読後感:
きっかけは三浦しをんのエッセイ「三四郎はそれから門を出た」にあった作品の中でこの作品も食指が動いたものである。
トルコ政府から日本の代表として考古学の研究で官費留学をした村田(わたし)、当時は外国に日本人が行くことなど非常に希有なことであったろう時に、下宿先の住人と色んな事で異文化を見、体験する。そして外国で得た物を日本に持ち帰る使命を負っていた筈である。
そこで起きる話は大変興味深いし、その歴史のことも興味があったし、なるほどと思ったり、ほほえましかったり、飽くことがない。
しかし突然の帰国話で、仲良く気心も知るようになった仲間たちから別れ帰国。7,8年経った頃に新聞での紛争を知り、その後ディクソン夫人からの手紙にそれぞれの人たちの運命が記されていて、読み進むうちにそれまでの諸々の場面が走馬燈のように思い出され、時代が変わり、それぞれの国の運命に人々が飛び込んでいった様子に涙が溢れてしまった。
村田の青春の日々の芯なる物語。
特に面白いと感じたこと、
◇宗教について
・唯一絶対の神で、世の中をまとめ上げようと進んできた人間がいる理由。
・日本の稲荷のキツネについて 偶像崇拝のようなものはお断りですがとディクソン夫人。
◇「また今度、宅の方へ遊びに来て下さい」と言われた時
・日本では社交辞令
・トルコでは一度目は社交辞令。二度三度と言われて初めて行くこが出来る。
かように文化というものは洋の東西を問わず、成熟し、また先鋭化してゆくと、言葉にその直接的な意味以上のものが付加され、土着のものにはそれを読み解く教育が幼い頃から自然と施されていくもの。
印象に残る言葉:
◇ギリシャ人の青年ディミィトリスが呟く言葉
・「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無駄なことは一つもない」
(実はテレンティウスという古代ローマの劇作家の作品に出てくる言葉)
・「人は過去なくして存在することは出来ない」
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