島崎藤村著 『破戒』

                  2006-02-25

(作品は、島崎藤村著 『破戒』(ほるぷ出版) による。)

             
 
 

「破戒」は島崎藤村が小諸に滞在した六年間を締めくくる作品で、明治37年から38年にかけて書いた作品である。 丁度日露戦争を戦っている期間にあたる。

 主な登場人物:

瀬川丑松 24才。小諸の向町(穢多(えた)町)生まれp24、北佐久の高原に散布する新平民の種族。鷹匠町(たかじょうまち)の下宿から(下宿で穢多の大尽が放逐されたため)、突然蓮華寺へ引っ越す。長野県飯山小学校の主座教員、校長より生徒に慕われている。父より穢多であることを隠せと遺言され、崇拝する猪子蓮太郎にも打ち明けられないでいる。
猪子蓮太郎 瀬川丑松が先生と慕う人物。我は穢多なりと世の中に公言し、「現代の思潮と下層社会」、「平凡なる人」、「懺悔録」等の著書を出し、「新平民中の獅子」として世の中に認められている。市村弁護士を支援するため飯山を訪れる。
風間敬之進 定年を半年前にして、退職。酒飲みの性で、先妻の二人の子のうち志保を蓮華寺にやり、省吾は丑松の担任の生徒であるが、後妻の妻としっくり行かず、悩み多い。丑松とは仲が良い。
土屋銀之助 師範学校での同窓、丑松の理解者。
勝野文平 郡視学の甥。検定試験を受け合格。新たに赴任してきた正教員。校長と郡視学は異端児である丑松と銀之助を早く学校から追い出して、勝野文平を後に据えようと画策する。
高柳利三郎 新進政事家穢多の妻をめとるも、それをひた隠しにする。飯山から選挙に打って出て、市村弁護士との決戦を有利にしようと画策する。
 <注釈>
穢多: 昔、社会の最下層に置かれた人。特に江戸時代、非人と共に四民の下の民とされ不当な差別を受けてきた階層(の人)。明治維新後一八七一年(明治4)に「穢多・非人」などの制度が廃止(「解放令」)される。しかし、翌年政府が作った新しい戸籍(壬申戸籍)には、「新平民」等の記載があり、1968年(昭和43)まで、結婚、就職の際の身元調査に悪用されてきた。

読後感

 何の予備知識もなく読んだ作品は、深刻な内容であるにも拘わらず、この先、瀬川丑松はどうするのだろうかと興味津々。 丑松の素性を未だ知らない土屋銀之助と風間文平のやり取りなどは、なにか夏目漱石の坊ちゃんもどきの軽やかさ、面白さで読み進んでしまう。 銀之助の江戸っ子気質にも似た男らしさ、勇ましさは微笑ましいくらい。 

 風間敬之進の家庭問題も、暗くじめじめとしたものでなく、すんなりと理解出来るし、蓮華寺での住職、奥さん、志保との問題、丑松を追い出そうとする校長、郡視学とやり取り、等、今の世でもありそうな出来事が小気味よく展開して、どういうふうに展開していくのか興味をそそる。そして最後、丑松の決心とその結果のこと・・・。

 「破戒」の中に表わされたテーマ、問題は大きなものであるが、それはそれとして、小説として読んだ時、さすがに人の気持ちをぐいぐい引き込んでいく力量はすごい。 語られる調子がたんたんとして、さらっと語られているところにかえって主人公丑松が世間から、どうして穢多であることで侮蔑されなければいけないのか、その苦悩が隠されているのかも知れない。

 夜明け前」と違う初期の頃の作品として味のある作品であった。


印象に残る言葉:
 丑松の父の戒め(遺言)
「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)おうと、決してとは自白(うちあ)けるな、一旦の憤怒悲哀(いかりかなしみ)に是(この)戒を忘れたら、其時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思え。」

藤村を取り巻く環境(あとがきより)

 生家である木曽馬籠の本陣の完全なる没落、父正樹の悲劇的な死、長兄秀雄のの下獄、つづいてコレラによる母の死、畏友北村透谷の自殺、明治女学校での教え子佐藤輔子との悲恋、輔子の死、・・・二十代前半に藤村の身のまわりで起こった出来ごとは、あまりにも陰鬱なことばかりであった。藤村のうちにうつぼつとしてわだかまる鬱屈(うっくつ)した精神、それはすでに詩型では表現し尽くすことのできない創造的マグマとして蓄えられてきていた。

余談:

 作家というのはすごいなあと思う。単に娯楽作品の作家もあるが、後々まで影響を残すような人はさすがに読者を引きつけるものを持っている。

 

                    

                          

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