篠田節子著  『 冬の光 』
 





                2016-01-25





  (作品は、篠田節子  『 冬の光 』    文藝春秋による。)


           
  本書 2015年(平成27年)12月刊行。

  篠田節子:(本書より)

1955年東京都生まれ。東京学芸大学卒業後、東京都八王子市役所勤務を経て、90年「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞し作家デビュー。以降、「神鳥」「聖域」「夏の災厄」など綿密な取材に裏打ちされた力強さと独特の耽美性をあわせ持つ作品を次々に発表。97年「ゴサインタン―神の座―」で山本周五郎賞、「女たちのジハード」で直木賞、2009年「仮想儀礼」で柴田錬三郎賞、11年「スターバト・マーテル」で芸術選奨文部科学大臣賞、15年「インドクリスタル」で中央公論文芸賞を受賞。「弥勒」「純愛小説」「薄暮」「はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか」「長女たち」「ブラックボックス」など著書多数。


主な登場人物:

富岡康宏
(やすひろ)
妻 美枝子

大学を卒業後旧財閥系の重工業メーカーに就職。家では企業戦士として見なされていた。パリに出張で11年ぶりに笹岡紘子と再会。
妻の美枝子(5つ年下)とは部内の野球大会で先輩に紹介され、交際申しこみ、間もなく結婚。
妻の美枝子は夫が20年も女と付き合っていたことに怒り、謝罪させ、姉の子供の面倒見るとほとんど家に戻らず。
康宏の遺体は四国の徳島から東京行きのフェリーでの不慮の死で見つかる。

長女 敦子(あつこ)

栃木県小山市で市の外郭団体で嘱託職員をしている。3人の子持ち。細で几帳面だがちょっとしたことで強い不信感を抱く長女。

次女 富岡碧
(みどり)

五反田で素材メーカーの研究所勤務の独身、30過ぎ。一人マンション暮らし。おおらかで物事にこだわらない性格の次女。
両親の別居、母の父親の裏切りに対する行動への嫌悪から、父の死の真相を探るため父親が残したビジネスダイアリーのルートをたどって四国八十八カ所の遍路道をたどる。

笹岡紘子(ひろこ)

外マスターとし交官の娘。康宏と同じ大学の文学部知り合い付き合う。大学の研究室にて残り、20代の終わりに3年間フランスに留学以外一度も社会に出ることなく大学人として、彼女はあらゆるものと戦い続ける。
40を過ぎても独身、硬質な美貌をたたえた女性学者。

秋宮梨緒 康宏が四国遍路の山道で出会った白装束手甲脚絆の若い女。「乗せてくれますか」と声をかけられ・・・。

物語の概要(図書館の紹介記事より)

幸せな家庭を築きながらもひとりの女を愛し続けた父が死の前に歩んだ四国遍路の道。足跡を辿った娘が見たものとは…。ひとりの男の一生に宿る不穏さとロマン、悲劇性。変容し続ける作家・篠田節子の到達点。

読後感

最後まで読み終えると主人公富岡康宏の行動、考え方、生き様に、そして副主人公とも言える笹岡紘子の生き様にほれぼれしてしまう。さらにどこかミステリー風の展開にも引き込まれ、わくわくしながらの読書となった。

 第一章では父親の遺体の発見と共に娘碧の四国八十八カ所の遍路行が描写される。四国遍路は自分にとって長らく関心の深かったテーマであるだけに、読む方も期待感いっぱい。定年後机上の四国遍路を計画してどの程度の時間がかかるかを模擬したので実際の様子の描写も余計に身近なものであった。
 さて、父親の康宏の思いは果たして何だったのか、宿坊での康宏の行為には碧は理解できないことを感じたことだろう。

 二章に入ると康宏の学生時代での笹岡紘子との交わり、社会人になってから離ればなれの状態から、11年ぶりにパリで再会したことから、再び関係が出てきてしまう。
 康宏の人生の生き様、紘子の生き様が語られ、紘子と別れと再会を20年、時代を経つつ繰り返しながらも家族を裏切っていたことを問い詰められ、非難され謝罪をさせられて紘子への決別を宣告させられる。そんな折り東日本大震災が発生、父親の介護と死も重なり企業戦士として生きてきた康宏の気持ちに変化がもたらされる。
 二章はそのほかの章のベースとなるその辺の描写が長いページを割いて展開する。

 三章では笹岡紘子の死を知り、東日本にボランティアとして入り、人々の困窮する様子を目の当たりにし、そして紘子の死の真相を知ることに。虚無感に襲われた康宏は四国遍路を思い立つ。
 四章では再び娘碧の父の遍路行の跡を訪ねるミステリー風の様子が描写される。ここでも康宏の奇行の様子が解明されたり、新たな疑惑に戸惑ったり。

 五章では康宏の遍路行の詳細描写になり、碧が知ることになった詳細が明らかにされる。ここでは不可思議な白装束の女性が現れることで康宏の心境が揺れ動く。碧が怒りを覚えた女性との同行二人の行為の真相が記されている。

 最後の六章では父の一周忌、碧は父の乗ったフェリーに乗り、父親の死の直前の様子を見たいと・・。そしてそこで見たものは・・・。

印象に残るシーン:

・二章「鬼火」で:康宏の一生を掛けるだけのテーマは組織の中でどこまで上り詰めるかが最大の関心事だったが、その切実な望みは絶ちきられ、出向の内示。腹立たしさと失望感。そんな時長女の敦子が双子を出産。
 ”女の子の双子だった。娘のベッドに運ばれてきた、二つ並んだ下ぶくれの小さな顔を見たとたん、康宏は予想もしなかった感情の嵐に見舞われた。
・・・
 何もいらない、と思った。人生における幸福の総和がそこに凝縮されていた。
もう何もいらない。自分は何を苦しみ何に心を悩ませてきたのだろう。これほどの幸福を得ていながら。目頭が熱くなった。”

・二章「鬼火」で:紘子との20年もの関係を妻たちにとがめられ、家族には疎遠にされ、会社では財団法人に出向。父親の介護で疲れ果て父は旅立ってしまう。やがて妻と久しぶりにドライブに出かけた時に妻がするりと言う言葉に
”重たい荷物を下ろしてみれば、自分は何者でもないという、虚しさ、寄る辺無さに呆然とする。足下には老いと死がひたひたと寄せてくる。”

余談:

 四国遍路に対して、書物やテレビなどで紹介されていて経験してみたいと言う思いがある。ところが作中に康宏があるときから参拝のための装束一式を寺に預けたことに関し、行く先々で目にする光景は思い描いていたものとは相容れないような“嫌悪感ともばかばかしさともつかない冷めた思いを抱かせる”姿に出会うようなことにもなるのではないかと危惧する気持ちも片隅にある。
 でも”お接待”の風土は四国遍路にはぐくまれたすばらしいものであるので、そんな風に感じることはちょっとした偏見した見方だと思いたい。

背景画は、主人公の富岡康宏および娘碧が訪れたという四国88カ所霊場一番札所の霊山寺。

                    

                          

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