めて考えていこうとするには極めて一面的で、責任をもってこの問題を考えていくには不十分と言わざるを得ない。たとえば学校給食は単なる昼食ではなく学校教育の一環として行われているのだから、子どもの健康や成長、「食」の問題状況などと一緒に、その意義や可能性についても情報提供がなされるべきだろう。そうすることで、市民は学校給食の意義や役割、またそれにかかっているコストも良く理解した上で考えることができる。

 一面的な情報だけを提供することは、行政がその業務をスムースに運ぼうとするときに良くやる手で、いわば市民を丸め込むやり方。市民を主人公と見ず、単なる「お客」と見る発想があるように思えてならない。そこからは、市民と行政の真のパートナーシップは生まれないし、真に市民の声を生かした行政施策も望めない。結果としてもたらされるものは、行政への不信感ではないか。

 これは学校給食問題だけに限ったことではなく、市政のあらゆる分野について言えることだと思われる。市民が行政課題を自らの問題として考えることができるような、真の情報公開と考えあう場の保障こそが、これからの自治体に求められているのではないか。行政自身の当然の仕事として、行政にとって都合の良い情報だけでなく、市民が自ら考えていく際に必要なものなら提供していく姿勢をとりたいものだと思う。そういう仕事の質こそが市民と行政の信頼関係を生み、市民本位の市政を作り出す道ではないだろうか。