先月の「海の蝶」は1993年1月から京都新聞他に連載された作品。「短夜」は月刊Asahiで1990年6月号から1991年12月号に掲載されたもの。 「海の蝶」が「短夜」の後の1993年に出されたということで、骨董品に関する諸々のことは、「海の蝶」でも踏襲されたことになる。 カバー表紙には李朝白磁面取壺(部分)とある。
読後感: 骨董市での競(せ)りの模様、駆け引きの妙、骨董品に関する色々な知識、店の信用など、知らないことが判り、そういう面で非常に面白い。
女一人でこういう世界を渡っていくことの難しさが伝わってくるのだが、作品全体を通して、「海の蝶」と比べ、何か物足りない。感動するものがいまいちかな。
印象に残る場面: ソウルから200キロ程離れた田舎(全州)に焼き物を買い付けに出かけたときの、歴史の問題をすなおに感じられたこと。 ☆ソウル通信社の森園が、商品を買い付けに来た蔦代を案内する場面。 「あなたは初めてあの国に来た人です。それがあそこに駐在していた僕よりも、ずつと深い人間とのつながりをつくり出した。ですから、あのお婆さんがビビンパブのめし屋にしん辰砂(しんしゃ)の壺を持って現れた時には、物凄いショックを受けたんです。これは一体なんだろうと」 「政治的な変化や世の中の出来事ばかりを追うことでは、ある国家や社会は見えてこない。まして、民族などは視野にも入ってこない。それが見えるようになるためには、文化の中、つまり土壌や人情そのものに親しむ他はない。」 「当たり前のことですよね。でもそんな簡単なことが、僕にはわかっていなかった。あのお婆さんがあなたに、辰砂の壺を探してやらなければいけないと思ったのは、あなたの中に、朝鮮の文化への深い敬慕があったからなんです。」