志賀直哉著 『暗夜行路』
           









             
2011-09-25




   (作品は、志賀直哉著 『暗夜行路』   角川文庫による。)

                 
        
  • 1921年(大正10年)、『暗夜行路』の前編のみを発表。
  • 1937年(昭和12年)、『暗夜行路』の後編を発表し、完結させる。  

 志賀直哉:
 
 1883年(明治16年)宮城県石巻市生まれ。白樺派を代表する小説家の一人。代表作は「暗夜行路」、「和解」、「小僧の神様」、「城之崎にて」など。

物語の概要 

 主人公時任謙作は、放蕩の毎日を送る小説家。 あるとき尾道に旅に出た彼は、祖父の妾お栄と結婚したいと望むようになる。 そんな折、実は謙作が祖父と母の不義の子であったことを知り苦しむ。ようやく回復し直子という女性と結婚するが直子が従兄と過ちを犯したことで再び苦悩を背負い、鳥取の大山に一人こもる。 大自然の中で精神が清められてすべてを許す心境に達し、「暗夜行路」に終止符を打つ

主な登場人物

時任謙作(主人公)

小説家。母は産後の病気で死に、祖父の家に引き取られる。祖父のことは死ぬまで好きになれず。謙作にとって年は20才も違うがお栄は感情的に一番近い人間。
出生の秘密を兄の手紙で知ることとなり、悩む。

本郷の父
兄 信行
妹 咲子
妙子

出生の秘密を知ることから、父の苦渋を理解し、言動に理解できるように。
2つ違いの兄信行とは友達のような関係で悩み事の相談とか自分の結婚の支援を頼んだりと頼りにすることが多い。

お栄 祖父の妾、一緒に生活していると、一番謙作の気持ちを理解する人。義妹の要請で天津に行くことになるが、いいように利用され、謙作は無理にでも引き戻しに出向く。
直子 謙作が京都に居た時に見初めた女性、なんとか末松や兄、代議士先生などの尽力で結婚にこぎつけるも、謙作が中国にお栄を迎えに行っているうちに、第一子を亡くした直子はいとこの要との不義がおき、謙作との間はしっくりとこない。
愛子 愛子の兄慶太郎、信行、謙作は子供の頃よく遊ぶ。愛子のことを謙作が好きになり結婚を申し込むが先約があるとのことで成就せず。謙作の心の傷は深かった。
末松 中学では謙作よりの2つ下、家が近く謙作とよく遊ぶ。色々な相談に応じてくれる友達。


読後感:
 

 「暗夜行路」は小さい頃?読んだような気もするが、読み続けられたかは判らない。 今読むといかにも明治から昭和の初期の頃の作品と思え、読書とはこういうものを読むことかなと思ったり。 特に後半部分の直子との、理性としては理解しながらも、感情的にどうしても許せていない面が残って、若い頃尾の道に出来ない仕事を無理にやろうとして失敗した一人旅とは違う、自分の精神修養とか健康回復が目的に鳥取大山にひとり旅に出て小さな虫や小動物の行為に気持ちをいやしす。 特に大山に登るも下痢のため連れから一人外れて夜明けを迎える時の描写あたりはこれぞ読書の喜びといった感じで自分の人生の最後もこんな風に迎えられたらと思う。

 文庫本の最後についているあとがきや覚え書きを読むと「暗夜行路」の誕生の様子や、フィクションではあるが、登場人物のモデルがあったり、志賀直哉自身の性格やらが記述されており、作品が生まれるのに相当難産であった様子が判る。

 謙作自身かなり人との関係がうまく結べない性格であり、自身の出生の秘密が血の流れとして残っていて愛子との結婚話が壊れたことが、その後直子を見初めてもうまくいくのか、また直子の不注意で不義となることも自分の運命であるかのまったく暗夜行路そのものである人生に惑わされる下りは切なくなるほどである。 お栄との結婚を考えても結局うまくいかず、当時の様子は夏目漱石の作品をもふつふつと思い起こさせる。 この作品を読破できたことも少しは年を重ねてきた結果かなと思ったりもした。

  
余談:

 この「暗夜行路」が、漱石が朝日新聞に連載されていた後を漱石から勧められていたことを知るにつけ物書きの世界の繋がりが思われた。

背景画は志賀直哉の自画像より。

                    

                          

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