住井すゑ著 『橋のない川』







              
2008-12-25



(作品は、住井すゑ『 橋のない川 』 新潮社 による。)

         
         
      
 

1992年5月刊行

住井すゑ:
 1902年奈良県生まれ。 夫は編集者、農民文学者の犬田卯。ジャーナリスト、エッセイストの増田れい子は娘の一人。 「橋のない川」は1959年から1973年にかけ第6部まで刊行。



作品の概要:

 奈良盆地の小さな村小森小森は、周囲の村から「部落」として意味のないさげすみを受け、交際を絶たれていた。学校に通う子供たちも、絶え間のない差別と闘わなければならない。畑中誠太郎と弟孝二、それを育てる母親ふでと祖母めいの生活を中心に明治から大正へ、移りかわる時代の波。姻戚関係が複雑に絡み合い、外の世界と戦っていく親子、兄弟たち。やがて差別に対する反抗が全国運動へと展開されていく。

主な登場人物: (第一部から第三部中心に)

畑中誠太郎 小森出身(エタ)、坂田尋常小学校卒業後大阪に丁稚奉公に出る。孝二の兄、4歳違い。誠太郎の苦しいときの友達に松崎豊太がいる。
畑中孝二 誠太郎兄を頼りに、勉強に励み、小学校でも優等生と評価されている。高学年になるにしたがい、校長や学年担任の先生によってはエタと蔑まれることも。天皇や、神・仏を信じず、世の中の差別に憤りを覚えている。

母  ふで
祖母 めい

誠太郎、孝二の母ふでは夫進吉を戦争でなくし、原因を作った人間(天皇や司令官)に対し、彼等より長生きすることで勝とうと頑張っている。姑のぬいと共に、子供達のために貧しさの中で懸命に働き、暮らしている。

松崎豊太
(後、夫の方に引き取られ渡辺豊田)

島名出身、畑中誠太郎と同級生。大阪から来た私生児。誠太郎と仲良し、しかし母親は小森の人間と付き合うことを認めていないため、誠太郎のことを坂田の大地主の子と騙している。

志村貞夫
父 国八、
母 とよ
長男 敬一、
妹 きくえ

小森出身、畑中孝二と同級で親戚にあたる。そしてなにかと支え合う関係にある。

佐山仙吉
兄 貞一

坂田の出身、大地主の子供。誠太郎達小森の者を臭い、エタのものと蔑んでいる。
安養寺の村上秀昭
(秀坊)

小森出身、中学生でエタであることの苛めに、京都の学校に移るも、秀坊の顔見知りの先生が移ってきて、お前の生まれようしっとると。更に東京に移り美術学校で絵の勉強をする。しかし、そこで坂田の仙吉の兄貞一(小中学で同級)に遇う。誠太郎や孝二に「破戒」(島崎藤村著)の瀬川丑松の話を聞かせる。やがて水平社の推進者に。

七重
父悠治(ふでの兄)
母 ちえ

孝二のいとこ。井野出身。やはりエタ。孝二にエッタて何?と問い掛け、学校で苛められていることを話す。

和一(かずいち)
父 増吉
母 せつ
姉 つや

路(みち)出身のエタ。誠太郎達の従兄。つやが志村敬一の嫁になる。神武ご陵の拡張に路の部落立ち退きを政府に迫られ、抵抗する和一達。
安養寺の秀坊と仲がよい。


作者の言葉より:

 あとがきに「橋のない川」に橋を架ける作業は、決してたやすいものではなく、一生かかっても及ばないのがあたりまえとか、とも思われますとあり、第八部以降も書き続ける意思が述べられている。取り組まずには居られない、これは人間の問題なのだと信じますと。
 しかし残念ながらついに未完のままになってしまった。

読後感:
 

(奈良)大和盆地の村に暮らす畑中家の人々、父は日露戦争で戦死し、祖母(めい)と母(ふで)と子供達(誠太郎と孝二)の日々の暮らしが明治から大正時代にかけて丁寧に描かれていて、親子のお互いの思いやり、世間に対し、エタと烙印を押された負い目を背負いながら、必死に生きる姿がしみじみと胸に染みてきて、どうして人はこうも他人をおとしめ、自分の優越感を味わおうとする生き物であるのかと悲しくなってくる。

 特に子供の世界は何と残酷なものか、それに加えて、大人の思慮のなさには情け無くなる。それなのに、子供達が学校で差別されて嫌な思いをしていることを親に知らせて悲しませたくないと思う子供心、親は親でエタということで子供に嫌な思いをさせたくないと思う親心、どちらにしても生まれながらに差別される人間のつらさは、現在の世の中でも例えば障害者のような人にも同じような苦しみを負っているのだろうと思い至る。

 世の中の時代の動きが日露戦争、明治天皇の逝去、ご大葬遙拝式、乃木大将の殉死、桂内閣更迭、西園寺公望内閣誕生、第3次桂内閣誕生、原敬首相の刺殺事件などといった事件が折々はいってきて、時代の移り変わりがバックにあらわれ、普通の人々が感じる歴史の変遷も興味深い。

 さらに米騒動の不穏な動き、誠太郎や佐山の仙吉の出兵といった身近な人々の移り変わりもあって、やがて秀昭、和一たちのエタと呼ばれて蔑まされていた人達が、世の中を変えるために立ち上がる頃(第4部後半から)から、この作品の著者の主張が大きく展開されてくる。

 一方、孝二の杉本まちえに対する揺れ動く恋情も恋愛小説のようで心ときめく。
それにしても、日常の色んな出来事がたんたんと描かれているのを読むにつけ、だれることなくぐいぐいと引きつけられ、読む楽しみが増していくのはどうしてだろうか。

 ひとつには、自分が奈良県大和出身(もっともすぐに兵庫県に移ったので小さい頃の思いでは、ただ、小学生の時の夏休みに、兄と二人だけで何週間か帰って過ごしたときのこと位だが)で大和の自然を描写する雰囲気がどこか心の故郷を思い出すようで懐かしさがあるせいかもしれない。

 第5部からは水平社を創設して以降の活動の様が描かれていく。しかしその底にながれているものは文学作品としても優れていると思われる。小森村を中心に親戚仲間の生活ぶりが丹念に描かれていて貧しいが温かな人情が通い合って生きている姿がある。

 さて、水平社が全国規模になって、さらに世の中の地主と小作人の対立、さらには農民組合や労働組合といった運動が出て来て次第に変化が生じてくるが、第七部の所では著者は80歳になっての作品ということである。


   


余談:
 「橋のない川」の作品中に、エタのことを扱った島崎藤村の「破戒」の主人公丑松の行動についての批判がしばしば話題に登っている。 幸い以前に取り上げたことがあり、様子を承知していたが、こんな風に見ることもできるのかと、ただ上っ面を読んでいたのを反省させられた。

                  背景画は、本作品の内表紙の挿絵を利用。



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