辻村深月著 『ロードムービー』
                          
 


                
2015-05-25





   (作品は、辻村深月著『ロードムービー』  講談社による。)

         
  

本書  2008年(平成20年)10月刊行。


辻村深月:(本書より)

 1980年生まれ。千葉大学教育学部卒。2004年に「冷たい校舎の時は止まる」で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著作に「子どもたちは夜と遊ぶ」「凍りのくじら」「ぼくのメジャースプーン」「スロウハイツの神様」「名前探しの放課後」(すべて講談社)がある。新作の度に期待を大きく上回る作品を刊行し続け、幅広い読者からの熱い指事を得ている。


主な登場人物:

<ロードムービー> トシとワタルが家出。家に電話を掛け、誘拐されたと思ってと。戻る条件は1千万円の金かワタルをうちの子にするか。

トシ

相澤東小学校5年生。毎回学級委員をやっている運動神経のいい、作文や水泳も全校の前でよく表彰される頭脳明晰、誰もが友だちになりたがられる子。
・父は政治家、二世議員。東京に仕事用の家を持ち、ほとんど家にいない。トシは父親をオヤジと呼ぶ。
・母親は祖父の病院を継ぎ内科と小児科の医者。

ワタル

気弱で鈍くさい男の子、頭や感性は悪くない。トシと同じクラス。
父親はK団地近くの大きな工場を経営。

新田アカリ 笑うとえくぼの可愛い、学年で男子に一番人気のある子。その実すごく気が強い。トシに対しクラスの皆を先導し嫌がらせをするように。
ハヤカワ先生 担任の先生。
<道の先> 大宮千晶に気に入られ俺に投げかけられた難題にどう対処する?
K大の3年生。バイト先は高校受験の進学塾“明和学院”で数学と理科を受け持つ。3ヶ月前に応募。
佐藤 都内有名私立大学の3年生。同期のバイト仲間。
吉野先生 “明和学院”の学院長。
大宮千晶 中三の特別進学クラスの生徒。成績は良く頭の良いかわいい、大人びた顔つきの子。塾の先生イジメをする。親は大手のホテル業の会社経営。
<雪の降る道> 心の支えであった『ヒロくん』がいなくなって外に出なくなったヒロ。見舞いに来るみーちゃんに放った言葉でみーちゃんはいなくなって大騒ぎ。
ヒロ 小学2年生。隣町で知り合った『ヒロくん』がいなくなって心のどこか一部がなくなってしまったような気分になり、あまり外に出なくなった。ここ1週間熱を出して学校を休んでいる。
みーちゃん 近所に家に住む同じクラスの女の子。ヒロくんが元気になるように毎日見舞いに。

菅原のお兄ちゃん
(通称 スガ兄)

ヒロの家の近くに住む中学生。

物語の概要:(図書館の紹介記事より)

 誰もが不安を抱かえて歩き続ける、未来への道。子どもが感じる無力感、青春の生きにくさ、幼さゆえの不器用…。それぞれの物語を、優しく包み込んで真正面から描いた珠玉の3編を掲載。

読後感:

「ロードムービー」
 トシは男の子と思いきや、諏訪慧恵と、かなり後の方で分かってはめられたか。そしてちょっとどんでん返しを喰らった感じの顛末に涙が止まらなくなってしまった。ワタルの言動に、そしてオヤジのこれぞ父親とも思える言葉に感動してしまった。
 もちろんトシの行動も男らしく?て勇気があって問題ないけれど。珠玉の作品である。

「道の先」
 大宮千晶のような、年齢の割に大人びて色んな意味で大人を惑わす女の子。そんな子は確かにいる。それに立ち向かう大学3年生の俺。俺自身なにか昔悩んだことのある事情が見え隠れする。その対処は千晶が実は外見とは間逆に自身耐えられないほどの苦渋を感じている姿が想像できるだけに、俺の素直で一生懸命なところが信頼されるベースにあるのだろう。この作品にも心打たれるものがある。

「雪の降る道」
 先の2作に比べ、ちょっと幼さを感じる子供が主人公で最初は感動が少なかった。でもヒロの思いやりのない言葉に傷つくこともなくしっかりと耐え、ヒロのことを思うみっちゃんの気持ちを思うとこちらもじ〜としてしまって泣けてしまった。

印象に残る場面:

「ロードムービー」 
 家出したトシとワタルを、トシの父と母が突然迎えに現れた場面:

「ワタル、どうして?」
「ごめん、ごめん、トシちゃん」
 ワタルの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。そして言った。
「もうおしまいなんだ、俺、もうトシちゃんと一緒にいられないよ。・・・俺、知ってるよ。トシちゃんが、本当はお母さんだけじゃなくて、お父さんのことだって、大好きなこと。一緒にいたくて、いつも寂しく思ってるのも。」
「いつからだよ!?」
 トシの心がワタルの声にズタズタに切り裂かれた。それでもまだ、嘘だと信じたかった。
「いつから、無理だと思ってた?終わりにしようと思ってた?お前最初から」

 トシの目から涙がこぼれた。
「最初から、無理だって、そう思ってたの?」
「違う、違う、違うよ!トシちゃん」
 涙に濡れた顔を更に歪ませて、ワタルが叫ぶ。
「俺、トシちゃんとどこまでも行きたいと思ってた。どんなこともできると思ってた。でもダメだ。俺は行かなくちゃいけない。もう、トシちゃんに守ってもらうわけにはいかないだ」
「そんなこと」

 トシの肩が大きく震えた。ああ、と心に吐息が落ちる。歯を食いしばる。わかってた。思うと、涙がまた溢れた。
 トシがワタルを守っていたんじゃない。最初から、トシはワタルに守られてきた。いつだってそうだった。だから、ワタルを助けたかった。どうにかしてやりたかった。

  

余談:

作品を読んでいると相手の気持ちを思うと堪らなく可哀想で泣けてしまうことって、ふとしたところに感じてしまうことはよくある。いわゆる“琴線に触れる”という場面である。そんなところを描写できる作家さんは感性の豊かな人であろう。
 あまりそこばかり強調されるのはいやだけれどさらりと取り入れた作品はまた読んでみたくなる作品である。
いまでも心に残っているのが天童荒太の「永遠の仔」の“もう、いやだよ。もう、生きていくのがいやだ・・・。いいことなんて、何も、なかった気がするもの”がある。 

 背景画は、<ロードムービー>でトシが公衆電話から家にワタルを誘拐し、1千万円を要求する場面を想像して。そのときの親子のやりとりがほっこりとしていて胸を打つ。