俵万智著  『風の組曲』
 





                     
2007-02-25

(作品は、俵万智著 『風の組曲』 河出書房新社による。)
         

2000年1月刊行
1962年、大阪生まれ。85年、早稲田大学第一文学部卒。
87年、「サラダ記念日」刊行。同書で第32回現代歌人協会賞受賞。
97年、「チョコレート革命」刊行。

読後感:

 表題の「風の組曲」、いかにも歌人俵万智の作品らしい、爽やかで、夢があり、ロマンチツクな名前である。思わず手にとってしまった。最初の項目の題が――チョコレート革命―― これにも引き込まれて読んでしまう。
本というのはこう言うのでなくては、読み込む気がしない。自分の感性とピッタリ一致してくれる作品は貴重である。

あとがきに
・短歌を作るのと散文を書くのと、何が一番違う?という質問に
基本的には、哀しいことは短歌にして、楽しいことは散文にしているような気がする。我ながらけつこう言い当てているかもしれないな、とも思う。

・力を入れて書いてきたジャンルの散文  文庫本の解説。あるいは、映画のパンフとか、新刊本のPR誌のための文章とか、また自分の愛する短歌についてとか、つまり、好きな作家の作品について書く時、いつも以上に私は、すごーく気合いが入っている。文庫本の解説の場合、本屋さんで、ちょっとして立ち読みしたその本を、絶対レジに持っていかせるぞ、というのが、一つの目標だ。

 素敵な著者と出会ったこと、素晴らしい作品と出会ったこと、その喜びを綴るのには、やはり短歌よりも散文である。楽しいことは、散文―――その一番のあらわれが、本書に収めた文章たちだ。
 この感覚が自分にぴつたりとくる著者である。



印象に残る表現:

◇吉屋信子の俳句

七五三子よりも母の美しく

 母親の方が着飾っている、という意味ではないだろう。きれいな着物を着せられた子どもよりも、質素ではあっても愛情と自信に満ちた母の美しさを、作者は見ているのだ、と思う。
 俳句と川柳の境界というのは、最近ますます曖昧になっているように感じられるが、その違いについて、歌人の佐々木幸綱は、こんな風に言っている。「俳句というのは少数派の個性、川柳というのは多数派の個性、をあらわしたものである」―――これが、今のところ私にとって、最も説得力のある見分けかただ。


◇歌集「カウントダウン」に寄せて

 日常の中のふとした瞬間やできごとに、作者独特の視線が走り、それが若々しい三十一文字に形づくられている――――そんなタイプの歌が私は好きだ。

◇「生きものたちの部屋」 宮本輝 

 好きな作家の随筆を読む気分というのは、二通りあると思う。一つは、小説だけでなく、少し違うタイプの文章を読んでみたいという思い。そしてもう一つは、作家の日常生活や書斎のなか、あるいは創作の秘密といったものを、覗いてみたいという、ちょっとミーハーな思い。
「生きものたちの部屋」は、両方の思いをたっぷり満足させてくれる。
一つの素材から、ふっと次の素材へとスライドしてゆくときの、関係のつけかたや取り合わせかたの妙味にあるのだろう。


余談:
 俵万智の「風の組曲」−私の愛する作品たちにある宮本輝「生きものたちの部屋」を読む。この作品は大分前に読んだような気もするが、あらためて手にしてみて、読み手の気分によって受け止め方が変わっているような気がする。そうなんです、今まで読んだ本も、いつか読み返してみたいと思っている。