読後感:
高樹のぶ子のエッセイ「妖しい風景」(2001年講談社)の中で“私は作家として原稿用紙の上にたくさんの人生を作りだし、読む人に感動を与えることができます。すばらしい人生を作りだしたいというのが、私の文学の目的のひとつです。・・・書く価値のない人生というものはありません。どんなに最悪な殺人犯の人生でも書く価値はあるのです。人間に対して、悪意や敵意を持った姿勢では、いい文学は生まれません。人間に対して「いいまなざし」を持つこと、大げさかもしれませんが、ものを書くということは、神のような許しのまなざしをもって行うべきだろうと考えます。書くひとがどのようなまなざしや姿勢を持つかによって、文学になりうるか否かが決まるのです。”とあった。
この作品を読んでいると相馬涼子という高校二年生の普通の女の子が、憧れの担任の三島先生が松尾勝美(涼子より一つ年上だが留年して同じクラス)に対しての暴言ともいう言葉から三島に失望と憤慨を覚え、勝美に近づく。そこで勝美のすさんだ態度、母親千枝と勝美の家庭の状況にとまどいながら、自分も周囲の人間から違ってみられるようになっていく。
でも勝美を夕食に誘った時に示された、涼子の父親や母親の勝美に対する態度はおそらく勝美にもひとかたならず影響を与えていることだろうとも・・・。
そして父親の、勝美の母親千枝と母親に対する勝美の行為と思いには、読者に単に表に現れるものの内にじんわりとしたものが伝わってくる。勝美と母親千枝との関係は涼子に頼んだ手紙の代筆のことを抜きに推察できない。そして揺れる涼子の内面が読者にも伝わってくる。
やはりこの小説が芥川賞を受賞していることが分かる気がする。
印象に残る言葉:
望遠鏡で星を見ようと松尾を自宅の食事に誘い、星空を眺め、そしてつまなそうにしている松尾に涼子が「もっと喜んでもらいたかった」と投げかける言葉:
「うちはなんで松尾さんみたいな皆がよく言わん人に近づいたんか、自分でもわからん。 ただ松尾さんは、これまでの十七年間、うちの心がきちんと片づいとったところをひっくり返したんよ。 何が上等で何が下らないか、何が正しくて何が間違ってるか、わからんようにしてしまった。 いや、本当のとこはね、最初そんな感じがあったけど、近頃は何となくめどがついてきた。 松尾さんのすることなすことが、うちの気持ちにどう響くか、じっと自分の反応を見ることができるようになった。 うちはね、松尾さんが必死の力で何かやってるときは、それがどんなに人並み外れていても、いいな、と思ってきた。 だけど、どこかでふっと力を抜く。投げる。そしたら松尾さんは急に見苦しくなる。 どうしようもない不良になる。 今夜の松尾さん、そうなんよ、ただの不良に見えるんよね」
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