難ブツ道
      
         Cultivation of "difficult species"




このページは<栽培困難な植物・・・難ブツ>こそ、もっとも面白い栽培植物なのだと信じて疑わない私が、道祖神の招きにあい取るもの手につかず、ひとり出奔した風狂の旅路を綴る場所です。

            この道や行く人なしに秋の暮・・・

それではちょいと寂しすぎるので、どうか皆さん、ご一緒に。







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●スクレロ・ペディオ栽培実例(写真)  
 その1   その2   その3(刺)  その4(花)
 pictures of Pedio-Sclero in cultivation 
 vol.1   vol.2   vol.3(spine)    vol.4(flower)



●北米難物種(スクレロ・ペディオ等)の実生からの栽培
  growing Sclero&Pedio from seed 


●北米難物種を易しく育てる方法
   easy way to grow difficult species

 








↓ さて、では、
↓ 難物にはまることをお勧めしましょう。



<幻のサボテンを追って> 

  遠い日、竜肝寺翁や平尾先生の図説に見つけた英冠や白紅山、天狼に月想曲といったサボテン。「仙界随一の美麗種だが栽培至難、国内で長年育った例はない。入手も殆ど困難」・・・。そんな風な記述を読むにつけ、その頃少年だった私は「高山性難物サボテン」への憧れを深めていました。時折、業者からのリスト・・・たとえば大阪の黒田さんがやっておられた「大阪エキゾチック」・・・などにはこうした植物の野生株が掲載されることがありましたが、驚くほど高価で手の出るしろものではありませんでした。当時これらを入手された方のもとで、いまも生き残っている植物はあるのでしょうか。
  いつしか、少年もオヤジとなり、植物に少しはお金がつぎ込めるようになった頃。しかし何処のサボテン屋さんを覗いても、こうした珍品難物に類する植物にはとんとお目にかかることは出来なくなっていました。たまにみつけてもみすぼらしい接木苗くらい。なぜかと問えば、とある園主曰く「いまや園芸として成熟したサボテン界においては、なんでもかんでも集め育てようという気風は薄れ、限られた園芸種の優品銘品を求める時代に入った。コストがかかり市場が成立しない品種は顧みられなくなったのだよ」と。

<あなたの知らない植物のなかに宝の山が隠されているかも>

 たしかに。いまやリストに載るのもセリに出されるのも、兜にランポー、牡丹、綾波、太平丸。光琳玉に緋牡丹錦、多肉なら玉扇、万象・・・といった銘品系の品種が圧倒的に主流です。これらの品種は端正だし、ものの良し悪しを決め易いから、市場性がとっても高いことはわかります。それに栽培も比較的易しいものが多い。なるほど人気が出るのもうなずけます。
 一方で、白紅山のスクレロカクタスや英冠のエキノマスタスなどは、まずもって種が手に入れにくいし、蒔いてもなかなか芽が出なかったり。よしんば発芽しても、花咲くまで育てるのには手間も年月もおおいにかかる。それでいて、いまや昔のように色々の種類が掲載された図鑑が少ないから多くの愛好家はその存在すら知らない。ましてやその稀少性などに思い及ばないから、良い値段で売れることはない。売れないものを育てる業者はいないし、趣味人といえども、他人に誉めてもらえない植物は魅力が乏しい。・・・ということなのでしょう。
 けれど、それはとても勿体ないことだとも思うのです。なにしろサボテン科だけで5000を越える種が記載されていて、それぞれの種に独特の個性がある。どれを良しとするかはまさに好き好きであって、地味と云われる植物も、手近においてその春夏秋冬の姿を眺めれば、そこに息づく野生の美に目を見張るはずです。なのに、おおぜいの趣味家が「美意識を共有できる」ごくわずかの植物にしか目を向けないのは、至極勿体無いと思いませんか。それぞれの趣味家の、それぞれのツボを突いてくれる、まだ見ぬ植物がきっとあると思います。

