恩田陸 『灰の劇場』



              2022-03-25


(作品は、恩田陸著 『灰の劇場』    河出書房新社による。)
                  
          

 
初出 「文藝」2014年春季号〜2020年春季号
 
本書 2021年(令和3年)2月刊行。

 恩田陸
(本書に記述なし)

 1964年、宮城県生まれ。92年「六番目の小夜子」でデビュー。 2005年「夜のピクニック」で吉川英治文学新人賞と本屋大賞、06年「ユージニア」で日本推理作家協会賞、07年「中庭の出来事」で山本周五郎賞、17年「蜜蜂と遠雷」で直木三十五賞と二度目の本屋大賞を受賞。 近著に「祝祭と予感」「歩道橋シネマ」「ドミノin上海」「スキマワラシ」がある。著書多数。

主な登場人物:

私=恩田陸 小説家。「虚構」を主にしたものがほとんどだったが、たまたま新聞の三面記事にあった二人の女性が橋の上から一緒に投身自殺をしたという・・
[飛び降り自殺した記事の二人の女性] 1994年4月、年輩の女性二人が、一緒に奥多摩の橋の上から飛び降り自殺をした。大学時代の友人どうしで一緒に住んでいたという。
 T

自分の両親家族は好きでなく、家を離れたかった彼女。大手有名家電メーカーに就職して三年も経たずに家庭に入ることを決心、結婚。しかし好きでなかった彼とは離婚。
女一人暮らしは惨めと、大学は英文科だった彼女、産業翻訳のバイト経験を生かし、独身で学生時代のイメージのままばりばり働くMと暮らし始める。

 M ワンマン社長が経営する小さな貿易会社に就職、フリーで働く個人事業主の・・・外にいることが多く、Tの申し出を受け、
舞台[灰の劇場]の
スタッフ
 K プロデューサー。
 N 演出家。

物語の概要:(図書館の紹介記事より。)

 大学の同級生の二人の女性は一緒に住み、そして、一緒に飛び降りた。 いま、「三面記事」から「物語」がはじまる。きっかけは「私」が小説家としてデビューした頃…。 恩田陸の新境地となる、“事実に基づく物語”。

読後感:

 本作品、エッセイではないかと感じるところも多々有り、でも、著者<私>は、実際起こったことをベースに「灰の劇場」という小説を書いて、それが舞台となり、オーディションにも立ち会い、実際に上演されるに到る過程の描写もある。 そして実際に初日を迎えるに到る時の、<私>の恐怖の心境が語られ、一方で「灰の劇場」に登場する二人の女性、TとMのやり取りもあり、「灰の劇場」という小説が描かれているようでもある。

 何とも不可解な作品で、良く理解できなかった。
「灰の劇場」という作品を作りたかった理由が、あの三面記事にある二人の女性が、どうして二人一緒に自殺を図ることになったのか、その理由が知りたくて、作品を描きたかったという。
 ということで、ふたりのやりとりを描きながら、後半になって何となく判ってきた。

 その間、<私>が感じる世の中の出来事や、自身の体験談、小説の書き方、(例えば「デッド・エンド」と「ハッピー・エンド」に終わらせ方)、人物の描写の仕方、(自身はあまり容姿の描写はしないが、欧米の小説はどうこうとか)、何が世間の「普通」と「常識」なのかの持論。能を好む人間のタイプの話などなど。
 そんな色んな話題が入り交じって、そして二人の女性の死について、物語として(?)できあがっていくようだ。
 この作品読後感を書くのも困った。


余談1:

 分からなくしているものに、章(?)が“0”、 “1”、 “(1)”、 “0〜1”のようになっていて、はてな。
 何となく判ったのは、“0”は<私>の語り主体。“1”は、TないしMのやり取りが主体。 “(1)”は、<私>と舞台にまつわるやりとりが主体ではないかな。


余談2:

「灰の劇場」で、なぜふたりが死に向かったのかの大事なシーンは、 どうもTとMの二人の生活が、孤独からは開放されているし、かといって互いの生活を背負っている訳ではなく、今はあくまでも「つなぎ」の時期と思っていたのだが、「日常」が次第に変容をし始め・・・、
 Tが呟いた「疲れたわ」の言葉に、 以前読んで涙した天童荒太著の「永遠の仔」の久坂優希の「もう、いやだよ。もう、生きていくのがいやだ・・・。いいことなんて、何も、なかった気がするもの」に通じるものを感じた。

背景画は、自然いっぱいの素材集がErrorとなって消失してしまったので、背景素材無料のものからに。

           
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