読後感:
『神様のカルテ2』
主人公の栗原一止は漱石おたくの文学青年で医学部出身の変人医師、仕事にはめっぽう熱心で働きずめも苦にせずに医師の役目を全うするなかなか好ましい人柄。どうやら物語の展開もユーモアも淡麗感もありまるで漱石の作品を読んでいるようで自分好みの作家に会えたよう。 やはり主人公の人物に感情移入してしまうようなものでないと喜びが少ないもの。
対照的に進藤辰夫の生き方は現在の医師の環境、扱われかたに反抗しているでこの後どのように展開していくか興味が尽きない。
さて進藤辰夫先生と栗原一止の学生時代の僅少人数の将棋部での仲間ともう一人の女性如月千夏との三角関係とその後の展開、病院内での攻防(?)と友情関係、栗原先生と妻の榛名さんとの好ましい関係、大狸先生と古狐先生、古狐先生と奥さんの千代さんの関係、看護婦の東西主任とのやりとりなど、まつわる話には熱い気持ちとほろりとする感情、やさしさが満ちていてこんな環境で生活ができたらたまらないと思わず泣けてくる。
『神様のカルテ』
「神様のカルテ2」から読み始めた為、人間関係や人物像が判っていてスムースに入れる。印象的には「神様のカルテ2」の方が感動が大きいようだ。初めてであったという面も否めないが、人物像が濃いように感じられる。
「神様のカルテ」では栗原と妻のハルさんの出会いと結婚までのいきさつが語られ、病院の患者のこと、「御嶽荘」の住人の事情などそれなりに描かれていると思っていたが、第二話“門出の桜”での学士殿のところといい、第三話にかけて安曇さんの死をむかえる所などは、「神様のカルテ2」と同様の印象でやはりいい。
なんだか元気がわいてくるのと人間死をむかえる時には安曇さんのような態度が取れたらと願う作品である。そして学士殿の送別に送る島崎藤村の「夜明け前」の所では自分が大学に入って教養学部で初めて文学に興味を覚えたキッカケが、教授の話の「夜明け前」であったこともあり、あの長編を読んだのが懐かしく思い出された。
印象に残る言葉:
島崎藤村の「夜明け前」を郷里に帰る学士殿に贈る際の栗原一止の言葉:『神様のカルテ』
「けっしておもしろい話でも気持ちのいい話でもない。葛藤と懊脳(おうのう)がどこまでも続く果てしない物語だ。その苦しい中に少しずつ未来を切り開いていく実に地道な物語だ。私が高校時代に古本屋で手に入れた本でな。壁にぶつかった時はよくこの本を開いていた。今はまだ、私の人生の“ 夜明け前 ”なのだと自分に言い聞かせて」・・・
「明けない夜はない。止まない雨はない。そう言うことなのだ、学士殿」
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