<都会の小規模マニアこそ究極の栽培家になれる!>

 私にとって、その「ツボにはまった」植物の代表が白紅山や英冠などのいわゆる北米難物種でした。これらは、刺姿も美しいし花も良い。なかにはナバホアやトウメヤのような姿・生態が面白いモノもある。そして、なにより栽培が難しい、のが良いのです。かつての名人が本のなかで「長年育てたひとがない」と書いたほどのものだからこそ、挑戦し甲斐があると云うものです。とりわけ都会の手狭な栽培環境でこの道楽を極めようとするならば「難ブツ」はうってつけです。大量に実生を行って、そのなかから銘品を選びぬいていくような品種よりも、小さな面積に関心と労力をつぎ込み徹底的に丹精することでやっと育ってくれるような植物こそ、少数精鋭を目指す都会の栽培家にピッタリではないでしょうか。
 まずはじめは、これぞ自分好みと云う品種を見つけ出すことから。あえて、おおぜいの趣味家が競って育てているものではないものをチョイスする。もっとも難ブツを育てているひとはそうは多くないですが。もし、手に入れにくいものであれば、何年もかけて世界中から探し出す。このプロセスがまず楽しみのひとつめです。重症になると、私のように沙漠まで種を拾いに行くことになったりもします。そして、楽しみのふたつめは、あまり人が栽培しないその植物をどう育てたらいいのか、栽培法も自分で探って行けることです。というか、自分で探るほかない。試行錯誤の繰り返し、ある日突然の開眼、しっぺがえしで再び奈落。諦めかけて、それでも諦めないで、もう一度・・・。難ブツ植物の多くは、特殊な環境(極めて乾燥しているとか、寒暑の差が著しいとか)に自生するものだったりします。そうした植物の栽培法を見つけることは、彼らの故郷の環境を理解することでもあります。狭い温室のなかに地球の裏側の高地沙漠を再現する・・・ちょっと夢があると思いませんか。そして、実際に試みてみると、「栽培不能」のはずの植物が、ちょいとしたツボを押さえることで、彼らの生理を理解することで、案外元気に育ってくれたりもするのです。もちろん、彼らを「理解」した者の温室だけで・・。

<難ブツとは、深くつきあってはじめて良さが分かる植物のこと>

 さて、ここまで来て「難ブツ道とは何か」と問われれば、即ち野生を求める道、と。誤解ないように云っておくと山掘株を欲しがると云う意味ではありません。彼らの野生を熟知し、栽培下に再現すると云うことです。野生株を手に入れるより、種から野生株に負けない植物を育て上げる苦労と楽しみ。そうした「難ブツ道」のひとつの極みに白紅山や天狼などがあるわけですが、たとえば世間的にはダモノ扱いされるようなもののなかにも、素晴らしい野性味を持つ種類はいろいろあります。生かすことじたいは難しくなくても、野生株の妙味を発揮させることは案外難しい、そんな品種で例をあげればエキノケレウス(蝦)や南米のパロジア、ロビビアなどはどうでしょう。だいたいこの国では「花物」としてしか認知されていませんが、それは彼らの個性を理解できるまで深く付き合わないからではないでしょうか。彼らはパッと見では種の見極めさえ難しいし、「刺が××なら優形」などといった分かり易い美の基準も適用できません。だから、刺の長さや疣の大きさといった、単純化された美意識の枠組みから見ると、何も見えてこない。刺はモサモサと太くも長くもなく、とりたてて決まったパターンもない。でも、その草姿ぜんたいを空っぽの気持ちで眺めているうちに、あるとき、生命がその形に与えた意味がぼんやりと浮かびあがり、見えてくる。なぜ、彼らがそのような姿を持つに至ったのか、彼らが進化を遂げてきた歴史、生き続けている環境に思いを馳せることが出来るのです。たぶん私は、彼ら一個体一個体が持つ生命の可能性、その無限のひろがりのなかに美を見出している気がします。じっさい、ぱっと見た人に「どこが良いのかわからない」と云われるような植物にかぎって眺めていて飽きないのです。そうした深い魅力をたたえた植物は蝦やパロジアのほかにも幾らでもあります。要は、向き合って見出せるかどうか、なのです。・・・そう云う意味で「難ブツ道」とは、その美しさを解するに深い洞察を求められる植物を追いかけることでもある、と云うのが私の勝手な解釈です。
  何処が良いかなんて、説明できない。説明しなくてもいい。・・・日常でこりかたまった自分の美意識が微分されていくような、とっても自由でこころカラッポな感じ。植物となにかを分け合っている感じ。・・・こうした美しさの感覚は品評会の場で大勢で確かめあうことは難しいでしょう。でもそれはまた別の楽しみとしてとっておいて、ただ一人盆景の野生と対面して感じ至る忘我の境涯もまた素晴らしいものだとは思いませんか。
 
 


                        



 





                           
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