重松 清著 『その日の前に』

 

              2008-10-25


(作品は、重松清著 『その日の前に』 (株)文藝春秋による。)

                 
  

 重松清:

 1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。出版社勤務を経て執筆活動にはいる。

  


読後感
 

 

 最初オムニバスの小説かと思った。それが“その日のまえに”から“その日のあとで”にかけては継続した話で、しかも登場人物に先のフェイズの人物が登場してくるところで、関連づけがなされていて、時の流れを感じる工夫が為されていることに味がある。

 しかも各フェイズの話の内容が実に心に染みてくるもので、重松清という作家の思いがぐっと伝わってくる作品であった。何冊かの作品を読んでいるが、好きな作家の一人に加えたいと思った。

 どのフェイスもいい作品と思うが、やはりその日を迎えるときをじっくりと描いているフェイズが印象に強く残る。特に40歳で妻を亡くすことになる話には、自分はすでに60歳後半に入っていて、もう十分いつ死んでもこのような後悔はしないだろうと思うが、娘や息子がこのような状態になったら、親としてはどのような感情になるかと考えてしまう。

 いずれにしても、死は避けられないものだから、それまでの間にじっくりとその日を迎えても落ち着いて心静かに迎えられるように準備をしたいと思う。

 ラシオの深夜便で、末期ガン患者を数限りなく見ている院長が、くしくも「ガンになって幸せでしたね。ご家族や大切な人とゆっくりとお別れが出来るのですから」と患者さんに言っているんですというような主旨の言葉が、作中の文章と重なって思い出された。


印象に残る場面:

◇ 看護師の山本さん(妻の和美と同い年くらいで入院中仲良くしてもらっていた。また“ひこうき雲”のところで小学校5年の時、クラス委員をしていたが、同級生の子がガンで入院見舞いの色紙にハトの飛ぶ絵を描いたことを後悔していた経歴の人。)が妻が亡くなって3ヶ月くらいして僕に話した言葉 

「終末医療にかかわっていつも思うんです。『その日』を見つめて最後の日々を過ごすひとは、じつは幸せなのかもしれない、って。自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができますよね。あとにのこされるひとのほうも、そうじゃないですか?」・・・

たとえ、あと何日・・・何年あっても、僕は答えにはたどり着けない気がする。和美はどうだったのだろう。ちゃんと自分の生きてきた意味や死んでいく意味について答えを出してから、逝ったのだろうか。自分のことを忘れてもいいというのは、最後の最後に和美が得た答えだったのか、それとも、答えにたどり着けなかったからこそ、そう書いたのだろうか・・・

山本さんは微笑みをたたえて、僕をまっすぐに見つめた。

「考えることが答えなんだと、わたしは思ってます。死んでいく人にとっても、あとにのこされるひとにとっても」



  

余談:

 11月初め、大林宣彦監督の映画「その日の前に」が上演されるようだ。キャストを見てやはり小説で自分のイメージで読む方を好ましく思った。(大分偏見があるようで、映像の場合そのキャラのイメージが邪魔をしてしまうのが悪いところでもあるのは承知している。) またメディアの宣伝も影響が有るだろうし。

 

背景画は、本書の表紙を利用。

                    

                          

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