作者の言葉より:
あとがきに「橋のない川」に橋を架ける作業は、決してたやすいものではなく、一生かかっても及ばないのがあたりまえとか、とも思われますとあり、第八部以降も書き続ける意思が述べられている。取り組まずには居られない、これは人間の問題なのだと信じますと。
しかし残念ながらついに未完のままになってしまった。
読後感:
(奈良)大和盆地の村に暮らす畑中家の人々、父は日露戦争で戦死し、祖母(めい)と母(ふで)と子供達(誠太郎と孝二)の日々の暮らしが明治から大正時代にかけて丁寧に描かれていて、親子のお互いの思いやり、世間に対し、エタと烙印を押された負い目を背負いながら、必死に生きる姿がしみじみと胸に染みてきて、どうして人はこうも他人をおとしめ、自分の優越感を味わおうとする生き物であるのかと悲しくなってくる。
特に子供の世界は何と残酷なものか、それに加えて、大人の思慮のなさには情け無くなる。それなのに、子供達が学校で差別されて嫌な思いをしていることを親に知らせて悲しませたくないと思う子供心、親は親でエタということで子供に嫌な思いをさせたくないと思う親心、どちらにしても生まれながらに差別される人間のつらさは、現在の世の中でも例えば障害者のような人にも同じような苦しみを負っているのだろうと思い至る。
世の中の時代の動きが日露戦争、明治天皇の逝去、ご大葬遙拝式、乃木大将の殉死、桂内閣更迭、西園寺公望内閣誕生、第3次桂内閣誕生、原敬首相の刺殺事件などといった事件が折々はいってきて、時代の移り変わりがバックにあらわれ、普通の人々が感じる歴史の変遷も興味深い。
さらに米騒動の不穏な動き、誠太郎や佐山の仙吉の出兵といった身近な人々の移り変わりもあって、やがて秀昭、和一たちのエタと呼ばれて蔑まされていた人達が、世の中を変えるために立ち上がる頃(第4部後半から)から、この作品の著者の主張が大きく展開されてくる。
一方、孝二の杉本まちえに対する揺れ動く恋情も恋愛小説のようで心ときめく。
それにしても、日常の色んな出来事がたんたんと描かれているのを読むにつけ、だれることなくぐいぐいと引きつけられ、読む楽しみが増していくのはどうしてだろうか。
ひとつには、自分が奈良県大和出身(もっともすぐに兵庫県に移ったので小さい頃の思いでは、ただ、小学生の時の夏休みに、兄と二人だけで何週間か帰って過ごしたときのこと位だが)で大和の自然を描写する雰囲気がどこか心の故郷を思い出すようで懐かしさがあるせいかもしれない。
第5部からは水平社を創設して以降の活動の様が描かれていく。しかしその底にながれているものは文学作品としても優れていると思われる。小森村を中心に親戚仲間の生活ぶりが丹念に描かれていて貧しいが温かな人情が通い合って生きている姿がある。
さて、水平社が全国規模になって、さらに世の中の地主と小作人の対立、さらには農民組合や労働組合といった運動が出て来て次第に変化が生じてくるが、第七部の所では著者は80歳になっての作品ということである。
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