世界文学大全集「読まんでよい」第二回配本 

メルヴィル「白鯨」


ここんとこも別に読まんでよい。

さて。
第二回配本を「白鯨」にしようと決めたのは、正直言ってラクをしようと思ったからだ。基本的なストーリー・ラインはあまりに有名だし、「お子様版」で読んだことだってあるし、グレゴリー・ペックの「映画版」だって観たことがある。だから原作なんてすんなりと読めるはずだったのだ。ところがぎっちょん(←死語)これがとんだ大間違い。こんな読みにくい話もそうそうあるもんじゃない(と思う)。なにしろ最初に「白鯨」を手に取ってから読了するまでに2年と6ヶ月かかった。冒頭から何が書いてあるのかさっぱりわからなくて、苦労しつつ読み進んでも最初の5〜6章(全部で135章もある!!)で止まってしまう。これではいかんと思って読み返すんだが、やっぱり先へ進めない。クィークェグと何回添い寝したのか数え切れないほどだ。とにかくね、教養深く格調高い語り口、物事を形容する度ごとに止めどなく奔出される比喩と暗喩、鯨への微に入り細に入る博物学的記述、どれもこれもじゃまだ! せっかくの「海洋冒険小説」にいつまでたってもたどり着けない。それがブンガクのキモだっつーなら、ブンガクなんてまっぴらごめんだね。

だがしかし、本を投げ捨てる前にふと思った。もしかして難解さの一因(最大要因?)は例によって訳文にあるのではないか。

「白鯨」は19世紀アメリカ文学の最高傑作とも、「リア王」「嵐が丘」と並ぶ英語で書かれた三大悲劇のひとつとも言われている(もっとも、それだけの評価が与えられるようになったのは1851年の発表から70年、メルヴィルが死んでから30年経ってのことだったが)。偉大な「文学」であり、翻訳するのだってお偉い学者先生だったりするわけだ。訳す上で「平易な読みやすさ」というものは考慮の対象外なのではないか? とか考えてたら世の中には「これまでの訳本に比べたら格段に読みやすく面白い 白鯨」というものがあることがわかった。それが講談社文芸文庫から発刊されたばかり(!!)の千石英世訳版というやつで、もう、俺のために出してくれたんじゃねーのか、というくらいのグッドタイミング。実際にはこれだって相当に読みづらいものではあったのだが、正直、この本がなかったら「白鯨」はまだ読み終わってない。

まあとにかく、それでとりあえず最後まで読み通してはみたわけだ。それで言えるのはね、やっぱりとにかく、物語の全体にわたる教養深く格調高い語り口、物語の全体にわたる物事を形容する度ごとに止めどなく奔出される比喩と暗喩、物語の全体にわたる鯨への微に入り細に入る博物学的記述、どれもこれもじゃまなんだよ! あと、一人称のくせに語り手・イシュメールのキャラクターが明確に示されないのも物語に入って行きづらい理由のひとつだ。銛打ちクィークェグやエイハブ船長を始めとして、主要登場人物には(それなりに)キチンとした人物造詣がなされているからこそ、かえってイシュメールに対して「お前は何者なんだよ!」と言いたくなってしかたがない。悲劇を回想の形で語るわけだから、重苦しく陰気で意味ありげなのは当然としても、語り手に当事者らしさが皆無なので臨場感がゼロだ。だからどんなに苦しく辛く困難な航海だと言われても、字の上のことでしかない。小説としてはいかがなものか、と言いたくなる。

それでもさすがに後半の後半、いよいよ白鯨の影が見えてくるあたりから一気にカタストロフィに突入する部分は(比較的)すいすい読めるようになってくる。余計なブンガク的障壁もネタ切れしてるのでテンポもいい。ただしそうやってたどり着いたエンディングは「ここまで引っ張っておいて、その幕切れはなんだよ」と言いたくなるくらいに、余韻がない。生存者でもあるイシュメールが自身について語ることを拒んでいる以上、当然と言えば当然ではあるんだが、なーんの感動もない。

だから読み終わっても残るのは「疲れ」だけだ。

復讐心に囚われたキチガイ船長と邪悪で巨大な白い鯨を巡る捕鯨航海という基本の話は面白い。何度も映画化されるのも当然だ。ところどころあるユーモアらしきものもそれなりに効いている。だがしかし、それはやはり「海洋冒険小説」部分に付随するものであり、全体を覆う陰々滅々とした重苦しさはまさに「悲劇文学」だ。しかも、大長編というほど長くはないにしても、密度の濃さは実際の量を10倍にも20倍にも感じさせる。生半可な体力では読了できないだろう。実際、発表時にはなんと「狂人文学」という酷評まであったらしいが(それはそれでステキな呼び名ではある)、ちょっとまともな小説でないことは確かだと思う。

かの名作映画「メジャー・リーグ」のワンシーンを思い出していただきたい。図書館司書である元恋人とよりを戻すことを望んだキャッチャー(ジェイク・テイラー=トム・ベレンジャー)が彼女と話を合わせようとして読むのは、コミック版の「モービー・ディック」である。これこそがまったくもって正しい「白鯨」の読み方であろう。それで十分。

なので読まんでよい


世界文学大全集 「読まんでよい」
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