周防 柳著 『八月の青い蝶』






                
2015-03-25



(作品は、周防 柳著 『八月の青い蝶』      集英社による。)

                  
 

 初出 「小説すばる」2013年12月号(抄録)
     単行本化にあたり、加筆・修正をおこなう。
 本書  2011年(平成19年)5月刊行。

 周防 柳:(本書より)
 
 1964年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、編集者・ライターに。
「八月の青い蝶」(「翅と虫ピン」改題)で第26回小説すばる新人賞を受賞。


主な登場人物:
 

熊谷亮輔
(りょうすけ)
父親 強
母親 福子
(後妻)
(先妻)千鶴子
  (没)
祖父(強の父)
時宗

熊谷家は広島太田川の川下の三保に一家(分家)。
亮輔は先妻千鶴子との間の子。亮輔2歳の時に他界。中学1年の亮輔は8つ年上の美しい希恵に“虫が取り持つ仲”で夢中に。
・父親の強は父親の時宗に準じ、軍人。偵察戦隊の隊長。
「みやこ」で千鶴子に似た希恵を見初め、現地妻に。
・母親の福子は後妻、愛想の良い方ではなく、男顔負けの野太い神経と出たがりな性格。強が軍人、将校であるため移動の繰り返しで強とは名ばかりの夫婦であった。

熊谷多江子
娘 きみ子
亮輔も多江子も被爆者同士、亮輔30歳、多江子23歳の時(昭和37年 1962年)結婚。
・2年後きみ子生まれる。

小川希恵
父親 琢磨
母親 るい

父親(強)の17歳年下の愛人。強が台湾に出征時、身重の希恵を引き取り広島の実家の離れにばあやとふたり住まわせる。体が弱く終始家の中に居た。虫めづる姫君、虫の物知り博士。
・父親は東京帝国大学の生物学研究室に講師として勤務。昆虫学者。20代で結核になり、30代半ばでなくなる。
・母親のるいは夫が没後、「みやこ」に働きに、そして店主の後添えに。

豊田欽四郎 亮輔の幼なじみの親友。

物語の概要(図書館の紹介記事より)

 白血病で療養する父の持物の中にみつけた、小さな青い蝶がとめられた標本箱。それは昭和20年8月に突然断ち切られた、淡く切ない恋物語を記憶する品だった…。〈受賞情報〉小説すばる新人賞(第26回)

読後感

 熊谷亮輔の幼少期(中学1年生13歳)の時の希恵(8つ年上)との初恋の頃の描写が瑞々しくて好ましい。希恵は父親(強)の愛人で体は弱く家の中に閉じこもっているような生い立ち。
 強は修武台の航空士官学校の教官を務めることになり、死んだ妻の千鶴子によく似た希恵を見初め現地妻に。当時強36歳、希恵18歳。
 台湾に出征の強は希恵を広島の家の離れに移動させる。そんな中亮輔はそんなことも頓着せずに“虫”が取り持つ二人の仲で離れに入り浸り、やがて希恵の気持ちが萎えて「わたしのようなものは・・みらいがない」の言葉に目ざめ「きみさんのみらいは、わしがあげる」と求婚の言葉を思わず叫んでしまう。そして大人の対応の希恵は「いやなもんですか。承知ですとも。早く大人になって迎えに来て頂戴」と。

 その後の展開はどうなったのかと思われる内に、2010年8月の章となり亮輔の妻は多江子となり、娘のきみ子の名前が登場していてその間どうなったのかと興味をひくところ。そして物語の出だし部分、亮輔が急性骨髄性白血病を発病して1年半、78歳になろうとして最後に自宅療養の話の原因ともなった戦時中、戦後の様子の描写となる。

 ようやくこの小説の内容が判ってきた。
 亮輔が希恵にチョウの羽化をするところを見に行こうと約束して翌日の朝起こしに来てくれたかのと思いきや、目が覚めたときに見た光景とは。
 ここまでの所こんなことが描かれていると想像もしていなかった情景が展開されていようとは。
 場所は広島、時節は昭和20年
(1945年)8月6日。
 今年は2015年終戦から70年。くしくもこの小説で当時の様子を思い出すことになるとは。

 普通なら手にしない小説だろうけれど、そんな違和感なく読んでしまったのは何の予備知識も、偏見も持たずに素直に読めたことで、素直に当時の様子を読めたのかなと思う。
 奇しくもテレビでは桐野夏生原作の「だから荒野」
(BSプレミアム)では長崎の原爆被害者の老人が語り部をしているのを手助けする主婦・朋美の姿があるのも偶然なのか。

   
余談:

まず読み始めて感じたことは瑞々しい文章、小説ってこんな風に感じることもあったんだなあと。そんなことを感じた本に青木玉(幸田文の娘)の「帰りたかった家」、堀辰雄の「風立ちぬ」をふと思った。

                               

                 背景画は本書の内表紙を利用。

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