佐藤愛子著  『風の行方』


                         2008-12-25



 (作品は、佐藤愛子著 『風の行方』 毎日新聞社による。)


            

 
 1997年8月刊行。
 
 

主な登場人物

大庭丈太郎
(おじいちゃん)
20年間の小学校校長を終え、その間妻や子供を裏切ったことはない。だが青天の霹靂、妻の信子から「すべてから解放されたいの」と別れ話を持ち出され、自ら岩手の山村に出て行く。
大庭信子
(おばあちゃん)
美保にとってお義母さん、40年間連れ添ってきた丈太郎の方が出て行ったため、世田谷の母屋に住み、謙一たちは離れに住む。丈太郎と美保が出ていった後、予想外の寂寥感を味わっている。真面目にハチマキを締めていると春江は評している。
大庭謙一

大庭家の長男、吉見のパパ、美保に逃げられ、すぐに千加を引き入れ、車の販売店に勤める。

大庭千加 美保の後に大庭家に入る。謙一とは18歳下、こだわりのないあっさりとした性格、信子からはいろいろとくどくど言われるが、気にしない。
大庭吉見 小学6年生。千加のことをママとは呼べないが、別に嫌いではない。性格的におとなしく、はっきりとは言わない、ウジウジしたところが学校でのイジメの要因になる。
大庭康二 大庭家の次男、岐阜で中学校の教師をしている。担任の男の子の自殺で自信を失い、丈太郎のいる山村に足が向く。
中根美保
(旧 大庭)
フリーライター、39歳。大庭謙一の犯した不始末のせいで離婚、「母親である前に女は人間なのよ。悔いのない生活をしたい」と、杉並区高円台のマンションに独りで住み、翔んでいる。週末には吉見と合う約束。
新川春江 信子の友達。男を見下すような女、しかし信子にとって愚痴を聞いてくれる唯一の友。
塚野妙 信子の友達。以前夫に戦死され、一人で育てた息子は結婚して人間が変わり、嫁に苦労させられる。67歳の不動産会社社長と再婚し幸せいっぱいでいる。
楠田 作家、プレイボーイ。

読後感:

 
 この作品は実に面白い。登場する人物の人間模様が身近で、悩んでいることがまたすぐそこにありそうなこと、身につまされるところも経験あること、また実際そんなことを実感することなどつい頷いたり、どう解決するんだろうと興味を抱いたり。

 特に親父の丈太郎の頑固さ、昔風の考え方は魅力一杯。教師で自信を無くした康二に対する父親の正論は実に良い。また吉見という小学生のハッキリしない性格にはこちらもイライラするところがあるが、子供と同じ位置で行動する千加とのやり取りもおもしろい。信子との嫁、姑の関係も愉快愉快。

 自尊心の強い美保が、プレイボーイの楠田(多分著者の親友であった川上宗薫をイメージしている?)に対してのぼせていってしまう当たりもこれまた愉快愉快。
 そんな人間模様が次々に展開していく流れは、佐藤愛子の独断場。

 それに章によって語り手が変わってくるので次第にその人物像がハッキリしてくるし、どう感じているのか、どんな風に考えているのかその人の立場にたって見れるのもおもしろい。
 題名の「風の行方」も魅力的。

印象に残る場面:

山の村(上巻)  

 岩手の山奥で、丈太郎がトシに向かってまくし立てる:

 おとなたちが「手伝わせない」。勉強をするのが子供の仕事だと親は考えているのだと阿部老人はいった。
 いったいいつから、どういう根拠でそうなったのか。教育とは勉強させること、勉強とは知識を詰め込むことだけ、それが正しい教育だといいだしたのはいったい誰なのか?

「田圃に入って自分の手で苗を植えればじいさんばあさんの苦労がわかるんです。それがわかれば自然、いたわりが生まれる。じいさんばあさんはえらいなあと思う。それが感謝や尊敬に育っていく。だか今は優しさも感謝も観念でしか身につかない。何かというと思いやりだ、優しさだ。わしはそんな空念仏を読んだり聞いたりするとムナクソが悪くなるんですよ。身体で辛さや痛さを経験したことのない者がまことの思いやりや優しさを持てるわけがないんです」


暮れ行く春(下巻)

 謙一が美保に昔を後悔していう言葉:

「あの頃はよかった・・・幸せだったよ。何の問題もなかった。君がいて、親父がいた。父は扇の要(かなめ)になっていたんだ・・・。今は要がなくなって、バラバラだ・・・」
・・・
「要になるには一人の力じゃ駄目だよ。あの頃は親父をおふくろが助けていたんだ。おふくろはただ従っているだけに見えていたが、従うことで力になっていたんだ。親父には要たらんとする信念があったよ。だがぼくらはその信念を煙たかった。いや、子供の頃は尊敬して従っていたさ。だが時代がしていって僕らの価値観が変わっていった。要の締めつけがイヤになった。おふくろは自由に憧れた。おふくろは主張をし始めた。ぼくはぼくで・・・」


  

余談:
 
中学の教師をしている康二が、担任の生徒を二人も自殺で死なせてしまい、教師の自信を失う。そして父の居る岩手の村に来ての会話に、今の子供の世界の難しさが語られている。

「子供は三つの顔を持っている。親の前、教師の前、友達の前・・・」
「どこで自分を出しているのかわからない・・・それに悩むんです、教師は」は言い得ているのかなぁ。

 背景画は、作品の内表紙を利用。