佐藤愛子著  『これが佐藤愛子だ (二)』
副題:自讃ユーモアエッセイ集


 




                   2007-01-25
(作品は、佐藤愛子著 『これが佐藤愛子だ』(二) 集英社による。)

        
  


 刊行 2002年10月
 主に四十代後半から、五十代半ば頃までに書いたものが集められているよう(単行本上梓(じょうし)はそれより三から五、六年後)。

読後感:

 佐藤愛子なる人物、結構おこりっぽく(ご本人は憤激症らしい)、でも書かれている意見は凄くまっとうで、今日のマスコミや、世間の風潮に不満を感じる自分と同じような意見を述べられているので、この本は楽しいし、面白い。
 ここまで来るまでには、随分辛い目にも遭い、苦労をされたようであるが、娘さんとの母子家庭での、やりとりも実に微笑ましいやら、羨ましいやら。実にいい。

☆失われゆくふるさと(エッセイの最初の項目)

 何とも懐かしい記述、嬉しい発見。著者のふるさとが兵庫県鳴尾とは。自分は小さい頃鳴尾と西宮市の境界すぐ近くに住んでいて、家の前の県道(?)を2分ほど歩くとエッセイにも出ている路面電車が走っていた。また、浜は真っ白い砂浜で、海水浴や魚釣りに出掛けたし、武庫川にも魚取りに良く出掛けたものだ。当時の描写が懐かしくて、いっぺんに私の好きな作家の仲間入り。
 
 エッセイにも書かれているとおり、今はもう当時の面影は全くと言っていいくらい無くなっていて、悲しいことに、もうここは自分の故郷ではなくなってしまっている。
 また、作中書かれている横浜の磯子プリンスホテルは、自分も磯子に何年か住んでいたし、磯子駅近くにある工場の行き帰りに眺めていたところ。この場所も関係している不思議。さらに、午年のところも、同じである。
印象に残る場面:

◇グウタラ娘の内側

 まさに我が子は悲喜劇の真っただ中にいる。
考えてみれば私の娘は幼にして、色々な苦労を嘗めて来たとつくづく思う。娘は私達夫婦の絶えざる夫婦喧嘩の見物人であった。小学低学年の子供が父と母の諍(いさか)いをどんな気持ちで見ているか、私には思いやるゆとりがなかった。いや、思いやったとしても、私には喧嘩を思い止(とど)まる力はなかったのである。

 ある夜私はアイロンをかけていた。夫と娘はテレビを見ていた。私には明日の朝には渡さねばならぬ原稿が控えていた。私は夫の代わりに働いて借金を返さねばならなぬ。借金返しのために夜も昼も原稿書きをしなければならぬ上に、洗濯物のアイロンをかけねばならぬのだ。

 突然、私の中にヒステリイの焔が噴き上げた。私はものもいわずアイロンをふり上げ、目の前の紅茶茶碗―――夫が飲んだ紅茶の茶碗に向かってハッシと打ち下ろした。
「なんで・・・わたしばっかりが・・・こんな・・・こんな・・・」
 怒りが球となって喉に詰まり、私はアイロン持つたまま、絶句して真っ二つに割れた紅茶茶碗を睨(にら)みすえる。

 すると、ふだんは横の物を縦にもしない不精者の娘が、ぱっと立ち上がるや風呂場に駆け込み、風呂の蓋を取って湯加減を見たのである。
 この娘の動作は一種の防御本能であることを、後になって私は思いやった。娘はこんな風にして、夫婦喧嘩の嵐、倒産の嵐、両親の離婚の嵐に耐えて来たのであろう。その頃から何年か経ったこの頃では、娘は当時のことを思い出して時々こんなことをいう。

「アイロンで紅茶茶碗を割ったのにはマイったわ。なにもアイロンで割らなくてもいいと思うけどね・・・」
 嵐につぐ嵐の中で、娘は萎縮する代わりにノンキ者になった。もしかしたら娘は本質的なノンキ者ではなく、作られたノンキ者なのかもしれない。彼女はすべてを風景として眺める習慣を身につけることによって、傷つくのを防いで来たのかもしれない。

  

余談:

 エッセイの中に、遠藤周作とのやりとりがちょくちょく出ている。遠藤周作さんって結構面白い人のようだけど、これだけ取り上げられると事前に了解を取っているのだろうかと思いたくなる。知らぬ間に発表されたりしてもなせぬ仲かも知れないが・・・。

 今読んでいる、佐藤愛子著の「血脈」に出てくる子供との事を考えるとニヤニヤしてしまう。「血脈」はこの次当たりに取り上げる予定。

 背景画は、佐藤愛子のふるさとであり、自分の心の故郷でもある象徴的な西宮の甲子園球場の姿。夏は高校野球を見に、よく行ったものだ。今は改装工事のため、ツタが無くなっているとか。