物語のあらまし:
主人公鳥飼春菜は、修道院本部からアフリカに赴任するように命じられ、赴任していて、修道院の日常生活に慣れつつあった。しかしその国は政情不安な国で、大統領が殺され、人口の9割を占めるフツ人民兵(中には子供もおり、略奪や脅しを楽しんでいるもの達が多い)が、昔は国を支配していたツチ人を探し出して虐殺を行う事態に遭遇する。
春菜が修道院の生活を選んだのは、アフリカ宣教という仕事が、日本にいて就職や結婚をするより意義があると思ったからであったが、現実はそんなものではなかった。
やがて、神父たちも殺され国連軍の支援を受け出国にこぎつけたが、日本に戻った春菜を悩ませる出来事が待っていた。
読後感:
この作品を読んでいると、人間が何も持たない極限の状態の生活とは、こんな状態になるのではと思うが、でもどこか遠い世界の出来事と感じてしまっている。今もこういう世界があることを肝に銘じて、毎日を生きていく必要があると反省させられる。
政変の中春菜が体験した状態を、日本に帰ってきて仲間の修道院の人達や友人達に話しても理解されないであろうこと、今の日本の状態とあまりにもかけ離れた状態にあることに虚しさを感じることが同感出来る。
アフリカのどこかではこんな所が今もあるのではとの思いをすると同時に、こんな事があっていいのか、あり得るのかとも。人間って怖い動物であり、何か信じるものがないと生きていけないようだ。
修道女でありながら、修道院の中の人も善人だけではないし、出身も、育ちも違うし。また気分が悪くなるような場面の描写もあり、途中で止めようかと思ったりするが、アフリカを脱出して出国してからの春菜の気持ちの変化も知りたくなり、遂に最後まで読んでしまった。
アフリカでの生きざまを通して、人の善意に対する感覚が薄れてしまっていたが、出国して現地でたまたま会った田中一誠なる人物が、そんな感じの中、いい人か否か不明であったが、その人の秘書ともいうべき布村正子の人となりに今までの人間に対する不信感というか、もやっとしていた感覚ががすうっと消えてしまうものを感じた。
物語の後半になって、盛り上がってくる快感は、やはり前半の多くをさかれたアフリカでの生活描写がないと生きてこなかったんだなあと、作者の言いたかったものが見えてきた。
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