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                            南木佳士著
                     『ダイヤモンドダスト』 





                   
2012-08-25


(作品は、南木佳士(なぎけいし)著 『ダイヤモンドダスト』  による。)

                 

 初出 「冬への順応」     「文學界」1983年5月号
     「長い影」       「文學界」1983年8月号
     「ワカサギを釣る」   「潭
(タン)」(六号)1986年9月
     「ダイヤモンドダスト」 「文學界」1988年9月号
 本書 1989年(平成1年)2月刊行。
 南木佳士:(本書より抜粋)

  1951年、群馬県に生まれる。秋田大学医学部卒業、現在長野県南佐久郡に住み、佐久総合病院に勤務。1981年難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴く。同地で「破水」の第53回文學界新人賞の受賞を知る。人間愛をテーマに感傷を排した文章で、生命のとおとさを説く作品の発表を続け、「ダイヤモンドダスト」で芥川賞を受賞する。

主な登場人物
<冬への順応> タイの難民医療に3ヶ月間出張、帰国して昔の恋人の千絵子と10年ぶりに再会。千絵子は癌性胸膜炎で入院してきた。
ぼく 千絵子とは山に囲まれた小学校で同じクラスだった。予備校時代代々木で再会。山の診療所の空想を語り合ったのに・・。
安川千絵子 東京の大学に入り、英文科に、そしてイギリスの大学に。
<長い影> 帰国して1年目に開かれたカンボジア難民医療団の忘年会でのできごと・・・。
ぼく

信州の山の診療所勤めのぼく(前章の僕と同じ人物)。
楽しむために忘年会に出かけたが変な女性に出会う。

<ワカサギを釣る> タイの難民収容所で知り合った種村とミンの交流。ミンが種村のいる信州の湖でワカサギ釣りを体験する。
種村 信州で看護士として勤務。ボランティアで1年間、タイの難民収容所行きの募集に応募する。他人と深く付き合いたがらない性格で一人を好む。
ミン プノンペン大学の医学生。色んな能力もあり希有な存在。種村とは気さくに口をきく間柄。
<ダイヤモンドダスト> 信州の町の病院の看護士として勤める和夫が、父と息子との暮らし、病院で患者の病気や死を迎えて、耐える姿をたんたんと見つめる。

和夫
父 松吉
(70歳)
母 (没)
妻 俊子(没)
息子 正史

和夫は町の病院の看護士として勤める。
妻の俊子は若くして肺腫瘍で亡くなり、父親と息子の三人暮らし。
父親は電気鉄道の運転手をしていたが、鉄道廃止後は退職しヤマメ釣りに。
山や畑を買い足してきた結果土地ブームで暮らしには困らず。
脳血腫、脳卒中の後遺症で・・。

門田悦子 隣に住む小から高校までの同級生。秋から春までカリフォルニアに滞在、州立大学の生涯教育講座で英会話を学び、テニスコーチの腕も磨いている。
マイク・チャンドラー アメリカの宣教師、45歳。骨折で(肺ガンのために骨への転移で)入院。

読後感:

 4つの短編で構成されているが、なかでも「冬への順応」と「ダイヤモンドダスト」が印象深い。
「冬への順応」では以前に著者の作品を読んで、秋田の新設大学の医学部での様子、タイへの難民医療に出かけた経験などを読んでいたが、そんな内容も織り込まれていて親近感があった。さらに安川千絵子との予備校から大学時代の交流が想い出として残る中、現実は千絵子が癌に冒されて入院してきたことで再会することになる。切なさが堪らない。
 
 千絵子の母親から「あの子が一番懐かしがっている、あの浪人時代の頃のように励ましてやっていただけないものでしょうか」と頼まれ、「生きていたってほんとうに言えるのは、あの頃だけだ、何て申しておりますものですから」と言われる。病室での変わり果ててはいても、昔の千絵子の姿が残っている所を見、タイでの話をしながらも、おそらく昔の想い出がよみがえり、タイで見た素晴らしい夕陽の光景とが別世界のように感じられて感傷的になったことだろうと思ってしまう。
 
 そして千絵子の死は、後から知らされるというところがさらっと描写されていて、後からじわっと悲しみがわき上がってきて堪らない。

「ダイヤモンドダスト」では、和夫という別人が主人公のようだが、何か恵まれない星の下に生まれてきたような、母親には幼くして死なれ、妻にも若くして逝かれ、父親は後遺症を持つ男ばかり三人の暮らしぶり。
 ただ隣家の門田悦子という同い年の、まぶしすぎるような溌剌とした女性の存在に救われる気がする。
 そして病室のマイク・キャンドラーというアメリカの宣教師のジョークと、無口な松吉が同じ病室に入ってきての、お互いを認め合う交流とその後の死を迎える姿は切ない。
 4編のいずれも人間の交流を通しての心情の機微が描かれていて胸を打つ作品である。



余談:

 著者の短編集「草すべり」(文藝春秋刊)を同時期に読んだ。その中でも“草すべり”が印象に深い。内容は55歳になり高校で2年間一緒のクラスであった兼松沙絵と浅間山に登った時の情景を描いている。
 
 彼女から、軽井沢の山の家を手放すことから、最後に浅間山に登るけれど、ご一緒しませんかというものであった。40年ぶりの二度目の手紙である。

 行きの様子は彼女の方が颯爽と元気で、自分は左膝の痛みを抱え、ようやくあとをついていくのが精一杯。火口は自分一人で見に行き、帰りは急激に彼女はペースダウンし、自分が支える側に。道中の会話、そして山を歩く動作の変化の描写を通し、40年間という時の経過が二人の間に色んな変化をもたらし、過ぎ去った時の重みがじわっと伝わってくるものであった。

「草すべり」は浅間山を中心にした山登りに関する短編集であるが、自分自身の思いでと言えば大学時代の、登山とは言えないが上高地や穂高の雷鳥のことが思われるが、本を読んでいると何か懐かしい匂いが感じられて、海もいいが、山もいいなあと思ってみたりした。

 

背景画はダイアモンドダストのフォトを利用。 

                    

                          

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