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南木佳士著 『阿弥陀堂だより』 


                   
2006-07-25

(作品は、南木佳士(なぎけいし)著 『阿弥陀堂だより』 文藝春秋 による。)

                

初出  「文学界」1995年3月号。

 この小説を読むきっかけは、題名に引かれたこと。そして映画にもなっているということでインターネットで調べたら監督の言葉に「爽やかに吹きぬける風を感じられる作品」とあったことでなおさら。
(監督は小泉尭史。2001年第24回日本アカデミー賞で11部門の優秀賞を受賞、作品を含む主要8部門で最優秀賞を獲得した黒澤明遺稿脚本の映画化『雨あがる』の監督である。『雨あがる』は小泉尭史初監督作品ながら、その見事な演出に対する評価は、国内にとどまらず第56回ヴェネチア映画祭でも「緑の獅子賞」を受賞するなど、世界中で高い評価を受けた。というものであった。)

主な登場人物
上田孝夫 信州、山里の谷中村六川集落出身。東京の高校で神谷美智子と同窓で、学園闘争の時口を利くようになる。進路は別々になったが、結婚。孝夫は私立大学の文学部を卒業、作家を目指す。しかし新人賞をとったあと鳴かず飛ばずの無名不流行作家。
神谷美智子 国立大学の医学部を出、孝夫と結婚、都立病院で責任ある立場を務めていたが、妊娠するも流産して体調を崩す。その後心を病み、全てを放棄して、上田孝夫の故郷で谷中村診療所の嘱託医師として、移り住む。
おうめ婆さん

阿弥陀堂にいるからこそおうめ婆さん、六川の森に囲まれて自給自足に近い生活をしているおうめ婆さんにとって、阿弥陀堂を含めた周囲の畑や雑木林、奥深い山そのものが彼女の体の一部。
どこか人生をふっきったような発言をする。
六川集落の祖先の霊は山にいる。おうめ婆さんは阿弥陀堂に入った時点で里の人ではなく、山の人になってしまっている。ずっと霊に近い存在になってしまっている。96才。

石野小百合 役場の助役の娘。上田孝夫の大学の後輩にあたり、谷中村広報の“阿弥陀堂だより”コラムの著者。おうめ婆さんから聞く話をベースにコラムをつくっている。さゆりは大学生の時、喉に悪性の肉腫が出来、放射線治療を受け、その障害で口がきけなくなった。


印象に残る場面:

小説(=もの)を書くとは・・・を考えさせるヒント

◇上田孝夫の作品に対して、若い編集者の批評 

「起承転結はそれなりにしっかりしている短編なのだが、人間存在の真実に触れる一言半句が見あたらない。悲しみを描いていながら、どこか突き抜けた明るさが必要なのだが、それもない。要するに駄作である。」

◇「小説っていうのは昔話のようなもんでありますか。ふんとの話でありますか、うその話でありますか」というおうめ婆さんの問い対し、石野小百合の言葉

小説とは阿弥陀様を言葉で作るようなものだと思います。
・・・
「わしゃこの歳まで生きて来ると、いい話だけを聞きてえであります。たいていのせつねえ話は聞き飽きたもんでありますからなあ」おうめ婆さんは文章をかく二人に小説のあるべき姿に関する説教を垂れた。

◇「あのお婆さんのなにげない言葉の重みには勝てないわよ」

読後感:

 読む一行一行がなにかすごく大事に読みたい感じをいだかせる。そこに書かれている言葉一つひとつから、素朴で、やさしくて、気持ちをゆったりさせる、生きていることの幸せを感じさせてくれる、そんな雰囲気が伝わってきて、こんな作家が居るんだと感じた。
 どうしてなのかなあと思った。それは、信州の田舎の自然の風景の描写に、90云才のおうめ婆さんの何気ない言葉(それが年を重ねてきて、素朴で純な人の、飾らない、心から出た言葉故)に、心を揺さぶるものがあるからとおもう。

・この本を読んでいるとき、至福の時を感じた。



余談1:

 作家南木佳士の1989年の作品、第100回芥川賞受賞作品「ダイヤモンドダスト」を読んでみた。でも「阿弥陀堂だより」のような感動を味わえなかった。というより、「ダイヤモンドダスト」が初期の頃の作品という性かもしれないが、特に最初の方の何分の1かは、文章が硬いようで、なかなか小説の中に気持ちがすっと入っていかなくて、極端にいうと、読むのを止めようかと思ったほどであった。

 しかし、読み進む内に、「阿弥陀堂だより」のような自然の流れには及ばないが、受け入れられるようになってくる。やはり、芥川賞とかを取る作品には、ぐっと引き寄せられるものがあるということが判る。
背景画は映画「阿弥陀堂だより」のフォトより。 

                    

                          

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