vol.1 フィールドデータ '04年10月3日
こうした雑記風のものを書く最初のテーマを何にしようかと思案しましたが、私の植物とのつきあいの根にあるものは、野生へ近づきたいと願う心であり、それでこのことばを選びました。フィールドデータとは、植物たちのオリジン、つまり故郷の野山を特定する情報のことです。云ってみれば植物たちの戸籍台帳のようなもので、あるサボテンなり多肉植物が何処の国のどの山に生えていたのかを証明するための記録です。そして私たちがある植物を別の植物と区別するための根拠でもあります。
サボテン・多肉の園芸では、しばしば「純系」という言葉が語られ、それが大切なことであると考える人が多いようです。しかしこの「純系」という言葉が何を指しているのか、とても曖昧な場合が多いのです。多くの園芸家は、あるサボテンがその名に正確に照応される植物であるとき、これを「純系」と呼んでいます。そもそものオリジナルである、またはオリジナルに忠実である、と云うことに敬意をこめてそう呼ぶ訳です。しかしその判断は、概ねその植物の見た目の特徴が、ある基準に合致するかどうかに依っています。多くはドイツあたりの古い文献に記載されている特徴の孫引きだったり、有名栽培家が「○△玉は××でなければ」等と発言したことが根拠になったりしていて、概ねひどく単純化されています。実際、古い時代には学者も愛好家も自生地など訪ねることは少なく、遠い外国から届いたサボテンたちを机の上に並べ、干からびた標本を見た目の特徴だけで区別したり名前をつけたりしていたのだから仕方ありません。しかし、自生地の調査が進んだ最近では、同じところに一緒に生えている同一種を、ちょっとした個体差からいくつもに分けてしまった過去の間違い等が多く判明しています。つまり生物のグループを正確に分類するためには、標本個体の見た目の特徴だけでは十分ではなく、遺伝的特性や生活史なども含めて検討することが必要なのです。
もし、「純系」と云う言葉が植物の「種」としての”純粋”さを指すものとして考える場合(多くの栽培家は漠然とそう考えていると思いますが)、それは野生に生育していたときの遺伝情報が栽培下でもそのままの形で継承されている、という意味になるでしょう。しかし、その点はしばしば倒錯しています。例えば、ギムノの天平丸のなかで”刺が球体に沿い、猫爪のように下向きに出るタイプ”を「純系マジョール天平丸」などと呼んでいますが、実は同じ山に様々な刺タイプの天平丸が生えています。つまり野生の
Gymnocalycium spegazzini var. major のうち、特定の遺伝情報を持った個体だけを人為的に選択してそう呼んでいることになります。もちろん、鑑賞価値のある特定の「顔」を珍重し系統繁殖することが悪いわけではありません。それによって、特定の特徴については遺伝的に固定した”純系”に近付いてゆきます。しかし反対に、本来その種が持っていた遺伝的多様性は失われ、野生種からはむしろ隔たってゆくわけです。ある個性を園芸的に純化させることと、オリジナルの野生植物の遺伝情報を保持することはまったく別のことなのです。
では見た目の特徴だけで、ある植物をほかの植物から区別するのが難しいなら、どうすれば良いのか。DNA解析などと云うのは簡単ですが、多くの栽培家や研究者にとって現実的ではありません。そもそも「種」とは何か?という問い自体、定見があるようでない、難解なテーマです。そんなものそもそも幻想だ、と極論する人さえいます。しかし、魅力的なサボテンや多肉植物たちに「名前」を与え区別し、それぞれの遺伝的特性を維持してゆける便利な括りがあります。それが、産地情報なのです。故郷の原野で恒常的に”家族生活”を送る個体群、即ち花粉を交換し合うことで共に子孫を残している植物のグループを、ひとつの単位とする考え方です。
サボテンや多肉植物につけられている「○×丸」とか「○△玉」と云う種名は、ラテン語表記される学名(例:鸞鳳玉=Astrophytum
