2006-11-25












澤田ふじ子著  『遍照の海』


(作品は、澤田ふじ子著 『遍照の海』 中央公論社による。)

    

1992年冬号「別冊婦人公論」初出、19929 刊行。
澤田ふじ子の略歴・・・・・め。

 弘法大師空海が開設したと伝えられる四国八十八個所の霊場巡り、一度やってみたいと思っている。そんななか、NHK教育テレビの趣味悠々で「四国八十八個所 はじめてのお遍路」を放映していて、欠かさず見ている。そんなわけで本作品が目にとまり手にしてみた。
 江戸時代、司法処置で社会から遺棄され、一生、四国遍路につかされた人々がいたと知ったときから、主人公である鎰屋以茶(かぎやいさ)なる人物を書こうと考えたと解説にある。


物語の概略

 京市中で屈指の商人紙商鎰屋宗琳の娘以茶は、父親から手代の栄次郎を婿に迎えることになる。栄次郎は、外見は良さそうに繕っているが、物惜しみは相当なもので、身勝手さ、人に対する冷たい気性を、彼をよく知る手代仲間や、昔から以茶を育ててきた民には分かっていた。栄次郎自身は、入婿の負い目と、みんなを見返してやろうとする気持ちで、鎰屋を継ぐ覚悟で励んでいた。

 そんな中、火事で焼け出されて困っている浪人大森左内とその母、娘を、鎰屋が大家である長屋に住まわせ、慈悲深い以茶が面倒を見ることになるが・・・

読後感

 物語の中で、鎰屋内の出来事の展開、長屋での出来事など、何とも江戸時代の市中の雰囲気が感じされ、どういう関係で四国遍路と結びついていくのかと興味が尽きない。
 栄次郎が岡っ引きを使って以茶の行動を見晴らせ、不義密通の証拠集めをさせる段階では、実際にあることと、一般に世間といわれるものが見る内容とは、乖離があることは、いつの世でも同じ。

 生涯、遍路行を続け死んでいった女性俳人をデッサンしたとあるごとく、随所に挿入されている俳句から情景が浮き彫りにされる。

 いつの日か四国遍路が実現出来たら、この作品のことを思い出そう。


印象に残る言葉:

◇弘法大師の「秘蔵宝鑰(ほうやく)」の一節 

人の一生など、貴賤どちらにいたせ、仏の眼から眺めれば、所詮はかないもの。
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し。


◇挿入されている俳句から

以茶は与謝蕪村に師事していた。

・ゆく秋やほころびひどき頭蛇袋(ずだぶくろ)

 四国遍路をする鎰屋以茶の絶唱の句。薄汚れた経帷子(きょうかたびら)に包まれた身体を静かに夏草の中に横たえて死んでいた。村人達の手で「以茶自筆句集」は破り焼き捨てられ、奇妙にも焼け残った小さな紙灰の中の句。潮風にあおられ紺青の空にまいあがり、海に向かって飛んでいった。

・鈴の音やわれに悔いありひなまつり

わが子を偲んだ詠。


  

余談:
くしくもNHKテレビ土曜ドラマでウォーカーズ「迷子の大人たち」(4回連続)がオンエアーされている。
四国八十八個所をお遍路する迷える大人たちの様々な悩みをテーマにしたドラマで、次第に自分と向かい合っていく姿を見ると、無性に自分もやってみたいという思いがつのる。
背景画は、NHKTVで放送のドラマ、ウォーカーズ「迷子の大人たち」のタイトルを利用。

                    

                          

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