津村記久子著
               『ポトスライムの船』 







                
2012-08-25



 (作品は、津村記久子著 『ポトスライムの船』  講談社による。)

          


 初出 「群像」
     ・ポトスライムの船 2008年11月号
     ・十二月の窓辺   2007年1月号
 本書 2009年(平成21年)2月刊行。
        ポトスライムの船:第140回(2008年下半期)芥川賞受賞。

 津村記久子:
 1978年大阪市生まれ。大谷大学文学部国際文化学科卒業。2005年「マンイーター」で第21回太宰治賞を受賞。2008年「ミュージック・ブレス・ユー!!」で第30回野間文芸新人賞受賞。その他の著書に「君は永遠にそいつらより若い」
(「マンイーターを改題)、「カソウスキの行方」、「婚礼、葬礼、その他」など。

<主な登場人物>
 
ポトスライムの船

長瀬由紀子
“ナガセ”で表記される。(主人公)

築50年の木造住宅に母親と二人暮らし。パートから契約社員になり、工場のラインで働き、友人のヨシカのカフェのパート、土曜日は商工会館で老人相手のパソコン講師、データ入力の内職と、世界一周クルージングの費用を貯金しようと・・・。
ヨシカ 大阪の大学で同級生。奈良でカフェはじめる。

りつ子
娘 恵奈

大学出て3年ほど勤め、入社2年目で結婚、3年もたたないうちに退社。家を出てきたとナガセの家に居候することに。
ナガセの母親は恵奈と気が合い、可愛がっている。

森沢そよ乃 大学1年の時から付き合う相手。高校の教員資格を持つも、教育採用試験に挑戦中。ゼミの先輩と結婚。子供二人あり神戸に住む。
<十二月の窓辺>
ツガワ 大卒のそこそこ大きな印刷会社に就職の新人OL。オフィス街にある支社に配属、営業のV係長のいじめ(?)とも受け取れる仕打ちに、毎日苦汁を飲まされている。ちょっと無能(?)な人間のよう。
ナガト 3F上にある薬品会社営業の有能な女性(地区主任)であるが、何か悩んでいるようでもある。ツガワより3つ年上でツガワのグチを聞いてくれる。

<物語の概要> 図書館の紹介より
 お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。世界一周の費用と年間手取り給が同額だと気づいたナガセは、働く目的として執拗なまでの節約を試みるが…。第140回芥川賞受賞作。


<読後感>

「ポトスライムの船」
 読んでいて内容についてなんだかおもしろいのかなあと考えてしまう。しかし芥川賞と言うことが引っかかる。自分の見方は正しくないのかと。
 そんな気持ちから改めて読む姿勢を修正してみる。
 すると描写の様子がすごく自然に想像されるように。そうかごくありふれた日常の世界をこんな風に記述していくと、その世界が実際の生活模様として浮かび上がってくるのだなあ。

 特にナガセが日頃余り面と向かって二人でいたことのない恵奈と、二人になった時の接し方の所では、なんだか自分がそんな場面にぶつかった時のように、どう扱ったらいいのかとまどい、こんなふうに接しているような雰囲気が甦ってきて、こういうところが惹きつけられる所なのかなあと思えてきた。
 
 後で芥川賞の選評を見てみた所、
「大仕掛けではない小説だけに、機微のうねりを活写する手腕の裏には、まだ三十歳の作者が内蔵する世界の豊かさを感じざるを得ない。春秋に富む才能だと思う。」(宮田輝評)とか、「目新しい風俗など何も描写されていないのに、今の時代を感じさせる。と、同時に普遍性もまた獲得し得た上等な仕事」(山田詠美評)といったところ。

 中に「俯瞰せずひたすら地を這って生きる関西の女たちの視線が、切ない生活実感を生み出している。」「しかし舞台を東京に置いたなら、忍耐、がんばり、苦労、不条理への抗議などなど、ゴツゴツした問題提起の様相を帯びてくるだろうし、この作品の不思議なぬくもりは失われるに違いない。視線を低く保つ関西人の気質と言葉使いが、うまく時代を掴まえたとも言える。」(高樹のぶ子評)がそうかもしれないとおもしろかった。自分も奈良県出身関西育ちで関東にも長いので理解できる。

「十二月の窓辺」
 芥川賞作品の付属かと思いつつ読み下していたが、なんだか一人の新人女子OL(ナガセ)の屈辱に満ちた毎日の、職場での出来事とぐちを聞いてくれるナガトとの行動が続く中味に、今までにない日常の些細なことをこんな風に綴りながら、小説ってこんなのもありなのかと気づかされた様である。


   


余談1:
 今年上半期の芥川賞、直木賞の発表があった。芥川賞の鹿島田真希の「冥土めぐり」(障害を持つ夫の純粋さにより、主人公が家族の問題を克服する家庭を描く)と、直木賞の辻村深月「鍵のない夢を見る」(報われない苦しみを感じている地方の若い女性の今が書かれている)に決まった。毎年自分にとっては知らなかった作家の出現(が多い)をみて、これから読む楽しみが増える。

余談2:
 

「十二月の窓辺」の登場人物がカタカナの二人と、あとはアルファベット表記のV係長、P先輩とかZ部長とかに、どうもイメージが沸かないで、身近な出来事にならないのかを味わった。不思議なものである。こういう効果を著者は判って敢えてそうしたのだろうか?
 小説に出てくる名前がいかにその人物の人物像を現したり、好感を持って感情移入したり出来るのかを認識した。
 結局この作品、二度読み返してみて感想を記すことになった。津村記久子という作家、ちょっと目が離せないかも。

           背景画はポトスライムの観葉植物のフォトを利用。             

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