(作品は、漱石全集第六巻 岩波書店による) ![]() 『虞美人草』、『坑夫』、『三四郎』とつづけて新聞小説を書き上げて、それに続く作品である。 |
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主な登場人物とその人物像: ◇長井代助: 無職で、別の家に住み、父から毎月手当をもらって生活している。 代助の住まいには、書生門野と、食事の世話などするお婆さんを雇っている。 ◇父 長井得(幼名 誠之進):役人を已め、実業界で働く。 ◇兄 誠吾: 父の会社に勤めている。 その妻、梅子。 ◇平岡と、その妻三千代: 代助の中学時代からの友人として平岡がおり、その妻三千代は二人の友達である菅沼の妹で、代助が平岡に結婚の仲介をした。 平岡とは殊に学校を卒業して後、一年間というものは、ほとんど兄弟のように親しく往来をしていたが、一年の後平岡は結婚し、京阪地方の銀行の支店詰めとなり、離ればなれになった。 それから一年半くらいたったころ、平岡の一身上に急激な変化があり、東京に戻ってくることとなった。 毎月父から生活費を貰い、優雅に暮らして、母の代わりに兄嫁に甘えている「高等遊民」の代助。 学生時代の代助は三千代を愛していたのにもかかわらず、あえて平岡の細君になるようにし向けた。 そして三年の月日が経ち、平岡夫妻の身にきざまれた苦労の後に再会し、代助の心の変化が起きる。 |
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印象に残る箇所。 父から進められた縁談を代助は断れば父子絶縁の状態を想像し、それから生ずる財源の杜絶を恐ろしがった。 もし馬鈴薯が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。 向後父の怒りに触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に齧り付かなければならない。 さうしてその償いには自然の愛が残るだけである。 その愛の対象は他人の細君であった。 |
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白百合について: 『それから』において白百合が登場する。 最初は三千代によって「三本ばかり」、次には代助によって「たくさん」花屋から買って来られるが、面白い事に二度とも雨を伴っている。 ところで白百合とはどういう品種のものかを、参考文献ではヤマユリと解釈している。 ただ、ヤマユリを白いと表現していることに難を指摘されている。 批評では、代助は鈴蘭の「極めて淡い、甘味の軽い、花の香」を楽しんでいたが、そこへ突然三千代が「甘ったるい強い香」「重苦しい刺激を」持つヤマユリの花束を、直視すべき現実と共に抱えてやってくる。 高等遊民としての平穏な生活を破る事件の予兆。 その後の、代助がそれを鈴蘭の束の中に「突っ込んでしまうまでの不安と混乱に満ちた一連の動きは、鈴蘭と白百合との香りの違いを巧みに生かした類を見ないもの」と評している。 漱石ともなると、文章の表現の裏に潜む色々がおり、そういうことを知ることもまた、読書の楽しみを増してくれる。 |
余談1: ▼遠藤周作の読書法 遠藤周作は、一人の思想家、作家の全集を全部まとめて読むことを薦めています。 彼曰く、今日はAという人の本を読み、明日はBという人の本を読むのは要領が悪く、拙劣なのだとか。 いろいろな人の思念や思想が無秩序に、乱雑に頭に入りこんで、こちらを混乱させ疲れさすだけだそうです。 《ともかく、その一人の思想家なり作家については他の誰よりも知っているぞという 「通」になって下さい。 通というと語弊があるが、この読みかたは、あなたではない、別の一人の人間が生涯かけて作った人生観なり、ものを見る眼なりをあなたの上に全部、重ねる方法だからである。 この方法で読書されると、あなたは自分の中にもう一つの新しい自分が生れているのを感じるであろう。 私の経験からいって、この読書方法を是非おすすめする》 と。 |
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余談2: 背景画像には、作品中で意味深い白百合の花を配した。ヤマユリが本当かも知れない。 |
参考文献:
(1) 漱石の白くない白百合 塚谷 裕一著(文藝春秋)