山本周五郎著  『ながい坂』
                 
2006-06-25

(作品は、新潮文庫 山本周五郎 『ながい坂』 上、下巻による。)


              

「ながい坂」は昭和39年6月から昭和41年1月まで「週刊新潮」に1年半にわたり連載された作品。そして、昭和41年2月、3月に上下巻として新潮社より刊行される。



主な登場人物:

阿部小三郎(後、三浦主水正
(みうらもんどのしょう)

徒士組(かちぐみ)20石組頭の二男、長男が産まれてすぐ亡くなり、家督を継ぐ運命であったが、弟小四郎に譲り、元服し自らは三浦家を継ぎ、老臣山根蔵人の娘つる(18才、鷹の子と呼ばれている )と20才で結婚する。つるとの仲はある出来事から冷えたままで、つるは気ままに仲間達と出かけることが多い。
平侍の出であったが、ある出来事をきっかけに奮起し、藩主に用いられることとなり、めみえ以上の者たちから疎(うと)まれ、徒士組の者から憎まれ、四方八方から疎みと憎しみの眼が集まるなか、堰堤の工事に邁進する。

飛騨守昌治
(ひだのかみ まさはる)

16才の時、藩主佐渡守昌親が江戸で病死し、嗣子の昌治か跡目を継いだ。(但し兄松二郎昌之がいたので、後に問題を引きやすい。この時阿部小三郎13才。)
藩の政治の歪(ゆが)みや、歪みの裏に隠されている巳の年の騒動、亥の年の騒動の秘密を、明らかにし正しく置き直そうとする若き藩主。三浦主水正他信頼のおける人間を自らたばね、行動を起こす。

谷宗岳

江戸から招かれた尚功館の教授。尚功館は藩校の一つ、中以上の家格の子弟のための学校。学問の教官も武術の師範も、第一級の人が選ばれる。小三郎は当初籐明塾の塾生であったが、谷先生のもとに通って勉強し、10才の時試験を受けて尚功館に入学した。
年老いた宗岳には疑いを抱きつつも、阿部小三郎の心の支えの人物。しかし晩年は・・・

小出方正

籐明塾の教師。もう一つの藩校、中以下の侍の子弟や、町家の者も入学することができる。阿部小三郎に「拾礫紀聞(しゅうれききぶん)」を読んでおくよう勧める。「拾礫紀聞」は阿部小三郎の曽祖父が記した過去の出来事を記録したもの。17册の内、5册が紛失している。

米村青淵

仁山村(にやま)の豪農の隠居。洪水を防ぐために未完成の堰を犠牲にして用水堰に川の水を放つよう忠告する。
山根蔵人 老臣、江戸家老津田兵庫は弟。娘つるに阿部小三郎を婿に迎えようとするが、断られる。そして飛騨守昌治の意志で、三浦主水正の嫁にやる。
滝沢主殿
(とのも)
滝沢家と山之内家で本来は一代交代の城代家老であるが、このところ3代続く城代家老。巳の年、亥の年の秘事を握り、藩内で滝沢主殿に睨まれて縮み上がらない者はいなかったが、年老いての主殿は病に伏すも、跡目は譲れずに・・・
兵庫友矩 滝沢主殿の嫡男(元服前は荒雄)、4代目も荒雄(元服して兵庫友矩)が継ぐかと世間では思われているが、三浦主水正に恥を掻かされ放蕩生活に落ち、酒浸りの生活を続けるが・・・
六条図書 綿密な計画の元、飛騨守昌治を江戸下屋敷に隠し、兄松二郎を利用して御新政を断行。旧制度を改めるも、次第に藩内には不満が募ってきて改廃を求める動きが生じてくる・・・

印象に残る場面:

◇小出方正(60石あまりの書院番で、籐明塾の教師を兼ねている)が阿部小三郎へ言ったこと

「―――なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい、けれども阿部、人の一生はながいものだ、一足跳びにあがるよりも、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも一歩、一歩を確かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ、わかるかな」

◇三浦主水正と山根つるとの会話

当初山根蔵人から、阿部小三郎に娘つるの婿に来ることように計られたが、阿倍の家督をつぐことを理由に断る。そして絶家している三浦の家名をついで、山根つるとの縁談が持ち込まれていた時の話。

馬で主水正の脇を駆け抜けたつるが、途中で馬を停め、「鞭を落としたので戻って探してきて欲しい」と呼びかけたのに対し、「馬をせめるのに鞭を落とすというのは聞いたこともなし、私はあなたの召使いではありませんから」と断る。「出世がしらだと思って威張っているのね」「身分は平侍ね」と高飛車に出るつるを「山根さんも平侍だった」とやりかえす。「つるはあなたの所へは嫁になんかゆきません」と啖呵をきるつる。「いずれにせよ自分は二十五才になるまで結婚しないつもりだ」と相手が老臣の娘であり、こっちが平侍の子だということがつい知らず反撥を感じたのであろうと大人げないことをしたと思う。



感じたこと:

「樅の木は残った」での原田甲斐は身分も高く、人間的にも大きな人物で描かれていたが、「ながい坂」の主人公三浦主水正は、平侍の下級武士でありながら、それを糧に努力と研鑽で認められてきたが、悩みも多い。勢いで生きてきたが、年を重ねるごとに気持ちが変化し、成長する様を感じさせる。また、作品中の、敵といえども本当の悪人という者がいなくて、それぞれの立場で最善と考え行動している様が描かれているのが好感を持てる。
そして年を取ることで、その後の生き方がさまざまある姿に、自分の生き方を重ねてみるようになってしまう。


   





余談1:

 山本周五郎作品で50才を過ぎて書かれたという、長編三部作。作者が50才過ぎて書かれた長編三部作「樅の木は残った」(昭和31年)、「虚空遍歴」(昭和38年)、「ながい坂」(昭和41年)の最期の長編。
残りの「虚空遍歴」も是非読みたい作品である。

 

背景画は、作品中クヌギ林が主人公の気持ちを癒す場所として重要な場所となつていることから、クヌギ林のイメージ像。


                               

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