話の内容を何も知らずに読み始めた『胡蝶の夢』は、司馬遼太郎特有の様々な史実、説明が2倍、3倍の量で記されていて、何が焦点なのかわかりづらかった。しかし、長編小説でありながら、何故か途中で投げ出せないものがあった。
(このことについて、小説の最後の方で以下のように表記されている。)
この小説は私の印象の世界を流れている潮のようなものを描こうとした。自然、主人公は登場した人間の群れのなかのたれであってもよかったのだが、しかしこの流れにとって、もっとも象徴的な良順と伊之助、それに寛斎の足音と息づかいにきをとられることが多かった。)
それは主人公の松本良順の人柄であり、島倉伊之助の生まれながらにして記憶力がよく、才能は豊かなのに、人としての常識離れの態度に、人から好かれず敬遠されている所を、良順が理解し、かばっていく暖かさかもしれない。
背景に日本の医学の、漢方と蘭方の争い、幕末から明治にかけての政情の動きと良順の関わり、将軍奥御医師としての良順と将軍家茂や一橋慶喜との交わりがあり、新選組近藤勇や土方歳三、永倉新八との交わりの中で、思想の類似性と違いによる行動の違いに物語が展開すると、急に物語が生き生きと感ぜられてくる。
もう一人の主人公ともいえる関寛斎との、オランダ軍医ポンペに学んだ長崎伝習所での良き日の交わりを通して、彼等三人の運命が、時代の変遷で数奇な運命に流されるさまが次第に明確になってくる。
胡蝶の夢の由緒について:
伊之助はすでに肺結核になっていた。明治12年の寒い頃、名古屋を発ち、駕籠で熱海に向かった。
三月、東京へ帰りたくなった。妻子や良順に会いたく、矢もたてもたまらぬまま再び駕籠に乗って東をめざした。道中、熱が高く、狭い駕籠の中でゆられながら、ひらひらと自分が蝶に化(な)ったような錯覚をしきりに感じた。平塚の外れの野をゆくとき、菜の花に蝶が舞い、『荘子』にあるように栩栩然(ひらひら)として宙空に点を撃つことを楽しんでいる。莊周(荘子)は夢に胡蝶になり、覚めれば莊周であった。莊周が夢をみて胡蝶になったのか、胡蝶が夢をみて莊周になっているのか、大きな流転のなかではどちらが現実であるかわからない。佐渡の新町の生家の物置の二階で『荘子』を読んだときの驚きが、菜の花畑の中をゆく駕籠の中でよみがえった。
「おれは、蝶だぞ」伊之助は、駕籠の中から首を出して叫んだ。
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