読後感:
そういえば1年ほど前に読んだ同じ著者の作品「哀歌」のことが思い出された。アフリカに修道女として派遣された春奈のアフリカでの生活ぶり(その時は暴動の政情不安の時代)、日本に無事脱出出来たが日本で味わう挫折感のことが蘇ってきた。そのアフリカでの生活描写の元がこの作品にあったのかなあと思われる。ちなみに「哀歌」は2003年10月から連載の作品である。
この「時の止まった赤ん坊」という作品は修道女として「十字架の宣教会」に来て、修道院の経営するベトレヘム産院で、助産婦の資格を持つもう一人のマダガスカル人のスール・ジャンと二人で協力しあい、新しい命の誕生を助け様々な体験をする。
また当地での日本人としては、同じく52歳で修道院に入って「クララ会」という歓想修道会で、原則は外部の人たちとは接触を持たないで暮らす、母と慕う最上至暁子と、病気のため代理として赴任してきた商社マン小木曾悠がいる。それらの人達との交友で、日本語での細かい意思疎通を通して、アフリカや日本に関すること、家族のこと、現地の人々のことなどを語らい思いを吐露しあい、次第に自分たちが変わっていくのを悟る。
マダガスカルでの生活を通して、幸せとは何か、生き方のこと、死の受け入れ方のこと、信仰のことなどが浮き彫りにされていく。
茜は最後はまた一人になるが、最上至暁子の死後の処し方の遺書、小木曾悠が去るときに示した滞在中の言動とは異なる行為に、彼の心の内を知る。さらに小木曾悠の現地での愛人であるマリーの最後の行為も、アフリカ人の心の一端を表していて暖かい気持ちにされた。
アフリカという土地には貧しい人が溢れているけれど、幸福とは何か、人はどう生きるのが好ましいかを示唆するものがある。
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