辻井喬著『終わりからの旅』






                
2013-01-25



(作品は、開辻井喬著 「終わりからの旅」  朝日新聞社による)

             

  初出 朝日新聞朝刊 2003年7月1日から2004年9月15日連載。
 本書 2005年(平成17年)4月刊行。

 辻井喬(たかし)

 1927年、東京都生まれ。小説家・詩人。1961年詩集「異邦人」で室生犀星賞、1984年小説「いつもと同じ春」で平林たい子文学賞、1993年詩集「群青、わが黙示」で高見順賞、1994年小説「虹の岬」で谷崎潤一郎賞、2000年小説「沈める城」で親鸞賞、「風の生涯」で2000年度芸術選奨文部科学大臣賞、2004年「父の肖像」で野間文学賞を受賞。
本名堤清二。 

◇  物語の展開: 図書館の紹介文より  

ファーストフード創業者の兄と新聞記者の異母弟がともに断ちがたい初恋に導かれ人生という謎の森に迷い込んだ末に見たものは…。戦後という時間の光と影を情感豊かに問い直す畢生の大作。

◇  主な登場人物: 

関良也
妻 克子
母親 藤美佐緒
(父親 関榮太郎)

敗戦の翌年に生まれ、新聞社勤務、社会部で記者として励んでいたが、人生の踊り場を迎える頃出版部への異動を希望し、戦無派による「きけわだつみのこえ」を纏めることを目指している。初任地の長野支局勤務の時に知り合った葉中茜が良也の前から姿を消して30年。克子と結婚し、子供には恵まれなかったがようやく・・・。
母親:柳川の元廻船問屋の生まれ。関榮太郎とは門司の空襲時門司鉄道局の局長時に知り合う、その時榮太郎48歳、美佐緒18歳。

葉中茜
父親 葉中長蔵

地元(長野)の銀行勤務をしていたが、父親の看病、死後京都に来て20年ほど。その後「竹取物語の村に行ってみる」と中国へ。
父親は元陸軍大佐であったが、長い闘病生活の後亡くなる。厳しい戦争体験での出来事が最後の方で茜のノートで明らかに。

知枝

葉中茜の従妹。京都に在していた時劇団を組織、茜がその事務などを助ける。その後、安曇野の美術館の若い女主人に。
良也と出会い、茜の消息を聞かれる。

関忠一郎
妻 弥生
子供 忠太、栄二
父親 関榮太郎
母親 静江

ビルマ戦線で捕虜収容所で過ごし、帰国後復学、商社に入社後ニューヨークに支店設立で出張。ヤマナカ、グレタと知り合う。商社を辞めサンドイッチのネスチェーンを創業。
グレタと恋に落ちるが、グレタがリトアニアにいったん帰国して行方不明になったことを後悔。いつかシベリア鉄道でグレタの後を追いかける計画を持つ。
妻の弥生とは子供が自立するようになる頃・・・。
関榮太郎:元鉄道省の技師。癌でなくなる前に、忠一郎に異母弟がいることを告げ忠一郎と良也を遭わせる。

房義次

弁護士、ビルマの捕虜収容所時代に知り合う戦友。
忠一郎の会社の顧問弁護士、かつなにかにつけての相談役。

村中権之助 大学時代の後輩。忠一郎の会社の専務。やがて長男の跡継ぎが完了する前は社長を引き受ける位の仲。

ヤマナカヤスシ
妻 グレタ

関忠一郎がニューヨーク時代に世話役をしていた。妻のグレタと“シンドバット”というレストランをやっていたが、ヤマナカが実家の遺産相続のことで広島に帰国後、グレタと離婚。
忠一郎はジュニアヤマナカの教育役を頼まれる。

小室谷雅道 長野市に新しく開館の市立美術館の館長。中学までパリで過ごし、新聞記者から美術評論家に。
原口俊雄 関忠一郎が捕虜収容所にいる頃、アメリカ側の通訳。忠一郎の奇妙な癖を見ている。その後九州の大学でアメリカ文学の教授をしていて、関良也の取材を受ける。

◇  読後感: 

 関忠一郎というファーストフード創業者の異母兄と、関良也という新聞記者の異母弟の生き様。 人生の踊り場に来たところで今までの経緯と、時局を背景に描くと共に、果たして人生に悔いなく過ごしてきたのかを振り返る。そしてこの先の進むべき道を探し求める様を読者にも思いを馳せさせる内容である。忠一郎と良也の年齢差は30歳近い。

 人生で大きな比重を占めるのが、恋であること、そして仕事ということになる。忠一郎の場合は、戦争体験(ビルマのペグー山系に逃げ込み、負傷して捕虜収容所に。そこで房義次や原口トシオに出会う。)をし、それこそ考え方に大きく影響を受け、帰国後復学、商社に入り、ニューヨーク支店設立に動くも、案内役のナカヤマの妻、グレタ(リトアニア出身)との恋に落ち、不覚にも配慮不足から消息不明に。そして商社を辞め、サンドイッチのチェーン店を創立するように。

 一方、良也は新聞記者として長野支局で葉中茜と知り合うも、茜が父親の看病に疲れていた時は、記者として飛び歩いていたため茜がいなくなったことを後で知ることに。

 そして克子との結婚。しかし心のどこかで、茜が姿を消したことにその理由と今どこにいるのかが気に掛かっている。

 父親の榮太郎が癌でなくなる前に初めて忠一郎と良也が、病室で会い、二人の接点が実現する。 それまでは忠一郎と良也の現在と過去の描写がうまく時間の感覚がよく分からない状態で展開されて戸惑うことも。

 しかし、そんなことよりも人生の踊り場や年を重ねての自分の人生を見つめ直したり、先のあり方を推し量ったりする時間が、もっと早い時にこの作品を読んでいた方が良かったのにと思ったり。 そして社会から退出する時の心構えを改めて思い返されることとなる。茜の最後、関忠一郎の放心状態の再発?の姿を怖れる自分をラストでは身につまされる想いで読むことに。

 表題の“終わりからの旅”の意味はまさに言い得て妙という思いである。
   
余談1:

 人生って歳を経る毎に考えるようになり、静にこんな作品を読めるようになったのかと感慨深い。

余談2:

 戦争での生死をかけた状況で“ヒトノニクヲタベタ”ということに関して、関忠一郎の恐怖、茜の父の陸軍大佐であった花中長蔵のおびえ。その影響がバックに大きく影響している描写があるが、以前に読んだ作品の中にもあったような気がする。

 最近読んだ作品、西加奈子の「ふくわらい」にあったことが思い出された。その時はあまり気持ちいいものではなかったが、本作品の中では戦争中の状態であり、生死がかかっている時の事情で見方も異なるが・・・。

 同様に、関忠一郎がネスチェーンを退職した後は、グレタの行方を探してシベリア鉄道でリトアニアに向かおうと決めているが、シベリア鉄道のことに関しては、あの大崎善雄の「ユーラシアの双子」の作品のことが懐かしく思い出された。

 シベリア抑留については皆川博子の「冬の旅人」のことが。やはり印象に残る作品が心の片隅にとどまっているようだ。

 作品を読んでいてあれこれ思い出される過去に読んだ作品が存在するとそれだけ厚みが醸し出されていくようで、読書の喜びを感じるものである。

         背景画はサンドイッチチェーン店の創業者をイメージして。                

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