高村 薫著 『地を這う虫』 









                  
2009-12-25




 (作品は、高村薫著 『地を這う虫』 新潮社による。)

           


初出誌
愁訴の花     オール読物 92年12月号
地を這う虫    オール読物 93年3月号
巡り逢う人びと  オール読物 93年7月号
父が来た道    オール読物 93年11月号
去りゆく日に   別冊文藝春秋205号(93年秋号)
本書 平成5年(1993)12月発行  本書は6作目。

高村薫:

 1953年大阪生まれ。国際基督教大学卒。処女作「黄金を抱いて翔べ」(90年)で第三回日本推理サスペンス大賞を受賞。意欲的なテーマの選択、徹底した取材による細部の真実性、緊密な構成と豊かな人物造型から生まれる硬質なロマンティシズム。
 本作は海外を舞台とした最初の作品である。英国とアイルランドは、度重なる単独取材行で第二の故郷のごとし、という。


<主な登場人物>
 
 
愁訴の花: 
田岡 警察を定年退職後、小さな警備保障会社に就職、今は警備員の研修要項なるものを作成する仕事に。
須永 定年退職の5年前、田岡が配属されていた係の仲間、仲間の間では一番出世した男。去年警視になり、管理官の席に座った途端、肝臓を壊し入院中、様態悪化し今夜が山場の状態。
小谷泰弘 警視庁での仲間の一人、7年前とんでもない事件を起こし、現職刑事の逮捕・実刑判決という前代未聞の醜聞の当時30そこそこの若い刑事。一週間程前に出所してきている。

 地を這う虫
田沢省三 15年間勤めた警察を辞職、昼間は倉庫会社、夜間は薬品会社の警備員として働く。倉庫と薬品会社の距離300メートルを辺とする四方形の碁盤目の地域を巡回し五軒の空き巣に入られた理由を探ることうちに・・・。

 巡り逢う人々
岡田俊郎

13年刑事だったが、5年前に民間会社に移り、貸し金融の取り立て屋が仕事の40歳。
福生の町工場に取り立ての第一段階である督促の役。

植村義明 岡田俊郎とは山梨の田舎の高校時代の他愛のないワル仲間。青梅線の電車の中にいたサラリーマン風の男が植村義明であった。
原田則之 福生の町工場に勤める若者。10年前ケンカで防犯課にパクられてた時に親子丼をおごって遣ったことで俊郎を覚えていた。

 父が来た道:
戸田慎一郎 警視庁捜査二課のばりばりの現職刑事であったが、父が買収等の選挙違反を問われて逮捕され、依願退職する。父の代から地元で家族ぐるみの付き合いのある佐多幸吉本人からの誘いで、お抱え運転手となる。それには佐多側からまた警察からの思惑が絡んでのことであった。
佐多幸吉 40年近く政権与党の議席の一角を占め続け、この二十年は中央政界を掌中にしている大物。

 去りゆく日
和郎 37年間の刑事生活を本庁と所轄を行ったり来たり、大きな山に当たることもなく過ごしてきたが、1ヶ月前に起きた事件に違和感を覚え内緒で調査をしていたが、ついに最後の日を迎える。
浅倉幸介(被害者) 借家や土地を多数所有する74歳の老人。離婚歴2回の30歳も離れた若い妻妙子と再婚。二年前脳卒中で倒れリハビリのため、夜の散歩の途中、河川敷の階段で倒れているのが発見された。衣服が乱れることなく整っていることに和郎が不審を抱く。


<読後感>

・愁訴の花
 定年退職して小さな警備会社に就職した田岡が、若かった仲間の小谷の事件に改めて疑念を抱き、小谷の妻殺害の部屋に残されていた一輪のリンドウの花の存在がキーを握っていた。
 一般に短編小説というのは、状況を把握してやっと感情が入り込んでいったところでまもなく話が終わってしまい、また新しい環境に馴染まなくてはいけないというのが好みでない。
 この本は5つの短編小説が収められているが、一番目の「愁訴の花」はそれでもその編だけでずいぶん興味を起こす題材で、なかなかの作品ではないかと感じた。

