高村 薫著 『冷血』 









                  
2013-04-25



 (作品は、高村薫著 『 冷血 』    毎日新聞社による。)

           


初出 「サンデー毎日」(2010年4月18日号〜2011年10月30日号)
本書 2012年(平成24年)11月刊行。

高村薫:

 1953年大阪生まれ。国際基督教大学卒。処女作「黄金を抱いて翔べ」(90年)で第三回日本推理サスペンス大賞を受賞。意欲的なテーマの選択、徹底した取材による細部の真実性、緊密な構成と豊かな人物造型から生まれる硬質なロマンティシズム。

<主な登場人物>
 

高梨一家
父親 亨
母親 優子
娘 あゆみ
(歩)
弟 渉
(わたる)

父親:都立豊島病院の口腔外科勤務の腕のいい医者。
母親:父の代わりに住まいに近い歯科医院を引き継いでいる。
あゆみ:筑波大学付属の中学1年生。
渉: 筑波大学付属の小学1年生。
住まいは赤羽署管内北区西が丘1丁目の戸建て。

井上克美
(呼称 イノウエ)
姉 智江

埼玉県本庄市の高校卒業後、運送会社の運転手などをやったり、産廃処理場で働いたり。本庄の井上興業の末裔。明治の時代から砂利屋で一家をなしてきたが、両親は覚醒剤でパクられ倒産。3年前傷害で栃木の黒羽刑務所暮らし。盗癖、ある日突然スイッチが入ると半月位は止まらない、ビョーキである。

戸田吉生
(呼称 トダヨシオ)

四日市市出身、教育熱心な親の期待に押し潰されたらしい受験競争の敗者。6年府中の刑務所暮らし。新聞配達には無遅刻、無欠勤、几帳面な性格。歯痛に悩まされカプセルで動けなくなったことも。2級整備士の資格を取る破滅型の人間。
警視庁捜査一課

・課長 妹尾俊一
・第4強行犯捜査 早見武史管理官
・8係土井係長、後任遠山係長
・木戸理事官
 島袋主任、本間主任
・特4係長 合田雄一郎
 川村主任、野田主任

赤羽署

・所長 梶
・安井宏刑事課長

地検

・友納検事 東京地検刑事部の本部係主任検事。先月着任したばかり、何かにつけ現場に出てくるのを好む37歳。井上の方の担当。
・安原検事 戸田の方を担当。

合田雄一郎

警視庁捜査一課第二特殊班捜査4係の係長、40過ぎ。
2000年に強行犯捜査から特4に移り、未解決事件や特殊な掘り起こし事案、さらに業過事件の捜査中心。今回の一家四人殺人事件では捜一課長命で2斑が投入され、8係の従として参画。


<物語の概要>  
 
 
上巻
 クリスマス前夜の「一家4人殺し」。あまたの痕跡を残しながら、逃走する犯人たち。翻弄される警察組織の中で、合田が再び動き出す…。「太陽を曳く馬」に続く、“合田雄一郎”シリーズ待望の最新刊。
 下巻
 二転三転する供述。幾層にも重なっていく真実。都市の外れに広がる「荒野」を前に、合田雄一郎が抱いた決意。物語は今、圧巻の最終章へ…。人間存在の根源を問う、高村文学の最高峰。 

<読後感>
 

 第一章“事件”では父母はけんめいに父母を演じ、子どもはけんめいに子どもを演じる仕合わせな家庭と思い、自分は家族の枠から外れてゆきそうと思うあゆみ。一方で携帯の求人サイトで知り合うことになったふたりの下層階級(?)ともいえる刹那的なものを考えることなく行動している男達が動き回り、そして接点が出来てくるこのアンバランスさ。 さらに語り口の描写は頭が狂っているような、神経が麻痺しているような。このままあの幸せそうな家庭が悲劇に落ち込むことを予感させる展開。

 あの一見清々しくもあり、自分に正直である刑事の合田雄一郎は、はたしてどのようにして登場するのか。

 第二章“警察”では警察の特別捜査本部の編成、初動捜査から地取り、敷鑑などの地道な捜査方法や状況報告、その書類の始末など克明に描かれ、役割分担、編成を作成する合田雄一郎の様子と、上がってくる情報に対する感想、現場の思惑と指揮官との思惑のずれへのいらだち、被害者の幼い子どもの日記を垣間見てのふと別れた元妻との空想など、ふつふつと沸き上がってくる魂の泡立ちが描き出されて犯人逮捕へそろそろと歩んでいく。

 第三章“個々の生、または死”では犯人逮捕後の取り調べの様子が克明に描写され、反抗の様子が明らかにされて行くが、裁判に必要な動機、犯意、殺意、物証と言った肝心のことがどうしてもクリアに説明がつかない苦悩が表面化。

 そして起訴された後の戸田吉生については、敗血症で入院、さらに歯肉癌が見つかっての病院生活での戸田の人となりと合田雄一郎の接触模様。一方、井上克美の拘置所暮らしでの合田雄一郎とのやりとりで生と死の間に揺れ動くお互いの思いが描写されてゆく。

 新聞では“この小説は高村薫の哲学書”だったか、ドストエフスキー(の「カラマーゾフの兄弟」だったか、「罪と罰」だったかうろ覚えだが、)に見るような登場人物の底辺から上流社会の幅広さを扱う云々の評価を見たような気がするが・・・。

 一家四人の殺害という暴挙に対する罪は救いようがないが、戸田や、井上という個人の素の姿を読んでいると、何とも切なくも悲しい思いがしてきて、涙がこぼれてきてしまう。

 雄一郎が戸田に“君という存在がほとんど誰の記憶にも残らない恐れがある。そうならないよう、私を含めて誰かの記憶に君や井上克美のことかせ刻み込まれるようにしたい”と伝える姿は、刑事としての仕事としては役目を越えた範疇であるのに、こんなことにも悩み葛藤する合田雄一郎を好み愛する所以である。

◇  印象に残る表現:

 合田雄一郎が抗癌剤投与の戸田を見舞って30分も一方的にしゃべった後、3日も経たないのに、戸田の死を聞かされ、葬儀場に駆けつける。帰宅した時、戸田からの官製ハガキが郵便受けにあり、

「私は合田さんのことをよく知らないままなのですが、相手をよく知っているか否かは、人間の対話の条件ではないのでしょう。「トーク・トゥ・ハー」の映画がそういう世界を描いているようです。そういえば私は先日、その映画の登場人物のように、合田さんの傍らでしばし語りかけられる側の人間になっていたのですが、なんだか夢のようでした。私はもう映画を見ることはありませんが、合田さんがもしご覧になったなら、どんな内容だったか、是非教えて下さい。皮肉な話ですが、いまごろになって、知りたくてたまらないのです。子どもを二人も殺した私ですがね生きよ、生きよという声が聞こえるのです」


   


余談:
 一家四人が殺害された高梨家の、中1の女の子は早熟のようでスタンダールの「赤と黒」を読んでいたという。やはり内容を知っていないと理解が出来ないと、本作品を読み終えて早速読むことにした。
 なかなか動機がないと読み薦められない作品である気がしたが、それはそれで歴史を知って読むとまた読み方が判る気もする。
 恋愛小説として見ると女子中学生が読むにしてはやはり早熟だったんだなあと思われた。
読書って奥が深いし、まだまだ読みたいと感じる思いを新たにした。
背景画は作中、戸田がこだわって履いていたクラークスのトゥルーンの靴と、井上が乗り回していた白いシルビアのフルエアロタイプをイメージして。

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