高村薫著  『太陽を曳く馬』



                2009-10-25


 
 (作品は、高村薫著 『太陽を曳く馬』  新潮社による。)



                  
   

 初出 「新潮」誌上に2006年10月号から2008年10月号にわたって連載された。
 単行本化にあたり、加筆修正がなされた。
 本書 2009年7月発行


  
高村薫:

 1953年大阪生まれ。国際基督教大学卒。処女作「黄金を抱いて翔べ」(90年)で第三回日本推理サスペンス大賞を受賞。
 意欲的なテーマの選択、徹底した取材による細部の真実性、緊密な構成と豊かな人物造型から生まれる硬質なロマンティシズム―――氏の真骨頂を発揮しつつ、最新作では好きな登山と大都会に発生した凶悪な連続殺人を結びつけ、本邦初の本格的警察小説に挑戦している。

 

主な登場人物:

合田雄一郎

警視庁捜査一課第二特殊班捜査第4係係長。 福澤彰之とは福澤秋道の事件の時と、今回の座禅修行に参加した末永和哉の車にはねられた事件で聴取するが、さらに鈍い砂の様な感じを抱く。
「正法眼蔵」を読み永劫寺の僧侶たちに挑む。

吉岡 合田雄一郎の部下の若い刑事。 今風の青年感覚で永劫寺の僧侶達の理解できない話も大枠で評してしまう。

福澤彰之

福澤栄の外腹の子。 今は永劫寺別院(通称永劫寺サンガ)の創設者(主宰者)。 希有な修行僧の団体を組織した男。末永和哉が以前交通事故を起こした後、青巌寺住職に、法名彰閑。
福澤貴弘 永劫寺、もともと福澤栄の肩入れで現在の規模にまでになったが、今は甥の福澤貴弘が檀家総代を継いでいる。
福澤秋道 福澤彰之と杉田初江の間に出来た子。 小さい頃から非行歴あり、29歳の時警視庁管内で重大事件を起こし、一審で死刑が確定、控訴を拒否し2年後死刑が執行された。 犯行の動機は不明のまま。
久米哲司 弁護士、福澤秋道の事件、末永和哉の交通事故死の告訴とも担当する。

福澤秋道の殺傷事件関係者
1998年6月2日から3日にかけて発生。

・荒井久美子: 小劇団を主宰、6年程秋道と同居。
・大野恵美: (死亡)劇団の見習い25歳、荒井久美子の所にいる秋道を呼び寄せ、1年程同居、絵を描く秋道の世話をしていた。 妊娠しており、その嬰児も死亡。
・川島大輝: (死亡)隣家に住む大学生、秋道とは知り合いという関係ではナシ。
秋道の行為: 絵を描いている時にじゃまになる音を消したいと玄翁をつかみ、大野恵美の頭を殴打し、絵を描き続ける。 そのあと、川島大輝の家から聞こえるCDの音もじゃまになり同様。

末永和哉交通事故死の関係者
2001年6月5日発生。

・末永和哉: 慶応大学文学部で認知心理学を専攻、広告会社に勤めた後、てんかんの病気のため退社。そしてオウム真理教のヨーガ道場に通っていたことがあるサンガの修行僧。発作を起こし寺を抜け出して道路に飛び出しトラックに轢かれて死亡。3年前にも発作を起こし、交通事故を起こしている。
・末永敏雄・良子(告訴人): 末永和哉の両親。
・久米哲司: 告訴人ら代理人弁護士。
・高木宏仁: (被告訴人)永劫寺サンガの責任者(副住職)。
・岩谷渓山: (被告訴人)永劫寺サンガの責任者(副住職)。
・長谷川明円: 永劫寺住職。
・岡崎博法: 堂行(どうあん)=雲水達の統率役。



物語の展開

横須賀図書館の紹介データベースより

(上巻)合田雄一郎がミレニアムを挟んで挑む2つの事件。動機と死体の接点はいったいどこに。血塗れの惨劇と僧侶の轢死には共通項が…。「晴子情歌」に始まる3部作完結篇、現代の東京に降臨。

 (下巻)死刑囚と死者の沈黙が生者たちを駆り立てる。僧侶たちに仏の声は聞こえたのか。彰之に生命の声は聞こえたか。そして合田雄一郎は立ちすくむ…。人はなぜ問い、信じるのか。福澤一族100年の物語、終幕へ。


読後感

 福澤秋道のことについては、「新・リア王」で杉田初江と福澤彰之との関連や、養子縁組をして普門庵で過ごす秋道の奇行も記述されていたり、また杉田初江がアパートで餓死していて合田雄一郎から彰之に電話があったこともちらと記されていた。
 はたしてこの「太陽を曳く馬」では、福澤秋道の殺傷事件の詳細が明らかにされていく。

 裁判の過程で示される理解できない秋道の人物像は、それを計り知るのに「晴子情歌」での彰之の母である晴子の夫福澤淳三の性格のこと、秋道の実の父に当たる福澤彰之の生い立ちを「晴子情歌」「新・リア王」で思い起こしながら、本物語での行為、発言を考えてみたりもしてしまう。そんなところから秋道の奇怪な行動については家系というか“血”というものを感じてしまった。

