山本周五郎著  『樅の木は残った』
                     
2005-02-28

(作品は、新潮社山本周五郎全集第八巻、九巻 『樅の木は残った』による。)


      
 

 ご存じ伊達60万石お家騒動を扱ったものだが、よく状況は知らないので、初めての体験である。この作品に出てくる原田甲斐なる人物像は大変穏やかで、かつ決断力があり、懐の深い人物で、とても魅力ある人間に描かれている。しかし、絶対的な権力をもつ酒井雅楽頭(うたのかみ)一派の陰謀の前に、次第に味方方が死に追いやられ、どうしようもない状態に追い込まれ、孤独さに打ちひしがれようとして、最後の賭に出た結果の最後の場面で、雅楽頭の放った刺客に討たれながら、原田甲斐の乱心ということで伊達62万石を安泰に導いたとする結末は、なんともすっきりしない気持ちが残ってしまった。
 

物語の概要:

 物語の最初は、万治3年の、伊達陸奥守逼塞の沙汰による、その要因をつくったとされる坂本・渡辺・畑・宮本の4人が上意討ちの描写に、何やら風雲急を呼ぶ予感をさせる。そして、その家族の子供達(宮本新八と、畑宇乃と弟虎之助)が頼ったところにより、その後の運命に差が生じてくる。

 宮本新八の生きざまの描写はたくみで、苦しみが読者にひしひしと伝わってくる。宇乃は原田甲斐の保護に入り、甲斐を次第に慕うように穏やかな生活を過ごしつつ、甲斐の最後を迎えることになる。

 伊達安芸(涌谷)、茂庭周防(松山)、原田甲斐(船岡)の三人で、酒井雅楽頭・伊達兵部(一ノ関)の陰謀(伊達62万石を分割し、一ノ関に30万石を与える)を、茂庭は外から、甲斐は一ノ関の懐に入り、内と外から協力して伊達藩を守ろうという密約をする。しかし、一ノ関側の監視はきつく、色々と伊達藩内の内紛をあおってくる。そして時間が経つにしたがって、次第に心変わりをしているのか、意思が通じなくなっていく場面も出て来たりする。

 また、一ノ関側の策略の前に、自分の心の内を打ち明けられないばかりに、甲斐の周りからは次々と頼りにしている人々が離れていったり、死に追いやられたりして、限りなく孤独に陥ってしまう姿が痛ましく描写される。


見所:
 作中、断章と評して、語り方の名前は伏せられているのだが(一ノ関ということは途中から判るが)、ことの顛末をそこでの会話から読み取れるという手法も面白い。

 作品中出てくる伊東七十郎なる人物は、伊達藩の人ではないが、自由気ままに諸国をめぐり、思うことを言いながらも、原田甲斐を慕い、尊敬していたが、甲斐の本心を明かされないまま、遂には離れ、しかけられた件で一ノ関を刺殺しようとするも、通謀され、事前に取り押さえられ、打ち首になってしまう。その生きざまは心引かれるものであった。

感じたこと:

読んでいて困ったのは、
人の名前がなかなか判らないこと。
 例えば、伊東七十郎のことを七十郎とだけ書かれており、沢山の人物が名前だけで表されるので、誰が誰だかメモしておかないと判らなくなること。

・昔の偉い人の名前は、よく出身地で呼ばれるので、これもなかなか判りづらい。
  例えば、原田甲斐は船岡の館主のため、船岡さま、茂庭周防は松山さま等。

・江戸時代の幕府や藩での組織、体制、役目を理解しておかないとこれもなかなか厄介。解説でもあるといい。

◇作者山本周五郎の、人物の描写はさすがと思わせる描きぶりで、こまやかさ、情感、読者を捉えるこつといったものは見事というしかない。


   


余談1:

 今回手にした山本周五郎全集は、図書館で昭和43年11月購入の本であるが、もう色は黄色く変わり、あちこち敗れたり、つぎはぎしたりされているが、内容は現在でも通用するもので、さぞかし沢山の人達に手を取られた本だと忍ばれた。

 


                               

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