・地を這う虫
 15年間勤めた警察を事情があって辞め、でもその間の地どり専門の刑事として過ごしてきた省三の生き方がその後もしっかり受け継がれ、地道な生き方の中にあたかもゲジゲジの虫を踏みつけないで見逃していく姿は嫌いじゃない。
 空き巣事件を解明しても結局本庁にいた警部がたまたま遭遇した省三の心境をおもんばかって、形ばかりの供述調書で体裁を取り繕ってくれたということだろうと・・・、人生はそんなものかも。

・巡り逢う人々
 岡田俊郎の刑事の時に培った性格、生き様が抜けきれなく、取り立て屋になっても相手のことを思い、第二段階の取り立てをする暴力団組員に取り立て方をくどくどと指導する俊郎。一方で婿養子で気弱な工場の社長の大金でもないが期日に借金を返せなくて工場に姿を現せない男の人生。やはり高村薫の作品の男の姿を感じてしまい、結構好きな作品である。
 5作品の中でもこの作品が印象深かった。

・父が来た道
 切れる男(慎一郎)の政界の大物佐多幸吉のお抱え運転手でありながら、表面的には指示に従いつつ、自らは推理を働かせる。そして警察からは父の仮出所を短くするよう取りはからってやるとの言葉に佐多の行動をメモして渡すというスパイの役目も行う。何か合田雄一郎の生き方を見ているようでぞくぞくする。


・去りゆく日
 37年間の刑事生活の最後の退職日の行動を読んでいると、自分の定年退職日のことが思い出され、やるせなさというか、ああいう時を越えて来たんだなあと感慨深い。

 5つの作品はいずれも短編小説ではあるが、かなりの感情移入がおきてしまい、物足りなさなど感ぜず、さすがだなあと思われる。一つに全作品が刑事であったこと(「去りゆく日」は現職の刑事であるが)から刑事物のベースが一貫している点で題材は違ってもそれすぎない点が全体として一冊の本としてまとまった感を与えてくれたものと思う。

<印象に残る言葉>

 「父の来た道」 父が出所し痩せてはいたが、意外に血色も良く、早々にあの世へ行きそうな気配もなかった。何より目に勢いがあった。そして慎一郎に言う言葉:

「お前の目には欲が足らんな。父さんはこの四年、般若心経を読んでたわけじゃない。新しい事業を起こすつもりだ。・・・そんなことでも考えてないと、悔しさで気が狂うのさ。人生の大きさは、悔しさの大きさで計るんだ・・・」 


余談1:
 
 野崎六助の「高村薫の世界」(情報センター出版局)に高村作品の生い立ち、作品の分析が記述されている。そのなかで本作品のことがスペースは少ないが記されている。それによると「マークスの山」刊行をはさむかたちで、いずれも退職警官を主人公にしてその「第二の人生」の一齣を切りとった短編小説が書かれている。これらは「地を這う虫」に収録された。いわば「マークスの山」の拾遺のエピソード集といったところか。収まりきれなかった挿話が、それぞれ見事な短編小説にまとめあげられている。・・・ 高村薫という作家のスケールの大きさを語っていると思われる。

余談2:
 覚え書きも兼ね高村薫作品の作品歴を掲げておこう。
 1. 黄金を抱いて跳べ     1990.12
 2. 神の火          1991.8
 3. わが手に拳銃を      1992.3
 4. リヴィエラを撃て      1992.10
 5. マークスの山       1993.3
 6. 地を這う虫(短編集)    1993.12
 7. 照柿           1994.7
 8. 神の火(改訂新版)     1995.4
 9. レディ・ジョーカ       1997.12
 10. 李歐           1999.2
 11. 晴子情歌         2002.5
 12. 新・リア王         2005.10
 13. 太陽を曳く馬       2009.7
中で「李歐」だけは途中で投げ出してしまった。どうも内容がなじめなかった。機会があれば再挑戦。
背景画は文春文庫の「地を這う虫」の表紙を利用。

                               

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