島崎藤村著『夜明け前』



 島崎藤村に関心を持ち始めたのが学生時代。 長い小説『夜明け前』を読んだ記憶があるが内容はよく覚えていない。定年後、横須賀市逸見公民館主催の「開国の浦賀道を歩く」(講師:NHK文化センター講師 鈴木かほる先生)に参加し、永嶋家赤門を見て、再び読んでみたくなった。
 おりしも、放送大学の「近代の日本文学」、「19世紀日本の歴史」受講にも影響された。
 また、10月のある日の夕方、たまたま見たNHK総合TV 「名作の食卓」で藤村の 『夜明け前』にまつわる御幣餅の話に出会った。

御幣餅
こんがりと焼けたかき餅にクルミの香りがする。
ふるさと木曽を象徴する食べ物。

「名作の食卓」より:

 藤村は34才に執筆した『破戒』以降、社会的テーマに取り組む。自分自身を見つめ、人間の生きる社会を題材とした作品を書き続ける。 昭和4年、藤村が57才の時、日本の近代化を主題とした小説 『夜明け前』を書き始めた。

 主人公青山半蔵は、自分の父(島崎正樹 木曽馬籠(まごめ)宿の庄屋)をモデルとしている。 自分の父親を小説の主人公にしたのは、実際の人間の目を通してこの時代を探るためである。 半蔵が結婚した年、浦賀沖に突如黒船が出現、日本は夜明け前夜の動乱期を迎えていた。 幕藩体制は急速に崩壊しはじめ、その余波は馬籠の宿にも押し寄せた。 ・・・・・ 

 

永嶋家赤門:

 格式高い朱塗りであったことから田戸赤門の名でとおる。 このあたりは、明治末まで白砂青松を連ねた美しい浜辺であったが、大正十二年、安田保善社が埋め立て、明治に埋め立てた米ケ浜と陸続きとなった。 安田善次郎の「安」をとり、海岸の意の安浦という地名が誕生した。 昔を偲ぶべくもないが、今、永嶋重美家脇に残る「右大淳浦賀道、左横須賀金沢道」と刻む道標が、浜を往来する人の姿を想像させる。

 永嶋家は戦国時代、小田原北条氏の下で浜代官を務め、江戸時代には三浦郡総名主を務めてきた家柄である。 同家の系図では、三浦義明を先祖とした義政が永島姓を名乗ったことに始まる。 義政の父義勝は、中先代の乱に北条時行に加担し、敗れて捕らわれ、楠正成に預けられ、助命されて三浦に帰った。 義政が二十一歳で早世したため、義政の妹を楠正成の四男正徳に嫁がせ、永島家を相続させている。

 文豪島崎藤村の名作『夜明け前』にも、この永島家が「公郷村の古い家」として登場してくる。 主人公の青山半蔵は藤村の父正樹であり、永島家三代目正義の弟正胤が幼年に出家し、のちに円城寺加賀守となり、鎌倉の合戦に参加し功をたて、この人が木曾に下り島崎姓を名乗ったといい、これが島崎家の先祖であり、『夜明け前』のモデル青山家であるという。 藤村は、この小説をモノにするため、幾度かこの永嶋家を訪れたということである。
(出典:鈴木かおる著 ハイクガイド 三浦半島 より)


 藤村の夜明け前と、三浦半島がこういう関係にあったことに今更ながら驚き、また身近に感じて、この長編小説を今読み進めている。 幕末から維新にかけての動きが、馬籠の宿という一つ場所で時代が動いていく様子が手に取るように描かれているのに感銘。

 青山家の祖先が三浦一族と関わっている部分の著作部分には、当ホームページ、歴史散策の「三浦一族の系譜」で記述した懐かしい名前が出てきて感動ものである。

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