佐木隆三著  『復讐するは我にあり』
           −改訂新版−





              2008-02-25


  (作品は、佐木隆三著 『復讐するは我にあり』改訂新版 弦書房による。)

           
   

 2007年(平成19年)4月刊行。
 あとがきより
  本作品は1975年(昭和51年)11月講談社から書き下ろしのノンフィクション・ノベルとして上下巻で刊行されたもので、76年1月第74回(昭和51年下期)の直木賞受賞作品。ただモデルが存在する事件なのでその後改訂新版を考えていて今回改めて訂正、推敲をしたものである。
 

物語の概要

「逃走78日間悪運尽きた殺人鬼」榎津巌が二人の女性を含む五人も殺し、あるいは子供に心を悩ましている人々をまことしやかにだまして金を取る等被告人の逃避行とその顛末記。


読後感

 ノンフィクション・ノベルとあるだけに凶悪犯の犯罪の事実が日時、時間を追って事細かに展開されていく。非常に緊迫感のある、ずっしりと読者に迫る迫力を感じる。内容も犯罪それも殺人である。また詐欺事件の手口も騙される側が何で気がつかないのかと思わず苛立つ場面もある。

 広域的凶悪事件・犯行を重ねる恐れのある「重要指名被疑者」に指定されてもなおかつ全国を渡り歩く榎津、弁護士として他人の名を語り、大学教授といった称して信用される人間を語ることによりかくも容易に信用されてしまう、昭和38年の時代がそうだったのか判らないが、しかしあの手この手の知能犯の様には感心するほどである。

 面白いのは、来るはずの年賀はがきが一枚も来ないのに不審に思い、小学5年生の吉村ちか子に手配写真の男と似ていると見破られ、派出所に駆け込まれる。しかしそれもすぐには信用されずだったり、吉村圭以子、徳田晴子が駐在所に手配書の榎津に似ているといつても、確証がないと露天風呂で乳の下のあざを確認しようとしたが感づかれたのか見られずとかの人物の特定に手間取るシーンには、何ともの頼りなさにこれが現実なのかもと。

 題名の「復讐するは我にあり」の言葉の意味がやはり気になる。調べてみたら内表紙にある「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録(しる)して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり」(新約聖書 ローマ人への手紙・第12章第19節)
これは「悪に対して悪で報いてはならない。悪を行った者に対する復讐は神がおこなう」という意味だそうだ。

 映画ではブルーリボン賞ならびに日本アカデミー賞作品賞受賞作品でもある。
こんな賞を取ると言うことは、配役を含めその人間像に迫っていることが評価されたのであろうが、同情に値する人間とも思えないのだが・・・。
 時折人間的な面を見せる場面もあるが、なかなかどういう人間なのか判らない。
でも作品自体はミステリー小説らしくて大変面白い。


  

余談:
 背景画を何にするか、作品のイメージなどに合ったものを捜すのも、苦しくもあり、楽しみでもある。ぴつたりのものが見つかった時の喜びも格別。そんなところからさらにその作品に愛着が沸いてくる。
 背景画は福岡県旧仲哀(ちゅうあい)トンネルのフォト、 作品中に記された旧仲哀トンネルの面影(旧専売公社職員が殺されたところ)。 いまは新仲哀トンネルが新設されており、色々な現象が重なったこともあり、いまや心霊スポットになっているという。(インターネットよりの情報)

                    

                          

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