myriostigma)に照応しています。しかしそれだけでは、同じ種(学名)だが産地によって異なる特徴を持つものや、どの学名を当てはめるべきか定かでないもの、未だ記載のない新種など、区別することが出来ず困ってしまいます。そこで産地データが有用になるのです。先に述べたとおり、殆んどの植物の種は特定の自生地(産地)に一定数の集団をつくって生育しています。植物たちの生殖はふつうこの集団のなかで行われるため、各個体は遺伝的に平準化され、ある程度のバラツキはあるとしても似たような特徴を持つ植物のグループが形成されます。この、産地ごとにまとめた最小限のグループを、ちょうど人間社会で云う”家族とか部族”のような単位として区別しようと云うのが、フィールドデータ(産地情報)による整理なのです。これにより、ある場所でまとまって生活し遺伝的特質を共有する植物たちを、名前のあるなしや分類同定の精度にかかわらず、他と区別することが可能になります。
エキノマスタス ”SB452”
濃ピンクのストライプ花をつける異色のエキノマスタスだが、まだ学名がつけられておらず、Steven
Brack氏のフィールドナンバーのみで流通している。産地はメキシコ・コワウィラ州のクワトロシェネガス。同属のワルノッキーの類縁種として発表されているが、特徴も自生範囲も異なっている。むしろギムノカクタス(ツルビニカルプス)の白狼玉系に近い点もあり、他属への橋渡し的な位置にあるとも思える大変興味深い植物だ。もし、このサボテンにフィールドナンバー(産地データ)がなければ、得体の知れぬ雑種サボテンとして扱われ、もはやどこの栽培場にも残っていないかも知れない。
Echinomastus sp SB452 aff warnockii
Cuatrocienegas, Coahuila, MEXICO
たとえば強刺サボテンの人気種に、太平丸という種があります。このサボテンは、アメリカ中西部からメキシコの中部までとても広い範囲に自生していて、それぞれの地域に独特の個性(顔)を持った個体群が生育しています。しかし、学名で云えばすべて
Echinocactus horizonthalonius となり、ひとつの種(太平丸)とするのが定説です。日本では色々な地域から来た太平丸に「雷帝」「花王丸」「ニコリー」「尖光丸」などの愛称をつけ、区別して栽培しています。例えば「雷帝」はメキシコ・コアウィラ州南部のある地域、「ニコリー」は合衆国アリゾナ州…と、特定の産地からやってきた似通った特徴(顔)の太平丸につけられた愛称なわけです。いずれも太平丸ではありますが、それぞれは生殖的にほぼ隔離され、独自の適応(進化)過程を歩みつつあると思われます。やがてそれぞれの「太平丸」たちが、異なる「種」に分化してゆくこともあるかも知れません。いまのところ、そうした様々な「太平丸」たちの分化は相互交配が可能な範囲にとどまっているようで、栽培場では色々な産地の「太平丸」をごちゃまぜにかけあわせて種を取ることが可能です。しかし、自然環境下ではアメリカ・アリゾナ州の「ニコリー」とメキシコ・コアウィラ州の「雷帝」が花粉の交換をすることはまず考えられません。同じ「太平丸」だから何と何を掛け合わせても問題がないか、というとそうでもないわけです。産地の違う「太平丸」どうしの掛け合わせでは、それぞれのオリジナルな個性、特徴は失われます。その子孫は自然界には存在しない園芸雑種と云うことになります。
では「雷帝」を「雷帝」たらしめるもの、「ニコリー」を「ニコリー」たらしめるものは、何か。それは故郷の山で培われた遺伝的個性のすべてです。刺の色や長さなどの見た目の特徴も参考にはなりますが、それはごく一要素に過ぎません。遺伝的特性は見た目に表れるわけものだけではないからです。例えば、土壌への順応、寒暑乾湿への耐性など、環境に対する適応力は最も重要な要素です。同じ太平だからと云って、メキシコの「雷帝」が、アリゾナの「ニコリー」の山で生きてゆけるとは限らないのです。最近しばしば語られる「生物多様性の保全」と云った観点からも、それは見た目以上に大切な個性です。あるサボテンが「どの山からやってきたのか」。つまり産地情報は、遺伝的資源を守る上でも不可欠な情報なのです。
