大佛次郎著 『帰郷』
                          
 

                
2007-12-25





   (作品は、大佛次郎著『帰郷』 毎日新聞社による。)

         
  

昭和23年(1948)5月から11月にかけて毎日新聞に連載。
1992年(平成4年)3月刊行


大佛次郎:
1897年横浜市生まれ。外務省に勤務したが関東大震災を機に辞し、文筆に専念。
1964年文化勲章受章。1973年没。


主な登場人物:

守屋恭吾 元海軍の軍人。若い時公金横領の罪で海外に脱出失踪。長くヨーロッパで一人暮らす。シンガポールマラッカの町で華僑の中に居たところ、高野左衛子の告げ口で収監され、1年の牢獄生活後、終戦で釈放され、日本への帰国を果たす。
守屋伴子(ともこ) エトワールという雑誌の編集を手伝ったり、洋裁の仕事をしたりしている。実の父は恭吾。
隠岐達三 天下に有名な文化人、参議院への出馬を考えている。
隠岐節子 元守屋恭吾の妻。隠岐達三と子(伴子)連れで再婚。
牛木利貞大佐 海軍の軍人。守屋恭吾とは同期。マラッカで守屋恭吾が尋ねてくる。守屋恭吾に言わせると真っ直ぐに育ってきた正気の軍人、この戦争で死ぬ気でいると言う。一方、牛木は守屋恭吾に日本美人高野左衛子を紹介する。
高野左衛子 マラッカで守屋恭吾と出会う。飲屋をやっているという金持ちの美人。憲兵に恭吾のことを手紙で告げ口し、それで投監されたことを気にし、日本に帰って守屋伴子と近づきになり、色々と世話を焼く。


読後感:
 

 作品中に出て来る鎌倉円覚寺周辺の描写を読みながら、また、数年前に行った京都南禅寺付近の思い出などを思い出しながら、ふと鎌倉寿福寺にある大佛次郎の墓の面影が頭に浮かんだ。
 そんな近しい感情も作品の味わいに影響してくるようだ。
 
 最初の内の海外に滞在している人間描写がこの作品の主題は何なんだろうと思わせ、この後どんな展開を見せるのかもう少し読み進んだ見ようかと思わせた。

 果たして、終戦後日本での展開になるが、いきなり東京の中央線電車の中での再会、そして電車を降りての場面で一気に緊張感が盛り上がる。その後また平坦になるが、次第に主題がはっきりしてくる。

 特に印象になる場面は、娘伴子と金閣寺で出会う場面は、短い言葉でかわす会話がすごく印象的ですばらしい。父と子の感情が伝わってきてうるうるしてしまう。また、再婚している夫隠岐達三から守屋恭吾にぶつけられる言葉により、伴子が愛されていないことを知り、そして国を捨て国籍もなくなった自分が、もはや日本には居る場所が無くなっていて、再び日本を去り、流浪の旅人にならざるを得なくなった切なさを禁じ得ない。

 日頃は祖国を失うなんてことを考えたこともないが、こんな状態になったらどういう風に生きられるのか、ふと海外に出かけたまま流浪の人になったらと、ささいなようでいて大変な幸せを感ぜざるを得ない。
 
 解説にもあるが、なるほど松本清張の「球形の荒野」の作品とも似たところがあるなあと改めて読んでみたくもなった。
 女主人公でもある高野左衛子については余り良い感じは持てず、感じるところはなかった。

印象に残る表現:

守屋恭吾が海軍時代の同僚牛木利貞と終戦後、鎌倉の円覚寺で交わす言葉:

「俺は、外にいて、この戦争では日本の全部が焼かれても仕方ないと思い、また、その方が新しく日本が出発するのにもいいように考えていた。しかし、帰ってきて、戦災のむごい姿を見ると、そうは云えなくなった。殊に、京都奈良の寺や仏像が残ってくれたのは確かに良かった。・・・・

 二十年捨て児のようになって外国で暮らしてきた男が、日本に帰国して見て、自分をこの国土につないでいるものを求めるとしたら・・・まったく、俺に思いがけないことだった。古い寺や社が、神仏に信仰もない俺を、なんで、こう惹き附ける力があるのかと思う。どこも焼野とバラックばかりだからなあ、牛木君。・・・あるいは町のなかの小さい路地でもいい、古びた農家でもいいのかも知れぬ。国籍を失った俺に、不思議な心の動きといってよい。魂を寄り掛けて休息したい、と求めているようだ。」

  

余談:
この本を読みながら、古都の良さ、古いものの持つ味わいをじっくりと見つめ直したい気持ちになった。
 
 背景画は、作中の古都の面影から仁和寺の風景から。