遠藤周作著  『深い河』

                
2007-07-25

 (作品は、遠藤周作著『深い河』講談社出版による)  



         
 

1993年(平成5年)発行。
「深い河」は、作者70歳の時の、集大成の作品といわれている。
・遠藤周作「深い河をさぐる」は1994年12月刊行(集英社)

インド仏跡ツアーに参加する主な登場人物たち

磯辺 妻が癌で余命3,4ヶ月と宣告される。そして死の間際、夫に「必ず生まれ変わるから、この世界の何処かに。探して、・・・わたしを見つけて・・・約束よ」と譫言(うわごと)を言い残し逝く。
ボランティアの看護に成瀬美津子がいた。 日本人として前世を生きたという少女の存在の知らせに、インド行きを決心する。
成瀬美津子 カトリック男子修道会の経営する大学仏文科時代、野暮ったく、毎日放課後神父さんたちのシャペルに行き、跪いてお祈りをする大津をからかうため誘惑し、神を捨てさせる。まったく別の男と平凡な結婚をした美津子は、仏蘭西へ新婚旅行に行き、リヨンで神父を目指す自分が捨てた大津に出会う。美津子は何を欲しいのか自分がわからない。
大津 神を捨て成瀬美津子を取ったが、結局捨てられてぼろぼろになった大津は、再び神に拾われ、神父を目指してリヨンで修行する。しかし、教会では異端児と見られ、インドにきてヒンズー教徒のアーシュラムに拾われ、サードゥーの人達に暖かく向かい入れられたが・・・。
沼田 動物を主人公にした童話作家。両親は離婚、動物が話し相手。インドには動物や鳥を見に。
木口 ビルマでの「死の街道」敗走体験者。死を目前に塚田という戦友に助けられ、ようやく日本に帰ってきた。その戦友も日本に戻ってきたが、その時の体験から塚田は酒におぼれる毎日で、ついに吐血し入院する。戦友を弔うためツアーに。

三条

新婚でインドツアーに参加するカメラマン志望の青年。写真を撮るにはインドに限ると勧められて。名声を得るためには誰も撮ったことのないネタをねらおうとして・・・。

江波

ツアーの添乗員、34歳、インドに惚れて4年ほど留学。「インドは一度来ると徹底的に嫌いになる人と、何度も来たいという人がいる」という。

(補足)
・アーシュラム:道場のようなもの。
・サードゥー:ヒンズー教徒は年をとると家を子にゆずり、放浪修行の旅に出る。その人達のことをサードゥー呼ぶ。
  

物語の展開:

 インド仏跡訪問ツアーに集まった旅行者は、それぞれの人生で負う荷物に応じた目的があった。その人達と添乗員の人物像、背景が描かれながら、お互い絡み合い、インドという地に存在する混沌とした姿を受け入れる聖地ガンジス河での情景が展開していく。時にガンジー首相暗殺事件が起こり、その影響も受けながら。

読後感:

 いままでは仕事一筋でやってきて、妻のことなど空気のように思ってきた磯辺、そんな妻が癌であと3ヶ月の命であることを知り、今際の譫言(うわごと)で、遺した言葉「必ず生まれ変わるから、この世界の何処かに。探して、・・・わたしを見つけて・・・約束よ」に、考えてもいなかった転生のこと、感じてもいなかった妻がこれほどまで自分のことを思っていてくれたことに驚く磯辺は、ひょっとしたら自分のことかも。

 成瀬美津子のケースでは、自分の生き方に大きく影響を与える大津の存在に、いったい自分は人生で何を探し求めているのか、インドツアーに参加することでおぼろげながら悟ってくる姿に、こんな人もいるかもと。

 人それぞれ、死に対してどういう風に立ち向かっていけるのか、神とはいったいどういうものか、人はどう生きることで満たされるのか、いろいろなことを考えさせる小説である。
 
 この本は生と死を真っ正面にとらえて人の苦悩する姿があるが、それほど重くるしくて、暗い感じはしないで、ぐんぐん読み進められるのは、うまく構成されているせいかもしれない。

 以前瀬戸内寂聴さんがガンジス河での沐浴に挑戦し、そのすばらしさを語っているのを目にしたことがある。インドという地は、死体が道端に転がっていても、人々は平気で生活をしている。また死体を焼いている側で何でも受け入れてくれる深い懐がインドをこよなく好きになる理由だそうだ。

 
 善と悪だけでなく善の中にも悪があり、悪の中にも善があるという二分することなぞ出来ない。色んなものが混在している世の中、色んな神が存在していても問題が起きない、そんな世界が好ましい。



◇印象に残る言葉:
 この「深い河」という小説に関連し、「深い河をさぐる」という対談集が集英社から出ている。その中で”インドは何を教えてくれるのか?”と題する本木雅弘(モッくん)との対談で遠藤周作が語っていることがある。
 
 若い時は銀行家は銀行員らしく立居振舞をし、学校の先生は学校の先生、また父親は父親の顔を家庭で持たなくちゃならない。若ければ若いほど、そういう「生活の顔」を持たなくちゃならない。僕らくらいの年齢になると、生活というものが逆に薄くなって、人生しか残らなくなりますから。だから「生活の顔」じゃなくて、「人生の顔」をしたいと思う。とにかく死を迎えるのは、本木さんよりずっと早い。そうすると、インドへ行ったことで「生活だけじゃないぞ」という気持ちが強くなることは、とてもありがたい。インドでは生活と人生が一緒になっている。日本では生活しかない。日本の多くの人は生活だけがすべてという考えです。


余談:

 こういう小説を読みたい年齢になったなあという心境である。空は晴れ、からっとした空気の、涼しい風が吹き抜けていく木陰か、波の音を聞きながら、一人静かに読んでいたい。

背景画は本書の表紙を利用。

                               

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