かつてたくさん輸入された山堀りの野生サボテンたちが、産地もわからないまま雑交配され、オリジナルの遺伝特性が失われたのは残念です。メキシコ各地から来た個性的なアリオカルプスやアストロフィツムたちは、今では概ね「園芸種」としてしか残っていません。仮にメキシコの自生地が開発などで壊滅したとして、それを復元するための遺伝的資源と呼べる標本がどれだけ日本に残っているか。あんなに野生株を堀り採って輸入したのに、いまでは産地のわかるオリジナルや、その「純系」は殆んど残っていないでしょう。園芸的改良と同時に野生の顔違いをそのまま残そうとした趣味家は、著名な村主氏はじめごく少数です。サボテンや多肉植物を育てる楽しみには、人が丹精した美、いわば人工の美を競い求める古典園芸的な方向だけでなく、野生そのままの姿を真っ直ぐに愛でる心が、共にあって欲しいと私は思います。
幸いなことに、最近では海外業者を中心にサボテンや多肉植物の殆んどの種が、フィールドナンバー(採種地データ)とともにデリバリーされるようになっています。日本でも以前よりは産地情報とともに植物を蒐集する人が増えているようです。産地名が直接記載されていれば明解ですが、海外業者の種子リストなどに記載されているアルファベットと数字を組み合わせた記号が採種者ナンバーで、ここからも産地情報を知ることが出来ます。だいたいは種名のあとに「SB74」とか「KK1173」等の記号で表記され、産地の地名もあわせて書かれているケースもあります(リスト上、種名の前についている数字は単に業者の整理番号のことが多い)。前半のローマ字の部分は、その種子なり苗なりを産地から得た人物のイニシャル等で、後の数字はその人物が各植物に割り振った通し番号です。例えば「KK1173」はKarel
Knize氏の1173番と云うことになり、該当する種はEriosyce floccosa(エリオシケ属フロッコサ)で、その産地はチリの Blanco Encalada,標高400m と云うところまで公開されています。このエリオシケ属はじめ、ギムノカリキウムやコピアポア、レブチア・ロビビア類などの南米サボテンは学名がやたら多くつけられたため分類が混乱しており、種名は植物を区別する参考にならない場合が多く困りものです。しかしフィールドナンバーで産地が特定されていれば、その植物を自生地のオリジンまで辿ることが可能です。つまり、元の住処さえわかっていれば、名無しの権兵衛であっても所在不明にはならないと云うことです。ですから、もしこうした産地データ(フィールドナンバー)が示されている種子や苗を入手されたときは、面倒ではありますが是非名札に書き込んでおいて下さい。いまはインターネット上でこうしたフィールドナンバーから学名や産地情報を引き出す検索エンジンもあります。
晴れた日、自宅の温室で、陽の光を浴びているサボテンたちに向き合っていると、そこがバス通りに面した狭いガラス箱であることを忘れて、気持ちは遠く彼らの故郷へと飛びます。鉢に刺した名札には、それぞれの植物の故郷、産地データが記されています。「黒王丸。KK624、南米チリ、ブレアス、標高600m…」。地図に見たアタカマの細長い海岸沙漠の形、丘陵を這いのぼる海霧。瓦礫が転がるばかりの火星のような大地。そしてそこに、人の頭蓋のように真白い植物が群れている姿が、鮮やかに浮かびます。目の前の小さな鉢に生きる彼らは、紛れもなくそこからやって来たのです。
※サボテン・フィールドナンバーデータベース
http://ralph.cs.cf.ac.uk/cacti/fieldno.html
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