南木佳士著 『医学生』 


                 
2006-08-25

(作品は、南木佳士(nagi keishi)著 『医学生』 文藝春秋による。)

             

1993年5月発売。


主人公達四人(秋田大学医学部の2期生)の生い立ち:

車谷和丸  東京郊外で開業の車谷内科小児科医院の長男。1年下の弟は成績も良く、理科系を好み推薦入学の有名私大の医学部に入れること確実なので、1年浪人することは兄のプライドが許さず、国立で2期校の新設2年目の秋田大学を選ぶ。
桑田京子 信州八ケ岳山麓に広がる村の野菜農家の長女。村に一軒ある開業医(84才)が亡くなり、無医村となる。村で一番大きな野菜農家の息子である彼から、将来二人でこの村で医者をやろうと声を掛けられ、ひとり秋田の大学に行ったのだが・・・。
小宮雄二

新潟県郡部の、扇状地に開けた町にある小さな旅館の二男。中学2年の時、婿養子である父は道楽者で、女を作り、脳溢血でなくなる。長男は、旅館を継ぐのを嫌がり、東京の大学を卒業、商社に勤務し今は妻子と海外に赴任。自分は一浪して入学、日々飲屋街通いで女のアパートに泊まるようになる。父の多額の生命保険で仕送りを受けている。

今野修三 千葉外房の魚師の三男。父は5年前亡くなり、長男が後を継ぐ。三男の修三は高校の物理の教師をしていたが、たまたま担任していた二人の生徒の死をきっかけに医者になりたくなり、妻子を伴い秋田に来る。28才。生活費を稼ぐため、塾を開いている。


◇ 物語の展開:

 四人の医学生を主人公にすえ、生まれ育った環境、現在の状況、医学部での生活状況、悩み、医学部の授業風景、卒業後の状態を描くことで、医者になっていく世界が克明に、たんたんと語られていく。
 作者のことばに、医学生になる前はどこにでもいる普通の高校生だった。いかに白衣を着て偉ぶってみたところで、この事実だけは動かしようがない。この辺にスポットをあてて、自分史のような教養小説を書いてみようと思った。患者と等身大の医者を描き出すためにとある。


 読後感

 四者四様の医師像が提示されていて、お医者さんといっても、色んな人がいると感じさせられる。 著者自身現在も長野県の医師であり、多忙な医療活動の傍ら、地道な創作活動を続けているという。

「阿弥陀堂だより」、「海へ」、「医学生」と読んでみて、さすがに医学関係の描きが中心であり、秋田での学生時代、医師としてのいろいろな世界のことがお互いの作品には、関連してるようだ。

 人体解剖実習での詳細記述場面は、さすが食事前は読みたくなくなる。しかし、グループ4人で、一体とはいえ、20体ほどの死体を丸ごと解剖していき、神経細胞図や腹腔内臓器を全て露わにしてそのスケッチをすることを、ホルマリン漬けの匂いが体に染みついていく中、やっていく過程には、それを経験する前と後とで、死に対する見方、人生観が変わってしまうのは判る気がする。

 また、実際の病院などでの研修でみる、沢山の末期癌患者の死を看取ってきた医者の精神が正常でなくなるのもうなずけてしまう。

 生きていることのすばらしさを再認識することと、いつかは人間は死ぬもので、どういった死に方をしたいか、身につまされる。
はたして、このあと自分が病気にかかり、医者に対したとき、どんな風に感じるだろう?


余談1:
この所読んでいる本に「心の残るとっておきの話」があるが、テーマが介護とか、病気の時の話、死と向き合ったときの話など医療に関係することが多い。避けて通れないものであるが、少しでも理解し、優しく、強い気持ちにさせてくれ、生きる元気を与えられるのがいい。

 
背景画は秋田の風景より。

                    

                          

戻る