 思うにこの状態を想定してこの三作品を構想し、築き上げてきたのかと思うと、高村薫という作家のすごさを感じてしまった。

 一方、合田雄一郎の秋道や福沢彰之を見る目はやはり屈折した悩み多い思考でものの本質を追求していく。時に元義兄から電話でテレビのニュースを今すぐ見ろ言われて見たテレビには、ニューヨーク世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んでいる様子、そして「あそこに貴代子がいる」との元義兄の言葉。14年も昔に別れた元妻(別れた後ニューヨークに移り、アメリカ人と結婚して世界貿易センターで働いている)のいま確かにこれこれ然々のものを見たという確信もなかったという。

 福澤秋道の殺傷事件、秋道は赤い絵の具を塗りたくり理解しがたい言動をする人物に合田雄一郎は悩まされる。もう一つの永劫寺別院(サンガ)の修行僧末永和哉の発作に伴う交通事故死での仏教に絡む末永和哉という異端児が雲水達の中に入ったことで起こる亀裂を感じ、僧侶達との事情聴取では宗教というものの理解に悩まされる雄一郎。読者としても美術といい、宗教といいどちらも理解することの難しさに少々投げ出したくなってしまった。

 しかし、僧侶たちとのやりとりを読み、明円住職との最後の面談を読み進んで後、福澤秋道のことが福沢彰之残りの手紙(死刑が確定後秋道宛に出す手紙)を読んでいくうちに、不思議なことになにか共通的なものが見えてきて、そんなところを著者は狙っていたのか、それとも日頃感じている著者の関心事があふれ出した作品だったのかと。

 作品の最後の方に掲げられる福沢彰之の手紙は、秋道の父親としてのあふれる思いが読んでいるうちにひしひしと感じられ、ジーンとしてしまった。


◇印象に残る表現:高村薫の作品にはその表現が魅力の一つである。

  ・特捜本部での長い夜、周りの雑多な物事に対処しながら・・・

 意味と無意味の間。雄一郎は調書を繰り続け、自分の肺が自然の器官そのままに凶暴に息をしているのを感じた。どの死体も、どの被疑者も、どの現場も、あるとき一斉に意味を停止して世界に空白の穴をあける、この静けさこそ事件というものだ。聞き慣れたサイレンや電話や怒号や雑談の全部が、突如異物の静けさを帯びる意味の絶後があり、そこにこの眼と耳と身体が立ち会う、この名前のない世界こそ、いまはおまえの日常だ。雄一郎は考えてみるが、しかし、ほんの少し前まで世界はこうではなかったのだった。そうだ、世界を静だと感じたのは、あの福澤秋道の事件が最初ではなかっただろうか―――夜のカエルは一つ深呼吸をし、記憶の昏い水路へぴょんと跳躍する。


・被害者の遺族である川島夫妻の上申書を読んで・・・

 喪失という絶対を知った<私ども>と<それ以外>、という世界。
 当時、それ以上は言い当てることが出来ないまま、代わりに事件以来手当たり次第に覗いてみた現代美術の、いくつかの空間表現のようだと迂遠なことを考えたのは、おまえもまた<それ以外>だったからだった。たとえば、ピントをぼかした一つの顔の写真を縦横にいくつか並べた壁があるだけの、クリスチャン・ボルタンスキーの空間。死が、反復と希薄化の間に浮かんだまま意味を失ってゆくその空間は、底に柔らかい毛布が敷いてあるようなまどろみに包まれているのが、いかにも<それ以外>の抱く夢想らしいところだった。またあるいは、日常のごくありふれた箱や、電球や、何かの物体が一つ置いてあるだけのフェリックス・ゴンザレス=トレスやアン・ハミルトンの空間。物理的な作用と反作用以上のどんな意味もない、ばらばらの人間とばらばらの感情がただ散らばっているその空間は、ほとんど<それ以外>そのもので、刑事が眺める犯罪の、あの静けさに近いのだった。

 

  

余談:
 
 この作品では合田雄一郎の性格がよく分かり、特に以下の所には笑ってしまった。
 告訴状について立件出来るか捜査を指示した東京地検の大峰検事に合田雄一郎が報告した内容に対する検事の言葉、「いっそ警察なんか辞めたらどうです? 残念ながら、犯罪現場にはどこまでも形而下の事実しかないですし。いまどき憂い顔で自由な意志なんてことを考えている人には、白と黒しかない、このわかりやすい現実社会の文法は、悲惨なぐらい合わないですよ。」と。

 さらに部下のオウム世代の吉岡の、ことあるごとの反応もいかにも現代っ子らしく、雄一郎の醒めた呟きが愉快。
 何事にも自分の疑問に真っ正面から向かっていき、理解するために必死で取り組み、悩む合田雄一郎の生き方を好ましく思っている読者は自分一人ではなく、やはり多いから合田雄一郎が出ている作品が読まれるのではなかろうか。
 背景画は、本書の装丁画に使用されているマーク・ロスコのポスター画を利用。

                    

                          

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