高村薫著  『照柿』


             2009-08-25


 
 (作品は、高村薫著 『照柿』  講談社による。)



                   
   

本書 1994年7月刊行

  
高村薫:

 1953年大阪生まれ。国際基督教大学卒。処女作「黄金を抱いて翔べ」(90年)で第三回日本推理サスペンス大賞を受賞。
 意欲的なテーマの選択、徹底した取材による細部の真実性、緊密な構成と豊かな人物造型から生まれる硬質なロマンティシズム―――氏の真骨頂を発揮しつつ、最新作では好きな登山と大都会に発生した凶悪な連続殺人を結びつけ、本邦初の本格的警察小説に挑戦している。

 

主な登場人物:

合田雄一郎警部補
(主任)

 警視庁第三強行犯捜査班。 八王子署の特別捜査本部に出向中。 たまたま拝島駅での女の飛び込み事件を目の当たりにし、その時跨線橋にいた赤い服の女(佐野美保子)に一目惚れをし、異常な行動に走る。
 一方本命の4階のマンションに住む女の殺害と盗難事件での捜査は二人の容疑者の詰めで難航する。
 離婚した妻貴代子のことが頭を離れない。 大学時代の友人加納祐介(地検勤務、貴代子は加納と二卵性双子)とは山仲間でもあり、喜代子と別れた後も時々相互に訪れあっている仲。 加納祐介の雄一郎に対する暖かさも魅力的である。

七係の面々

・林警部(係長)、雄一郎に対し片輪走行の車のように見えると。
・吾妻哲郎警部補、もう一人の主任。
・森義孝巡査部長(通称お蘭)、合田雄一郎の相方。 時に心に掛ける雄一郎の思いやりが、雄一郎の性格の一端を覗かせている。
・広田(通称雪之丞)、有沢(通称又三郎)、松岡(通称十姉妹)など

野田達夫  羽村にある大手薬品メーカーの工場に勤める係長。妻律子は中学の教師、10歳の息子誠一がいる。律子に対して、昔は喜びであったのに、見るたびに異物を自分の目に押し込まれるように感じてくる。合田雄一郎とは18年前、大阪で隣に住んでいて、故あって小学生時代雄一郎のお袋に育てられていた。
 雄一郎の父親が亡くなって後は、雄一郎が東京に出て、18年間接触はなく、出会った時その変化に当惑する。達夫は佐野美保子とは以前男と女の仲でもあった。
佐野美保子  信用金庫の窓口の女。野田達夫と付き合っていたが、佐野敏明という男と結婚。男が浮気をしていた旅館に飛び込んでいったことで、敏明が逃げる際相手の女を拝島の駅で突き落とした風になり、敏明は殺人の罪で取り調べられる。素顔の見えない謎の美人である。


読後感
 

 この小説を以前ドラマにしたテレビが放映されていた。 しかしこれはなかなか表現しにくく、暗くて視聴率を取るのは困難なテーマではなかったか。 しかし自分としてはじっくりと描写される人物像、心理状態の描写は嫌いでなく、興味深く読み進められた。そして「マークスの山」「レディ・ジョーカー」などとも絡め、合田雄一郎、加納祐介、貴代子のいきさつ、や七係の面々の所作、新たに野田達夫と得体の知れない佐野美保子の生き様は理解できるところが多かった。 そんな中、最後の方の場面を読んで、やはりドラマにしたい作品だなあと思うに至った。
 人の心に子供時代のことがかくも深く影響を与えていること。
 雄一郎の心のどこかに思いとどまらせるブレーキがセットされていたことへの安堵感か。

 合田雄一郎という警部補(主任)は相変わらず心に闇を持っていそうであり、一面外からは清涼感あふれる印象を持たせるそんな側面とが同居していて、その背景が「マークスの山」、「レディ・ジョーカー」にも現れていて、惹かれるところである。 そしてそんな状況の一端が「照柿」にも描写されていて人物を理解するのに役立ってきた。
このことがあって次の「レディ・ジョーカー」へと続いていたのだなあとの思いに高村薫への愛着がさらに膨らんだ。
 
 野田達夫が勤める羽村工場での熱処理行程のどろどろとしたトラブルの様子や、現場の管理の描写は、やはり自分も製造工場に働いていた頃のことや、学生時代にボルトの製造のバイトをした時のあの熱と暑さ疲労の具合を思い出させるも、物作りの懐かしさを思い出させてくれた。
 高村薫という作家のこの硬派の小説はなんとも得難いものである。


◇◆印象に残る言葉:


加納祐介からの手紙

「雄一郎殿
珍しい乱筆ぶりの君の心中を察しつつ、外野から二つだけ申し上げる。
・・・
今、もう一度『神曲』を読み返しているのだが、ふと考えた。 ダンテを導くのはヴェルギリウスだが、君が暗い森で目覚めた時に出会った人は誰だろう。

 ダンテが 《あなたが人であれ影であれ、私を助けて下さい》 とヴェルギリウスに呼びかけたように、君が夢中で声をかけたのが佐野美保子だった。 恐れおののき彷徨してきた君が今、浄化の意志の始まりとしての痛恨や恐怖の段階まで来たのだとしたら、そこまで導いてくれたのは佐野美保子であり、野田達夫だったことになる。そう思えばどうだろう。
 ところで、小生も人生の半ばでとうの昔に暗い森に迷い込んでいるらしいが、小生の方はまだ呼び止めるべき人の影も見えないぞ。
 十月十五日                              加納祐介」

 

  

余談:

 高村薫のエッセイ「半眼訥々」の中で著者が大阪生まれの大阪育ち(但し千里丘陵という新興住宅地、ただ六歳まで過ごしたのは「照柿」での実家の原風景と同じ。)のため、大阪弁はうまく話せないとか。それゆえ初期作品や「マークスの山」の合田雄一郎、「照柿」の合田雄一郎は大阪弁を使う人間に設定されているとか。
 しかし、「レディ・ジョーカー」では標準語になっている。もはや大阪生まれという特性が必要なかった、むしろ大阪弁という特異性は、むしろあざとくなると判断したという。
 こんなことを知ることが出来るのも、エッセイならではと。


 背景画は、事件(拝島駅でのホームから突き落とし)のあった跨線橋をイメージして。

                    

                          

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