読後感:
冒頭の箇所、無言電話は三日に一度か、週に1度。なんだかこの先の不安を予感させる。ミステリアスであり、日常によくある出来事であるが、扱いに難しい人と人の間のトラブルが第一章「平穏と不安」に展開する。
幼稚園での子供の怪我、相手は同じ超高層のマンションに住む住民、しかも仲良しではあるが、同じマンションでも20階以上の分譲の住民と、下の階層の賃貸の住民。日頃は仲良しであったのが、このことをきっかけに価値観というか、日頃思っていたことが噴出してしまう。
そこには子供に対する家庭のしつけや考え方まで表面に出てくる。
まさに著者辻村深月の感性が表現されるところ。
朝斗という子供は実は特別養子縁組でもらった実の子ではなかった。そこから次々と栗原夫妻の不妊治療の実態(第二章「長いトンネル」)、生みの親である片倉ひかりの人生(第三章「発表会の帰り道」)、そしてひかりが育ての親の元にどうしようもなく訪れる第四章「朝が来る」へと展開していく。
ラストシーンは涙が自然とあふれてきて感動してしまう。
栗原家の毅然とした行為が背筋をびしっと引き締めさせてくれる。
印象に残る場面:
ひかりが「私は、あの子の母親では、ありません」と栗原家を去って朝斗たち親子のマンションがあるのと駅を挟んで反対側に来て途方に暮れていたとき:
「ごめんなさい」
朝斗の母親が言った。
ひかりにしがみついたまま。
ひょっとしたら、この人は、あれから、自分のことを探していたのかもしれない。
「ごめんなさいね。わかってあげられなくて。ごめんなさいね。追い返したりして。ごめんなさい、わからなくて」
冷たい夕立を受けながら、視界が白んでいく。ごめんなさいね、ごめんなさい、と繰り返す朝斗の母親の声が、ひかりの心の柔らかい部分に触れる。
何も言えなかった。
こんな声で話しかけられることは、誰にも、もう二度とないと思っていた。
「ねえ。お母さん。このひと、だあれ?」
その声に、朝斗の母親が答えた。
「朝斗の”広島のお母ちゃん”だよ」と。
ひかりを、朝斗の母ではないと、正面から言い放ったときと同じく、それは躊躇いも迷いもない声だった。ひかりは目を、耳を疑う。
いいのか、と思ってしまう。
とっさに朝斗の瞳が、大きく、大きく見開かれる。それまでずっと母親だけを見ていたその目が初めてひかりだけを捉える。
二人の目が合った。
その時だ。
暗い空の下で、朝斗の目の中に、みるみる、明るい光が差し込まれる。
「ええっ!広島のお母ちゃん?」
その顔を見たら、時が、止まった。
「そうだよ」と朝斗の母親が答えた。ひかりを見る。
「ねえ、そうよね」
|