横光利一著 
          『旅愁』

 



               
2010-12-25



(作品は、横光利一全集第八巻、第九巻(旅愁) 河出書房新社による。)

     

 第一編から第五編、さらに梅瓶まで昭和12年から21年に至る約十年間に渡って、新聞、雑誌に発表される。
 本書第八巻 昭和57年2月刊行。
 本書第九巻 昭和57年3月刊行。


 横光利一:
 1898年(明治31年)−1947年(昭和22年)。 日本の小説家、俳人。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍。


主な登場人物

矢代耕一郎


妹 幸子

歴史の実習かたがた、近代文化の様相の視察でパリに。
父はトンネル工事に従事し、数々の手柄をたてている。祖先は藤原北家の藤原基経とも。 耕一郎のことを心配している。
耕一郎は叔父の建築会社に勤める。
幸子は病床に伏している。

久慈 社会学の勉強名目、美術の研究主にパリに。 パリに憧れる西洋主義の人間。 矢代とことあるごとに議論で相対している。

宇佐美千鶴子
兄 由吉

良家の令嬢。兄がロンドンにいるので海外旅行を許されパリに。

早坂眞紀子 ウイーンの良人のもとに行く名目で。夫に愛人が居ることわかり、夫婦別れして久慈を頼ってパリに。
高有明 支那人、マルセーユ行きの船の中で眞紀子とよく踊る。
塩野 写真家、大使館に出入りする。
東野重造 以前作家、今はある和紙会社の重役。
久木男爵 耕一郎の父は、青年時代のあるとき、先代の久木男爵の会社の社員であった。 耕一郎が塩野の個展の祝賀会に招かれ久木男爵と会話し、好ましく思われたことを父は非常に喜ぶ。 そしてその夜、父親の突然の死にあい、自分に対する積もりに積もった心配が、喜びに変わった刹那、忽ちこのような崩れとなって現れた総決算だったと思う。

読後感:

 横光利一という作家の素晴らしさに触れたようである。
 特に印象深かったのは
(1) パリでの日本人仲間との外国生活模様。
 
 時代の古さを感じさせない丁度海外出張で感じる外国にいて周りの人はほとんど外国人、特に日本人というだけで気の合う仲間達と食事をする際は、日本にいるときには考えられないほど時間をかけてわいわい言いながらやる。日本にいるときにはこんなに仲間同士でも集まらないし、それぞれ勝手に過ごすのに、海外にいると仲間意識が湧くのか見ず知らずの人間でもすぐ仲間になってしまう。

 そんな経験が作品中、長らくの船での長旅で知り合い、パリに集まった人間模様がパリ祭を待って展開する。
 その際、矢代と千鶴子、久慈と眞紀子の組み合わせがなんとなくできあがり、海外にいることが二人の中を強いものにする。だが矢代は帰国したらそんなのは幻影でしかな買ったことになる懸念を持っている。

 海外に行くことで日本懐古主義に陥るのか、海外理想主義に陥るのか、矢代と久慈の言い争い、パリでの情景描写、船旅でのやりとり、矢代がベルリンからシベリア経由日本に帰国する列車の旅などその描写の素晴らしさ、あたかも自分がそこにいるような経験をつんだようで至福の時を過ごしているようであった。
 そして物語の後半、帰国してからの運命は・・・・
 また、矢代と千鶴子の二人でのチロル地方の氷河部分も。

(2) 日本に帰ってからの父親との死別場面。
 自分のことを心配ばかりしていた父が、昔勤めていた先代の久木男爵への畏敬?から矢代が今の久木男爵に気に入られた話を聞いて喜び、その後無くなってしまったことを追憶するところ。
 また父親の突然の死を受けて葬儀を執り行う場面で、描写される表現に自分の父親が亡くなったときに感じた場面とか、幸田文のエッセイ「父 その死」で父親露伴の葬儀に関する父と娘の会話場面などを思い起こさせられた。

(3) そして父の分骨をもって九州の故郷を訪れる場面。
 自分の祖先が九州での城主であるとき、千鶴子の信仰するカソリックの大友宗林に、使用されるのがはじめての大砲で城が滅ぼされたという郷里に、父の分骨を納骨に出かけ、京都に待ち合わせる仲間達が居ることを理由に、泊まりもせずに逃げて変えるような場面で、山を振り返りながら山との会話場面。

 こんな風に、ごく自然な気持ちの動きや心の揺れを何気なく描写されている作品に、横光利一という作家の素晴らしさを感じ、夏目漱石と共に、大好きな作家の仲間入りをした作品に出会った。
 この作品、作者が10年かけて書き上げた作品も、途中で亡くなり未完に終わっている。千鶴子との結婚は果たして成就されるのか、一方久慈が千鶴子のことを本当は好きだったのではとの思いも波乱を醸し出しそうで、宗教の問題、先祖とのつながり、そして日支戦争の始まりといった歴史的な背景も含みながら。


印象に残る場面:

 矢代耕一郎の父が脳溢血で突然無くなって葬儀を行う場面<第九編>

 床の前に新しく敷き変えた布団に、正しい姿勢で父を寝かせようとしたが、、もう父の身体は板のようにぴんと足を張り、吊り伸びてこちこち鳴りそうに固かった。 彼は父の胴に手を廻してかがみ込むと、顎が腹部に触れたその途端、急に悲しさが込み上げて来て顔を父の腹に伏せたまま声を上げた。
・・・
(母は)「でも、喜んで死なれたんだから、まだ良かったですよ。 ほんとにあんなに喜んでね―――」



  

余談:

 定本第九巻の添付として「旅愁」小感(結城信一)、「旅愁」の頃(庄野誠一)、同時代評(上林暁、北原武夫)の評が付いている。 その記述を読み、横光利一という作家のことが少し判ったほかに、「細雪」の谷崎潤一郎とのこと、ドストエフスキーとのことが記されているが、いずれの作品も読んでいてなるほどと思えることに少々うれしさがこみあげた。

背景画は作品中第八巻のパリに逗留して毎日を暮らしていたオープンカフェをイメージして。

                    

                          

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