読後感:
「サマータイム」:
ぼくがプールで初めて広一くんを見たときのショックの表現「ぼくは、目を皿のようにしてぶしつけにじろじろと彼を見つめてしまった。左腕がない。ない、としか言いようがない。肩から先の空白に、ぼくは胸がつまるような息苦しさを覚えた」にがつんと頭を殴られたような感じに。この先どういう展開になるのか。
その後の広一くんとのやりとり、広一くんとお母さん(友子さん)とやりとり、姉の佳奈と広一くんとのやりとりは普通の人とのやりとりとみじんも変わらず、しかも思いやりさえ包まれたごく自然のやりとりにこころ打たれた。
短編でありながら、親子、姉弟、友達との素敵な会話と時間の経過が織り込まれていてほんと青春の輝きと憂愁がサマータイムのメロディーに相応しい内容となっている。
森沢明夫の「虹の岬の喫茶店」での“アメージング・グレイス”の名曲とともに、本作品の“サマータイム”と改めて名曲に相応しい作品に出会えた。
「五月の道しるべ」:
うん?と思う。前の「サマータイム」と調子が違う。先ず登場人物。伊山佳奈が主体で弟の進と母親が出てくる。つながっているのはうれしい。でも様子が異なる。それもそのはず話の内容は当時の小学1年生の佳奈をもう少し大人?になった時点で語っているところ。弟を従えるところは変わらないものの、弟の進も姉に逆らいながらもしっかり自分を主張している所は変わらない。
「サマータイム」は89年度、第10回月刊MOE童話大賞に、同時応募の「五月の道しるべ」も応募作1342編中、9編の最終候補作に残ったとある。うなづける。
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