柳美里著 『命』
 

                
2007-05-25

(作品は、柳美里(ユウ・ミリ)著 『 命 』 小学館による。)

               

 初出「週刊ポスト」1999年12.17号−2000年6.9号
 2000年7月刊行

 著者の略歴
 昭和43年、神奈川県横浜市出身。在日韓国人。高校中退後、東京キッドブラザースを経て、昭和63年、劇団「青春五月党」を結成。
 平成5年、「魚の祭」で第37回岸田國士戯曲賞を受賞。
 平成8年、「フルハウス」で第18回野間文芸新人賞。第24回泉鏡花文学賞受賞。
 平成9年、「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞。

物語の展開:

 この<物語>は著者柳美里の自伝とされる。
 テレビ局報道部に籍を置く男と付き合う私(柳美里)、最初男は独身と思っていたが、肉体関係を持った直後、別居している妻が居ると判る。妊娠していることが判って、別れなければとの思いがある反面、ほぼ毎日のように逢う。
 一方、16歳の時に研究生として入団し、在籍した<東京キッドブラザース>というミュージカル劇団の、作・演出家である東由多加とは、17歳からおよそ10年間生活をともにしていた。東とは別れてからも電話したり逢って話をする関係は持続していた。

 子供が生まれるということに際し、東の末期食道癌治療のことが絡み、彼とのこと、家族のこと、癌治療の現実、出産のこと、認知の問題、国籍の問題、人が生きるとはなどさまざまな問題を抱えながら、物語は展開する。

読後感:

 柳美里の小説、エッセイをいくつか読んでみて、先月に載せた「ゴールドラッシュ」の作品の背景の一端が見えてきた気がする。勿論実際に起きた神戸の児童殺人事件が引き金となったものといわれるが・・・。
 18歳でものを書くようになり、自分の家族をねじったり折り曲げたりして変貌させ、戯曲や小説に繰り返し登場させてきたとある。

 この<物語>は私をめぐり起こるできごとを、あたかも目の前で実際にあるかのように、実に鮮やかに再現していて、引き込まれてしまう。そして色々な問題を投げかけていて、考えさせられたり、知識として参考になったりすることしきりである。たとえば

・テレビ局の報道部に籍を置く彼との付き合いで妊娠し、出産をめぐる彼との別れまでの過程。
・出産するか、堕胎するかの迷い。
・認知の問題。
・在日韓国人と日本人の彼との間に生まれた子の、国籍、別れた時の姓名の問題。
・家族とも別離している自分が、ひとりで生んだあと、物書きをしながら育てられるのか。
・生むまでの過程でかかった妊娠中毒症という怖い病気のこと。
・さらに、15年間つきあってきた心の支えの東由多加が食道癌に倒れ、後1年も生きられないかもしれないという、癌との闘病という大きな問題。
・癌の治療にまつわる日本と外国との制度の違い。 等など

 赤ん坊が生まれる時の病院での場面では、読んでいると、自分の子供たちの時のことは覚えていないが、孫たちのことが身近に感じられて、赤ん坊を産み、育てることがこんなに大変なんだから、家族ともども、いつそう協力してやらないとと、思わざるをえない。

印象に残る表現:

◇<東京キッドブラザース>というミュージカル劇団の作・演出家東由多加に出産を相談したときの言葉:
「出産の決意をしたのなら、仕事のスケジュールをきちんとたてること、ぜったいにあなたひとりでは育てられない。お母さんか妹に手伝ってもらった方がいい。三年間は過保護に育てなければならない。育児というのは三年間が勝負で、あとは生まれもった生命力で育つ。」


◇東由多加に保育園に預けることを相談したときの言葉:
「三歳までの記憶というのはほぼ残らない。だけど、その時期、母親、母親じゃなかったらお祖母さんでも、叔母さんでもいいんだけれど、特定の相手に愛着を持てるかどうかで、その子の性格が決まる。」

◇私の独白
 たいせつなものは失いかけたときにはじめて、いかに失ってはならないものだったかということを思い知らされるのだ。自分の子や親や伴侶に愛情を抱いているとしても、日々失ってはならないと意識しながら生きているわけではない。ほんとうにすべてのひとの命が日々失われているというのに、そのことに鈍感になっている。いや、鈍感にならなければ生きていけないのだ。

  

余談1:
 柳美里著のエッセイ「魚の見た夢」(2000年7月刊行 新潮社)に小説「命」にまつわる背景、動機などが記されている。
余談2:
 
NHK教育テレビで灰谷健次郎X柳美里 ’いのちを知る旅’をやっていた。その中で柳美里、そして灰谷健次郎の作品、その生き方を垣間見た。今度は灰谷健次郎の作品を見てみたいと思った。
背景画は、内表紙の柳美里のフォトを利用。