印象に残る場面:
◇ 山の村(上巻)
岩手の山奥で、丈太郎がトシに向かってまくし立てる:
おとなたちが「手伝わせない」。勉強をするのが子供の仕事だと親は考えているのだと阿部老人はいった。
いったいいつから、どういう根拠でそうなったのか。教育とは勉強させること、勉強とは知識を詰め込むことだけ、それが正しい教育だといいだしたのはいったい誰なのか?
「田圃に入って自分の手で苗を植えればじいさんばあさんの苦労がわかるんです。それがわかれば自然、いたわりが生まれる。じいさんばあさんはえらいなあと思う。それが感謝や尊敬に育っていく。だか今は優しさも感謝も観念でしか身につかない。何かというと思いやりだ、優しさだ。わしはそんな空念仏を読んだり聞いたりするとムナクソが悪くなるんですよ。身体で辛さや痛さを経験したことのない者がまことの思いやりや優しさを持てるわけがないんです」
◇暮れ行く春(下巻)
謙一が美保に昔を後悔していう言葉:
「あの頃はよかった・・・幸せだったよ。何の問題もなかった。君がいて、親父がいた。父は扇の要(かなめ)になっていたんだ・・・。今は要がなくなって、バラバラだ・・・」
・・・
「要になるには一人の力じゃ駄目だよ。あの頃は親父をおふくろが助けていたんだ。おふくろはただ従っているだけに見えていたが、従うことで力になっていたんだ。親父には要たらんとする信念があったよ。だがぼくらはその信念を煙たかった。いや、子供の頃は尊敬して従っていたさ。だが時代がしていって僕らの価値観が変わっていった。要の締めつけがイヤになった。おふくろは自由に憧れた。おふくろは主張をし始めた。ぼくはぼくで・・・」
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